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第9話 フレーメ派とマクレガー派

 テオドール・フレーメが錬金術の黄金時代を築いたのは、300年ほど前のことだ。彼はそれまで理論上は可能と言われていた賢者の石の錬成をとうとう成功させ、知恵の小人と呼ばれるホムンクルスを生み出し、万能薬エリクサーで不治の病すら癒やし、錬金術の極致とされた金を小山のように作り上げて富を積んだ。栄光に包まれた彼の錬金術師としての経歴だが、「彼に作れないものは毛生え薬以外無い」という言葉は定番の冗談として民衆に広まっている。


 その上テオドールはただの錬金術師であるに留まらず、柄に賢者の石を嵌め込んだアゾットと呼ばれる長剣で自ら戦う冒険者でもあった。フレイムドラゴンの討伐譚などは、フレーメが死後教会から破門されても、吟遊詩人の好んで歌う、誰にでも馴染み深い逸話になった。


 しかし、テオドールの死後、錬金術は急激に斜陽の時代を迎える。

 幾人もいた弟子は彼の至った境地に辿り着くことはできず、まず技術としての錬金術が衰えた。

 そこに重なるように、魔法使いの資質を持つこどもが突然減った。魔法使いを管理する魔術師の塔が早い段階で異変を感じて調査をしたところ、魔力の源となるマナが世界中から減っていることを突き止めた。


 錬金術という科学の進歩に道を譲るように、原始の力と言われた魔法はこの頃からどんどんと消えていった。しかしそれは皮肉にも、魔力を使う錬成を行っていた当時の主流の錬金術の先がないことを示していた。



 状況が変わったのは80年程前のこと。

 大陸中に疫病が蔓延し、実に人口の2割にも及ぶ死者が出た。

 大疫禍に人々が疲弊しきったとき、アリッサ・マクレガーという医師であり錬金術師でもある女性が疫病の原因を突き止めたことがきっかけで、この病は終息へと向かった。


 アリッサは夫と息子を病で亡くしながらも研究を続け、医師としての知識によりこの病が徹底した衛生管理により防げるとの結論に至った。そして、錬金術師としては石けんの大量生産を行い、体表の清潔さを保つこと、特に念入りな手洗いを推奨。意図的に石けんの価格を大幅に下落させ、平民であっても誰もがパンと同じように簡単に手に入れられる物にした。

 最初は私財を投じて行われた石けんの貧民街などへの配布は、当時の国王の理解により国費によって賄われるようになった。そして、安価な石けんの製造法を他国の錬金術師に対してでも惜しみなく開放したために、大陸から疫病を駆逐することに成功する。


 最初こそ入手しやすい獣脂が石けんには使われていたが、それだけでは供給が追いつかなかったために当時は高価であった植物油も材料として使われるようになった。それ以来、油の採りやすい植物、特にオリーブの生産は気候の適応する各所で奨励され、植物油を主な原料とする生臭い匂いもせず日持ちしやすい石けんが普及した。


 アリッサはその後も錬金術と医術を融合させた錬金医として活躍し、自らの錬金術を身の回りのささやかな物を作る錬金術として「小さな錬金術」と称した。これに対して従来の錬金術は「大錬金術」とも呼ばれるようになる。


 疫病の終息からちょうど20年、55歳で生涯を閉じたアリッサの錬金術はマクレガー派とも呼ばれるようになり、近代錬金術の祖としてその名を残したのだ。




 紺色のスカートが床に触れないように気をつけながら、カモミールは錬金釜の精霊の側にかがみ込んだ。手を伸ばして揺すり、彼を起こそうとする。


「寝てる場合じゃないですよー、起きて起きて」


 しばらく揺すっていると、眉間に皺を寄せて錬金釜が唸りながら身を起こした。彼の着ている茶色いローブは、見事に埃まみれで白くなっている。


「起きた? まずそのローブ何とかしようか。脱げる?」

「いや待て……これは変えられそうな気がする……こんなんでどうだ」


 カモミールとヴァージルの目の前で、小汚くなったローブは白いシャツと黒いズボン、それに革のベストとショートブーツという出で立ちに変化した。ヴァージルと同じ服装なのは言うまでもない。ヴァージルは笑顔を崩さず「一般的でいいんじゃないかな」と受け流している。


「まずちょっと、いろいろ確認したいことがあるんだけど」


 カモミールは身振りで錬金釜に椅子を勧め、自分も椅子に腰掛けた。


「私はこの工房の持ち主です。名前はカモミール・タルボット。愛称はミリーよ。カモミールでもミリーでも好きな方で呼んでいいわ。彼は私の友達でヴァージル・オルニー。あなた、名前は?」

「カモミールか、よろしくな。俺の名前は――名前はないな」


 顎に手を当てて考え込む錬金釜にカモミールは少し考え込み、パチリと指を鳴らした。


「テオドール・フレーメのそっくりさんなんでしょ? じゃあテオでよくない?」

「俺の好きでそっくりさんなんじゃねえけどなー!? 気がついたらこの姿形だったんだよ!」

「でもテオドール・フレーメ大好きでしょ?」

「そ、そりゃ、まあ……な。テオ、テオか……。悪くはないな」


 なぜか照れる錬金釜に、決まりね、とカモミールは手を叩いた。


「ミ、ミリー! 何やってるの!? 精霊に名前を付けるっていうのは、その名前で精霊を縛るっていうことなんだよ!?」


 蒼白になったヴァージルがカモミールの肩を掴む。聞いたことのない話に目を瞬かせながら、カモミールは首を傾げる。


「何か問題あるの?」

「大ありだよ! 精霊に名付けをして使役するには魔力が必要だって言われてる。ミリーは魔力なしだから、何か別の代償を払ってるはずなんだ」

「別の代償……って、例えば?」


 自分が魔力を持たないことは自覚していたし、魔法や精霊というものに今まで関わることがなかったので、カモミールにはヴァージルが慌てているのが理解出来なかった。


「寿命、とか」


 重々しく告げられたその一言で、カモミールは体中が凍り付いたような衝撃を受けた。ほんの少し前の自分に、軽率なことはするなと警告したい気持ちで一杯だ。


「寿命!? ど、どのくらい持って行かれるの?」

「ごめん、僕もそこまでは知らない。寿命とも限らないし、魔力に匹敵するもの、としか……」

「テオは知ってる!? 精霊なんだから知ってるんじゃないの?」

「いや、俺も知らねえけど――おい、カモミール。髪」

「髪? 髪がどうしたの!? まさか私テオに名付けたからフレーメみたいに禿げた!?」

「いやいや、そんな訳ねえだろ、どんな呪いだよ、そりゃ。そうじゃなくて、おまえの髪の毛、ちょっと短くなってんぞ」

「うええっ!?」


 テオの言葉を確かめようとカモミールが自分のお下げを手に取ろうとした瞬間、髪を束ねていた紐がはらりと落ちた。頭を動かすと、もう一本の紐も床に落ちているのが見える。


「本当だ、短くなってる……。でも結んでた先くらいかな。もしかして、私の髪の毛が代償?」

「そうだよ! 女性の髪には魔力が宿るって話があるくらいだからね! あああ、ミリー! 良かったよー、ミリーの寿命じゃなくて本当に良かった」


 ヴァージルががばりとカモミールに抱きついた。彼が震えているのに気がついて、とんでもない心配を掛けたのだと申し訳なくなる。


 それにしても、自分は「魔力無し」なのに髪の毛には魔力が宿ってるのか――そう思うと複雑な気持ちになるカモミールだった。

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