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第13話 お隣さんが突撃してきました

「それじゃあ頑張って掃除しますか! ヴァージルは少し休んでて」

「よぉし、器具は俺に任せとけ!」


 気合いを入れ直したカモミールとテオに、あ、と声を上げてヴァージルが挙手する。


「今来るときに外から見て気づいたんだけど、ここの屋根瓦は傷んでないみたいだったよ」

「道理で雨漏りの跡が無いと思ったわ」


 先程屋根裏を覗いたとき、カモミールは正直大惨事を覚悟していた。雨漏りしまくった屋根に、腐りかけの床板などだ。けれど実際は埃がたまってクモの巣はあちこちにあるものの、多少床板がささくれ立っている程度で傷みはそれほどなかったのだ。


「ああ、ここの屋根瓦は前の前の持ち主が研究してた特製の奴だ。ガラス製品をいろいろ作っててよ、焼き物の釉薬の研究なんかもしてたなあ」

「もしかして、この大量にあるガラスとかも」

「そいつが作った物だな。ここ以外にも近くに工房を持ってて、そっちで焼き物とかはやってたみたいだぜ。そこの窓ガラスもそいつの作品。確か鉛とかいろいろ入ってるな。それはここで作ってたから俺も見てる。透明度が高くて強度も高いガラスを作るのにあれこれやってた」

「へええええええー」


 確かに窓ガラスは埃を拭き取ればすぐ綺麗になったし、ヒビも入っていなかった。厚みがあるせいかと思ったが、製法に秘密があったらしい。錬金術師にもいろいろ研究分野があるなあとカモミールは関心しきりだ。


「屋根が一番心配だったの。自分で直すのは難しそうだし。その前の前の持ち主の人に大感謝ね! 屋根裏部屋の床のささくれは自分で直せるし、外壁が傷んでるところもテオがはしごを使えば全部塗れそう」

「ささくれ危ないから、掃除の前に床から修理した方がいいと思う。ミリーが怪我したら大変だからね。 蜜蝋と研磨剤あるかな?」

「蜜蝋と研磨剤ならどっかそこら辺にあるぜ。古布はねえけど」

「布はカーテンがボロボロになってたくらいだもんね……」


 確かに、ささくれだった床を四つん這いで進むとなると怪我が怖い。尖った木片で怪我をすると傷口は狭く傷自体は深くなることが多く、ばい菌も入りやすいのだ。先に古布をどこかから調達してこようという話になり、今度はカモミールが買い物に出ることになった。

 その時、開けっぱなしになっていたドアが遠慮がちにノックされた。


「こんにちは。突然お邪魔してごめんなさいね」


 顔を出したのは、髪を緩く巻いてまとめた老婦人だ。ノックは遠慮がちだったが、目は好奇心いっぱいの少女のようにキラキラと輝いている。


「私は隣に住んでいるエノラっていうの。錬金術師のお嬢さんがお隣に引っ越してきたってヴァージルちゃんから聞いたものだから、差し入れを持ってきたのよ。簡単な物だけど食べてくれると嬉しいわ」

「あっ、ミリー、例の僕が間借りする家の奥さんだよ。うわあ、そろそろお昼ご飯にしようかなって思ってたんですよ。ありがとうございます!」


 ヴァージルの紹介で慌てて椅子から降り、スカートの裾をはたいてエプロンをまっすぐにした。


「初めまして。今日からこの工房に住むことになったカモミール・タルボットです。こちらからご挨拶に伺わなきゃいけないところを、わざわざありがとうございます」

「いいのいいの。さっきヴァージルちゃんが久しぶりに来てね。部屋を借りたいって言い出したときには驚いたけど、こんな可愛いお嬢さんなら隣で守ってあげなくちゃって思うわねー。あらあらー、まあお若いのにしっかりしてて」


 エノラは所々白髪が交じった灰色の髪で、日焼けした顔には無数の皺が刻まれているが、腰も曲がっておらず元気そうな老婦人だった。片手にカゴを持っていて、白い布が上に掛けられている。中身は軽食なのだろうと察しが付く。

 それにしても――。


「多分私、エノラさんが思うほど若くないので……」


 毎回この勘違いに苦労する。おそらくエノラはカモミールを15.6歳の少女だと思っているのだろう。


「よく未成年と間違えられるんですけど、これでも20歳なんですよ。たまに酒場で飲んでると周りの人に止められちゃって」


 それも一度や二度ではない。他人の勘違いをただすというのが少し気まずくて、カモミールはなんとはなしに頬を指先で掻いた。


「あら! 20歳? うちの孫と変わらないのねぇー。15歳くらいかと思ってたわ」

「よく言われるんです……。やっぱり、大人っぽくしたほうがいいですかね」


 今の自分のスタイルは嫌いではないが、若く見られると困ることは多々起きる。事前にわかっているなら服装と化粧でなんとかなるが、毎日毎日化粧をするのはカモミールの性に合わない。悩みの種ではある。


「若く見えるのはいいことよ! 歳を取るにつれてどんどんそう思うようになるわ!」

「うん、ミリーはそのままが一番可愛いよ!」

「そうそう、ヴァージルちゃんも見た目で年齢がわからない子だけど、若く見えるのが一番――!?」


 エノラが不自然に言葉を詰まらせ、抱えていたカゴを落とした。何事かと彼女の視線を追うと、その先にはテオがいる。


「あ――」


 しまった、テオを隠しておくのを忘れてた! カモミールは内心で叫ぶが既に遅い。テオは人間同士のおしゃべりを錬金器具を磨きながら興味津々で聞いていたのだが、エノラの視線が自分に注がれているのに気づいて「俺か?」と自分を指さした。


「あっ、えーと、この人はですねえ」


 錬金釜の精霊とかいきなり名乗られたら驚かせてしまう。世界の表舞台から魔法使いは消えて久しく、精霊は人々にとって身近なものではなくなった。

 けれど、エノラの反応はカモミールの危惧とは全く逆方向のものだった。


「かぁっっっこいい! あらやだ、どうしましょう、私ったらこんな格好で。きゃー、こんな格好いい人そうそう舞台でもみないわよ? ヴァージルちゃん、この方どなた?」

「えっ? あ、えーとね、彼はテオ。ミリーの助手なんだ」

「テオさん? テオさんね。握手してもらっていいかしら! いやぁぁぁ! 寿命が延びるー! 私ね、舞台に出てる若くて格好いい役者さんに目がないのよー!」


 三人が呆気にとられる勢いでエノラがしゃべり始めた。

 彼女は6年前に夫を亡くし、物凄く沈み込んでいた頃に友人が見かねて観劇に誘ってくれたそうだ。

 王都でも有名な劇団がカールセンの劇場で公演をしたもので、華やかな舞台に現実を忘れ、更に主役を演じた役者の虜になり、気がつけば彼の肖像画を買いまくって帰宅していたのだという。


 それからは観劇が生き甲斐になり、若くて美形の役者を応援するのが心の潤い。眼が合おうものなら寿命が10年延びる気がする――カモミールたちが口を挟むことができない勢いの自分語りが続く。時々個別の役者の話になり、話しながらいろいろ思い出すのか「きゃー!」と叫んで顔を覆っている。


 ヴァージルは苦笑しながらカゴを拾い上げ、カモミールは口を半分開けてエノラの黄色い歓声を聞いていた。


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