カモミールは手招かれるままに怖々家の中に入る。家の中ではふてくされたような顔をした男が椅子に座って長い足を組んでいた。
「ミリー、こっちの椅子にかけなよ」
「あ、うん。ありがと」
甲斐甲斐しくヴァージルが埃を払った椅子を引いてくれた。椅子は腐ってるのではと思いきや、恐る恐る触ってみたところ問題なさそうだ。石でできた床も問題ない。それにカモミールは安堵した。
三人が座り終わったところでヴァージルが咳払いをすると、男が挙手して自己紹介を始めた。
「あー、まず、俺は錬金釜の精霊だ。人間じゃねえ。人の姿を取れるようになったのはついさっきだ。それで、錬金術のことしかわからねえから、錬金術でひとつでかいことやってやろうと思って、まずは掃除してた。以上」
「信じると思う? 私が昨日ここを買い取って鍵を受け取ったばかりだけど、どう見てもあなたは不審者よ」
カモミールが半目になって男を見やると、男はやれやれといったジェスチャーで立ち上がり、そのまま姿を消した。
「消えたー!?」
「うん、消えたね」
カモミールは叫び、人間ではないと既に看破しているヴァージルですらやや驚いている。そして元の場所にすっと男が得意げな顔で姿を現した。
「器物も百年で魂が宿るって話があるだろ。俺はまあ作られてから千年ってところだな。ちなみにこの見た目はかつてここの工房主だった大錬金術師のテオドール・フレーメの姿だ! イカしてんだろ? テオドールの若い頃はそりゃあモテたんだぜ」
「ねえねえミリー、ここ見てごらん、この錬金釜の造られた日付が彫ってあるよ」
「ほんとだー。ぴったり千年なのね。古いしでかいし邪魔だけど、精霊付きともなると粗末な扱いもできないわね、面倒くさっ!」
言葉の半ばで釜本体の方へ向かってしまったカモミールとヴァージルの反応で、錬金釜はがくりと肩を落とした。
「ありがたがられることは考えてたけど、古いしでかいし邪魔なんて言われるとは思わなかった……」
「だって私フレーメ派じゃないもん。でっかい錬金釜でどかっと素材混ぜたりするやり方しないし。そもそもポーションとか作らないし」
「じゃあ何作ってんだよ? フレーメ派じゃなかったらなんなんだ!?」
色めき立った錬金釜の精霊が椅子を倒す勢いで立ち上がる。カモミールはフンと鼻を鳴らし、過去に何度もしたことのある説明を慣れた様子で錬金釜の精霊に向かって言い放った。
「私は『小さな錬金術』のマクレガー夫人派なの! 作ってるのは主に化粧品とか石けん。生活錬金術という分野よ」
「錬金術師は金を作ってなんぼだろー!? じゃあ、じゃあおまえよぉ、『錬金術師』なのに金を作ろうとしてないのか!?」
語気荒くカモミールに詰め寄った錬金釜は直前でヴァージルに止められ、スンッとした顔のカモミールに冷たく一言で切り捨てられた。
「そういうこと。大体、フレーメは金を作って有名になったけど、その30年後にはそれが原因で隣国と戦争になったし、今は金を作るのは世界中で禁止されてるよ。経済がめちゃくちゃになったからね」
「そ、そんな……」
「ホムンクルスを作ったことでも、神の領域への冒涜だって問題になって、やっぱり死後だけど教会から破門されてるし。もちろんホムンクルスの錬成も今は禁止」
「マジか!」
錬金釜は膝から崩れ落ち、床に倒れ込んでもうもうと埃を舞い上がらせた。動かないところを見るとそのまま気を失ったらしい。
精霊も気絶する――。カモミールの知識に微妙にいらない事項がひとつ追加された。
床に倒れている自称錬金釜の精霊をまたいで通り、カモミールは工房の中を見回り始めた。事前に付属している機器のリストと間取りは見ていたが、実物を見るのは今日が初めてだ。
「うわー、蒸留器もあるし、乳鉢も大きい! ビーカーもフラスコもたくさん! ここの前の持ち主、お金持ちだったのかしら? 古いにしてもガラス製品が凄くたくさんあるわ。むしろないものっていったら香油水蒸気蒸留装置くらいかな。あれは高価だから欲しかったけど、精油を使わない錬金術師だと、興味も湧かないかもしれないわね。――まずドアと窓を開けて埃を外に出さないと。ヴァージル、そっちの窓開けてくれる?」
「いいよ。……って、うわー、カーテンがボロボロだね。触った途端に崩れたよ。でも、窓ガラスは下手したら全滅してるかもしれないと思ってたけど、窓が小さいせいか割れずに残ってて良かったね」
「わっ、布ってこんなになっちゃうの? 布の劣化怖いね!? これは掃除が大変そう。――水道よし、ちゃんと水も出るけど濾過器通さないと使えないね。蒸留器とカゴもあるけど、これはあのでっかい錬金釜に設置しないといけないやつか。ちょっと効率悪いなあ。うん、作業台が広いのはいいね。おっと、こんなところに折れたガラス棒が。ここって本当に、前の人が使ってたままなんだねえ」
やはり現物を見て実感したが、ここは住居ではなくあくまで工房で、後付けらしい水道は引かれているものの居住用の設備はない。錬金釜の作られた日付からいって、石造りのこの古家も「築500年以上」とは言われていたが千年前に建てられたと言われても信じられそうだった。
「これどうする? このまま転がしておく訳にもいかないよね」
ヴァージルが示しているのは背が高い故にかさばっている錬金釜の精霊のことだ。
うーん、と腕を組んでカモミールは唸る。古家、錬金道具付きまでは了承済みだが精霊付きとはちょっと聞いていない。害がなさそうなのが救いだが。
「さっき掃除してたみたいだし、起こそうか。この工房の備品であるからには働いてもらおうっと。――ところでヴァージル、さっき言われてた『せいれいがん』って何?」
「そんなこと言われてたっけ?」
幼馴染みはいつもと同じ笑顔でカモミールの言葉を受け流そうとする。カモミールもわざとらしく笑顔を浮かべてヴァージルに詰め寄った。
「聞こえたけどなー。あの時のヴァージルの動きの速さは驚いちゃったなー。よほど聞かれたくない話なのかなー? ……まあ、でも本当にヴァージルが聞かれたくない話なら、これ以上聞かないよ」
最後は自分から引いたカモミールの態度に、ヴァージルは蛍石の色をした目を少し泳がせ、小さなため息をひとつついた。
「僕の目は精霊眼って言うらしいよ。普通の人間には見えないようなものが見えてるんだって。四元素の精霊とか、あと幽霊とかも。ミリーの目にはこの錬金釜の精霊は普通の人間みたいに見えてるんだよね? 僕の目には体の周りにもやのようなものが一緒に見えてるんだ。精霊独特の見え方だから、一目で精霊だってわかった。――このことは秘密だよ。精霊が見えるって知られるといろいろ面倒なことがあってね」
最後は声を潜め、ヴァージルは立てた人差し指を唇に当てて見せた。ヴァージルの真顔に、カモミールはあんず色の髪を揺らしてうなずく。
魔法使いなんてほとんど消え去った時代に、こんな身近に精霊を見ることがいる人間がいたことは驚きだが、「ヴァージルだからそんなこともあるか」で納得出来る気もする。
「わかった。それは秘密にする。でも、短剣持ち歩いてるのも始めて知ったし、妙に手慣れてるし、今日はびっくりすることばっかりだよ」
「……ごめんね、ミリー。ミリーに話せることは話してるよ」
「全部話してとか言わないよ。私はヴァージルの家族でも恋人でもないんだしね。友達だから、踏み込んでいいところとそうでないところは分けてるつもり」
カモミールの頭を撫でようとしたのか、頭に伸ばしかけていた手をヴァージルは途中で止めた。ややためらってから何もせずに引っ込める。
「この話はこれで終わり! さて、ここに伸びてる長いのをどうにかしよう! 掃除はふたりより三人の方がはかどるからね」