「私の実家はここから1日くらい離れたところにある結構大きい農場なんだけどね、15歳の時にロクサーヌ・シンク先生に弟子入りしてこのカールセンに出て来たの。ロクサーヌ先生と出会ったのは6歳くらいの時なんだけど、15歳になるまで弟子入りは許してもらえなくて」
「へえ、有名な錬金術師なのか?」
「結構有名よ、現代の錬金医としては五本の指に入ると言われてた時期もあったみたい。……私が小さい頃、体中湿疹が酷くて、毎日毎日お薬を飲んで、体がべったりするくらい薬を塗らないといけなくて凄く辛かったんだ。そんな時に、お父さんの知り合いから私のことを偶然聞いて、先生が会いに来てくれたの」
当時のことを思い出してカモミールは切なくなった。
部屋から出ることもできず、暑い日には痒みが増すので氷室から切り出してきた氷を布に包み、母が肘の内側などを冷やしてくれていた。
夏はカモミールにとって辛い季節だった。そんな夏の日に、ひまわりの花を抱えた見知らぬ女性がやってきて、それこそひまわりの花のような明るい笑顔でカモミールに告げたのだ。
「大きくなるにつれて少しずつ良くなっていく病気ではあるけど、今が辛いんだもんね。絶対治してあげるからね。来年の夏は一緒に水遊びをしましょう」と。
それまでカモミールは水遊びなどした記憶が無かった。極力刺激がないように、カーテンを閉めた涼しい部屋で寂しく過ごすのが彼女の夏だったから。
「先生が錬金術で作ってくれた薬と石けんは、お医者様から出してもらった薬よりよく効いた。その頃の私は、かきむしっちゃうから頭のてっぺんから足首までかさぶただらけで、痒みが酷くて辛くて寝られないときもあったくらいだったの。それが、1年もしないうちにすっかり治ったんだよ」
遠い昔の苦い記憶を引き出して、カモミールはそっと手首を撫でる。薬を塗った後かきむしらないように、毎晩母が包帯を巻いてくれていた。朝になると薄黄色い浸出液が乾いて所々固くなった包帯を取りながら、母は目にうっすらと涙をためていた。たびたび母は「ごめんね」とカモミールに謝っていて、幼い彼女にはその意味はわからなかったが、今ならわかる。
原因がよくわからず、治療をしても一向によくならない湿疹に苦しむカモミールの姿を見て、母は罪悪感を抱えていたのだろう。産んだ自分に責任があるのではないかと思って。
翌年再び訪れたロクサーヌは、約束通り初めての水遊びを一緒にしてくれた。もう包帯を巻く必要は無く、軽い注意事項をふたつみっつ説明されただけで、カモミールの母は泣きながらロクサーヌを神像に対するように拝んでいた。
カモミールほど酷くはないが湿疹に悩まされていた姉も一緒に治療を受けた結果、完治している。ロクサーヌ・シンクはタルボット家にとっての恩人であり、光だった。
「錬金薬と、医師が普通に作る薬じゃ理論が違うからな。まあ中には錬金薬を取り入れてる医者もいるらしいけど、聞いた話じゃ錬金術を毛嫌いする医者もいるんだろう?」
「そうね、錬金術は科学ではあるけど、理論が実証し切れてないところもあるから。私が小さい頃診てもらってた村のお医者さんは、錬金薬否定派だったみたい。錬金術を勉強した今だからわかるけど、私の湿疹は小児性のもので、成長に伴うエーテルの乱れが原因のひとつだったの。魔力無しだったせいで調節が全然できなかったのが、重症化した理由ね。そこに原因に合わない薬が追い打ちを掛けてたって訳。
錬金薬はそのエーテルに働きかけて正常に戻すから凄く効いたんだ。ロクサーヌ先生はそれを見抜いてたし、適切な薬を私に合わせて作ってくれた。凄く尊敬したし、私大きくなったら絶対この人の弟子になるんだー! って憧れたわ」
「わからなくはねえな。俺もたくさん錬金術師を見てきたが、やっぱり医師もやってるやつは人気があった」
テオは昔の主たちを思い出しているのか、カモミールの話にうなずいて得意げに笑う。
「で、成人してからって約束だったから、15歳になってすぐロクサーヌ先生に弟子入りした。住み込みで錬金術を教わる代わりに、一人前になるまでは基本はお給料なしで、家の手伝いをしたりすることを条件にしてね。
先生にはガストンっていう息子がいてね、私が弟子入りした頃にはもう独立した錬金医として仕事をしてたの。歳は私より13歳上で、私から見たら兄弟子ってやつね。……ガストンとは別に仲良くも悪くもなかった。歳が離れてるせいもあったし、先生が力を入れて教えてる分野もちょっと違ったから。先生はガストンに錬金医としての知識と技術を中心に教えて、私には一通りの基礎知識を教えた後、化粧品や石けんのことを教えてくれたの。魔力無しだから、ポーションを作ったりする必要の無い『小さな錬金術』の道を歩ませようと思ったんだろうね」
「その『魔力無し』なんだけどよ、錬金術にどのくらい影響があるんだ? 俺の知ってる錬金術はポーション作るにも魔力を使うのが当たり前だったから、魔力無しで作ったポーションってのが想像つかねえ。ぶっちゃけ、薬草の煮汁にしかならねえんじゃねえのか?」
身を乗り出して興味津々で聞いてくるテオにカモミールは苦笑した。自分がかつて作ったポーションのことは記憶の底に沈めたままにしておきたかったが、彼の好奇心に応えるにはそうも言っていられないらしい。
「さすが、長いこと錬金術を見てきただけあるのね。その通り、ただの薬草の煮汁にしかならなかったのよ。まあ、元が薬草だからそれでも症状に合わせて使えば気休め程度の効果はあるんだけどね。錬金術ギルドの調査の結果だとね、今のハイポーションが200年前のポーションの半分以下の効果しかないんだって。僅かでも魔力があれば私が作った物と比べものにならないちゃんとしたポーションが作れるけど、それでも昔と効果は雲泥の差ってことね」
「それなら俺がポーションを作れば、結構いい値で取引されるのが作れると思うぜ! なんせ魔力の塊みたいなモンだからな!」
自信満々自分を示すテオにカモミールは一瞬はっとしたが、そこで生じる問題に気づいて唸り始める。
「そりゃあ、精霊のテオが魔力を注いで作ったら、凄いポーションができそうだけど……。錬金術師にはギルドがあって、錬金術で作った物を販売したりするには登録しないといけないわけ。私は化粧品の作成で有名になっちゃって魔力無しって知られちゃってるから、私の作った物ですって嘘は絶対つけない。テオが錬金術ギルドに登録するのは――有りなのかな? 人間じゃないって知られたら大問題になりそうだし、経歴を詐称しても長い間ごまかすことは難しいよ」
「ああ、多分外見変わらねえからな……。ヴァージルみたいに精霊眼持ちのやつがいる可能性もあるし。何か他の方法を考えるか」
「そうだね、ヴァージルが戻ってきてからちょっと相談してみようか。
それでね、私が16歳の時、先生と私のふたりで研究して作り出した『ミラヴィア』っていうブランドの化粧品を初めて発売して……すっごくドキドキしたし、楽しかった。ヴァージルが初めてお化粧してくれたのもその時かな。毎日夢中でいろんな化粧品を作って、新しい色とか研究してるうちに、『ミラヴィア』はこの国一番の有名化粧品になってた」
「……おまえ、その割には」
楽しかったと口にするくせに、カモミールは寂しそうな顔をテオに見せていた。