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第15話

 食後は三人でひたすら工房の掃除を進める。屋根裏部屋は身長の問題でカモミールが、階下の工房は器具類をテオが手入れし、ヴァージルがその他の部分を担当していた。

 ヴァージルの引っ越しは数日掛けてちまちまと行うらしい。泊まるのは今日からにすると声高らかに宣言していたが。


 屋根裏部屋の床板のささくれの部分は、布に塗りつけた研磨剤でこすって滑らかにし、全体的に問題が無くなったら今度は蜜蝋を塗り込んでいく。地味な作業だがずっと中腰でいるのは疲れるし、腕も痛くなってくる。

 だが、ここで手を抜くと小さな怪我に繋がりかねない。蜜蝋を塗り込んで丹念にこすり、飴色の艶が床に蘇るまでカモミールは無心に腕を動かした。


 床の手入れが終わったら、あとはクモの巣を払って窓枠などにたまった埃をはたくだけだ。屋根裏にも明かり取りなのか小さな嵌め殺しの窓が付いていて、そこにも階下と同じらしきガラスが入っていた。


「上の掃除終わったー! もう当分蜜蝋塗りはやりたくなーい!」


 強ばった腕をさすりながらはしごを降りると、一階は既にほとんど掃除が終わっていた。壁も床も石造りなので水を掛けて、汚れているところは多少こすり、後はゴミごと流してしまえばおしまいなのだ。この建物は台所などがない分、掃除は簡単に済むらしい。ヴァージルが見当たらないのでテオに聞いてみると、彼の手が外を示した。床と壁の掃除が早く終わった分、外の手入れに向かったらしい。


 テーブルの上には手入れされた様々な器具が並んでいる。どれも文句のない状態に仕上げられていた。


「わあ、ぴかぴかねー! さすがテオ! 錬金釜の精霊!」

「おう! それほどでもあるだろォ?」


 褒めるとテオはわかりやすくふふんと鼻を鳴らして上機嫌になった。


「掃除が終わったらお父さんとお兄ちゃん宛てに手紙出さなきゃ。いつもの薬草とお花頼んで、今回の顛末も報告しておかないと心配するだろうし。そしたら残ってるお金で材料買って白粉おしろいを作り始められるかな、今のうちにケースのデザインもタマラに頼んでおかないと」


 やることを指折り数えて、頭の中で予定を立てる。工房を手に入れたからには、早く商品を作りたい気持ちで一杯だ。


 白粉は昔は鉛や水銀から作られた物が主流だったが、これが人体に有害であり、中毒さえも引き起こすことが知られてほとんど使われなくなった。しかし安価な上に伸びが良いので、今でも粗悪な白粉には鉛が入れられていることがある。


 ロクサーヌとカモミールが作った白粉は、タルクとカオリンという粘土の一種が主原料だ。一昔前は貴族階級で顔を真っ白に塗る化粧が流行したが、今はより自然な肌色に見せてきめ細かく美しい肌に仕上げる化粧が一般的だ。

 ミラヴィアでは更に白粉を滑らかに塗るために、特製のクリームを売り出していた。下地としてこのクリームを付けることで白粉が崩れにくくなり、そばかすやシミも隠しやすい。


 それ以外に、カモミールにはひとつの構想があった。まだロクサーヌにも相談していなかった段階のアイディアなのだが、新ブランドが軌道に乗ったら試すつもりでいる。



 部屋の隅にある錬金釜がまだ磨かれていないのに気づき、ちょうど研磨剤と布を持っているのでカモミールは錬金釜の隣に屈む。


 錬金釜は外側に草花模様が彫り込まれていて、千年前の物にしてはなかなかしゃれている。内側は何層かになっているのが通例だが、この錬金釜は外側は銅らしく、ろくしようと呼ばれる独特の色の錆が浮いていた。この錆はそれ以上銅を酸化させない効果もある。


 布に細かい研磨剤を取って錬金釜をこすると、緑青色の錬金釜はすぐに赤銅の輝きを取り戻す。目に見えて成果が出るのが楽しくて、カモミールは気づけば夢中で釜を磨いていた。


「……古くて邪魔だとか言ってたじゃねえか」


 手入れの終わった器具を整理し終えたのか、テオがカモミールの隣にしゃがみこんでくる。先ほどカモミールに褒めまくられたときには鼻高々にしていたが、何故か今はカモミールの目を覗き込むようにして、何かを探っているようだ。


「うん? ああ、まあそれはそう思ってるけどね。私のやり方ではこんな大型の釜を使うことってまずないし。使おうと思えば、そりゃ使えるけども。

 ――それでも千年前に人の役に立てようとこれを作った人がいて、歴代の持ち主が大事に使ってきて……だからこそ千年経った今でもこうしてここにあるってことはわかるよ。壊れやすい道具が多い中で、現役状態で千年目を迎えるのって本当に奇跡的だし、だから精霊が宿ったんだろうね。方向性は違うけど、私もひとりの職人としては千年残る何かを作ってみたいとは思う。心から」

「……おい、カモミール。賢者の石に興味ねえか?」


 錬金釜を磨く手を止めないままで答えたカモミールに、戸惑いがちにテオが尋ねてくる。またフレーメ派に勧誘してるよとカモミールは苦笑した。


「ないかな。だいたい、私みたいな錬金術師じゃ、たとえ材料が揃ってても錬成できる気がしない。魔力も無いしね」

「向上心があるのかねえのかわからねえ奴だなあ……。なあ、今おまえが持ってるもので、一番増やしたい物って何だ? 売れば金になりやすいとか、希少価値があるとか、そういう物だとなおいいな」


 テオが話す調子が妙に真剣で、カモミールは釜を磨く手を一度止めた。肌身離さず持っていたバッグの中から、小さい木箱を取りだして開ける。中にはコルクで栓をされた遮光瓶が真綿に包まれて収まっていた。


「これかな、バラの精油。これは熱を掛けずに溶剤を使って抽出して、香りの繊細さを最大限引き出した物なの。普通に作ったら溶剤が微量だけど残ることがあって肌に使ったりするには向かないんだけど、私と先生が錬金術で作り出した、完全なる薔薇ローズ・アブソリユートを越えた真なる薔薇トゥルー・ローズ。どちゃくそ高価で、これだけで5万ガラムくらいするかな」

「えっ、これだけで5万ガラム!?」


 カモミールとテオの話し声が気になったのか、工房を覗き込んだヴァージルがピンポイントで聞いてしまった部分に驚き、小瓶を見て仰け反った。

 カモミールの手のひらに載ったトゥルー・ローズの小瓶は、ほっそりとした彼女の小指の第一関節先ほどしかない。一般庶民が1週間で稼ぐ金額とほぼ同価値と聞けば、大体の人間がヴァージルと同じ反応をするだろう。


「量も少ないし、もったいなさ過ぎて使えないんだよねー。もうこれだけで香りとしては完成品だから希釈して香水にしてもいいけど、白粉に1滴混ぜたらそれはもうお化粧が至福の時間になるじゃない? いつか『ミラヴィア』で豪華な限定の化粧品を出すときに使おうかって先生と言ってたんだけど……」

「よし、ちょうどいいのがあるじゃねえか!!」


 テオが長い腕を伸ばして、カモミールの手から遮光瓶を取り上げた。慌てたカモミールが取り返そうと飛び跳ねるが、背の高いテオが瓶を握って掲げているのでどうしても届かない。


「ちょっとー!? 返してよ! それすっごい大事な物なの!」

「でもこれが増えたらめちゃくちゃいいだろ?」

「そりゃあ、増やせたら……増やせたら凄く助かるわ。でも、どうやって」


 想像も付かなくて困惑するばかりのカモミールに、にやりと得意げにテオは笑った。

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