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第12話 それでも前を向く

 何かを察したのか、テオも言葉の途中で口をつぐむ。


「……気づかなかったの。私たちふたりとも夢中すぎて。

 先生はいろんな予兆を見逃して病気を悪化させて、今年の初めに突然倒れたの――手の施しようもなくて、私は何もできなかった。

 それでね、あまりに悪化していくのが早くて、先生は遺言も何も残せなかった。私と先生の『ミラヴィア』は、立ち上げたときに私がまだ半人前で商標に名前を登録してなかったせいでガストンに取られちゃって、私の手元には化粧品の販売利益からもらい始めたお金だけしか残らなかった。

 信じられる? 先生が亡くなってからたった3日なの。先生の遺産を相続するのは息子のガストンだから、葬儀が終わった途端住み込みだった私はいきなり追い出されてさ……。本当に、私の衣装箱とか小物入れとかボンボン外に出されて、『ここはもうおまえの家じゃない。出て行け』とか言われちゃって――。

 私、知らなかったよ、ガストンにあんなに嫌われてたなんて。あんなに睨まれるくらい、出て行けって冷たい声で言われるくらい、嫌われてるなんて気づかなくて……」

「…………」


 何度かテオはしゃべろうとしていたようだが、結局声に出すことはかなわなかったようだ。どんな言葉をカモミールに掛けたらいいのか戸惑っているのだろう。膝の上で握り締めた彼の手の甲に筋が浮いているのを見て、憂いを含んだ表情のまま、カモミールはついふふっと笑ってしまった。


「慰めようとしてる? テオっていい子だね」


 途端にテオが顔を赤く染める。図星を指されたのが恥ずかしかったのだろう。


「いい子って! 俺は千歳だからな!? おまえよりずっと歳上なんだぞ?」

「でも人間1日目でしょ」

「……ま、まあな」

「うんうん、素直でよろしい。……まあ、そんなわけで昨日先生の家を追い出されちゃってね。ありったけの荷物を持って友達の家に泊まったんだけど、いつまでもそうしてられないし、部屋を借りようと思って商業ギルドに行ったらこんなおあつらえ向きの工房が、出てるもんだからさ。これは独り立ちの機会だ! ってその場で購入して今に至るってわけ」


 テオはカモミールの足下から顔までゆっくりと目を滑らせていった。カモミールの紺色のワンピースの裾は、埃で白っぽくなってしまっている。あまり掃除向きではないが、錬金術向けの服装とは言える。


「なに、人のことじろじろ見て」

「逞しいな、って思ってよ」

「泣いてても仕方ないし、先生とやってきたことは楽しかったし、先生も楽しいねっていつも言ってくれてたし。結末はこうなったけど、私たちの楽しかった思い出は決してなくならない。――それに、『ミラヴィア』のブランドは取られたけど、大事なものは全部ここにあるから」


 カモミールは自分の頭を指でトントンと叩いた。「ミラヴィア」のブランドで出した化粧品のレシピは紙に書き出して残してはいない。全てカモミールの頭の中にある。


「先生と作ったレシピ、覚えてるのはもう私だけ。名前だけ『ミラヴィア』を使っても品物が変わったらお客さんはすぐ気づくから。ガストンは先生と大成功した私を妬ましかったかもしれないけど、私の何も奪えたわけじゃないんだから。先生との思い出も、ふたりで作ったレシピもね」

「つまり、おまえ独自のブランドを作って化粧品を出すのが当面の目標か?」

「もちろん! 錬金術を使わなくても化粧品自体は作れるけど、繊細な色を出したり新機能を持った化粧品を作ったりするのは錬金術師の私の大得意なところだよ。『小さな錬金術』だからテオはつまらないかもしれないけど」

「それで儲けたら何かでかいことやろうぜ。賢者の石とかよ」


 にやりと笑ったテオの顔は、そうしているといたずら小僧の様な雰囲気になる。フレーメ派らしい「でかいこと」にカモミールは苦笑した。

 少しだけほのぼのとした空気が流れたが、ドドドド! とドアを激しくノックする音でふたりは飛び上がりかけた。


「ミリー! 荷物持ってきたよ!」


 一気にカモミールの荷物を引き上げたのだろう。手押し車を傍らに置いて、ヴァージルが肩を上下させながら玄関を開けて飛び込んできた。カモミールより白い顔には汗が筋になって流れていて、袖は捲り上げられている。物凄く急いできたというのが一目でわかった。


「えええ、早い! ありがとうヴァージル、中で休んで? テオとしゃべってたからまだ全然掃除もできてないよ」

「それと、ここの隣の老婦人の家に間借りすることになったから!」

「え、誰が?」

「僕が! ミリーとテオだけじゃ心配だから、僕も隣の家に住むね!」

「どんな展開の速さー!?」


 先ほどテオが家を出て行ってからまだ30分も経っていない。その間に手押し車を借りて、タマラの家へ行ってカモミールの荷物を引き上げ、近所の家から間借りできそうな家を探して交渉して――。ヴァージルの行動を考えて、カモミールはくらりとめまいがした。


 このふわふわの幼馴染みは、時々行動力がとんでもないんだった……。


 ガストンに家から追い出されたときも、誰かから聞きつけて信じられない速さで職場から飛んできたヴァージルのことを思い出して、カモミールは思わず遠い目になっていた。


「あ、ねえ、ヴァージル! ひとつ相談があるんだけど。テオが魔力使ってポーション作ればね、今のポーションとは比べものにならないくらい高品質の物が作れるって! ブランドを作るにしても軌道に乗るまで、それを金策にするのはどうかなあ」


「んー……テオが魔力を使ってポーションを、かぁ」


 ヴァージルは手を軽く握って顎に当て、難しい顔で考え込んでしまった。その反応では、あまり良策とは言えなさそうだ。


「はっきり言うけど、やめた方がいいと思うよ」

「どうして? 錬金術ギルドを通さなきゃいけないことに関しては、名義借りとかいろいろ抜け道があるし……」

「ううん、そうじゃなくて。精霊が減った理由はマナの減少だろう? テオは千年掛けて人間の姿を取れる精霊になったけど、魔力を使っちゃったらどこから補給する? 人間の魔力は食事をして、きちんと睡眠を取れば体力と同じように回復するものだけど、食べないし眠らない精霊が魔力を使ったら、大気中のマナだけで回復出来る量はたかがしれてるんじゃないかな。下手すると魔力を使いすぎたら存在がすり減って消滅する危険もある。自分が大事なら、魔力は極力使わない方がいいと僕は思うよ」


 最後の言葉はテオに向けたものだった。笑顔のないヴァージルを見て、それが冗談でも何でも無いことにテオは気づいたのだろう。彼の顔から血の気が引いていた。

 カモミールは思いも寄らないことばかり聞かされて、魔力について知識が余りにも少ないのを実感するのと同時に、逆にこんなにも詳しいヴァージルが不思議になる。


「なんでそんなに詳しいの?」

「僕は魔力持ちだから。それに精霊眼だから魔力もある程度見えるんだよ」

「はー、つくづくヴァージルって不思議ー」


 頬杖をついてカモミールはため息をついた。

 不思議なことはヴァージル以外にもいろいろあるが、錬金術も不思議なことだらけだ。未だその理論は全て解明されておらず、完成しない学問とも言われるほどなのだから。


 なので、不思議と思ったことをその場で追求していると時間がいくら合っても足りないと言うことをカモミールは知っている。ヴァージルのこともとりあえず置いておくことにした。

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