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第7話 あいつもこいつも不審です

 朝食を食べ終わった絶妙のタイミングでヴァージルが迎えに来たので、早速カモミールは工房へと向かっていた。昨夜は工房のことを考えるとドキドキしすぎ、タマラから「一杯だけよ!」と言質を取っていたワインを飲み損ねた。

 興奮しすぎていて眠れないのではないかと楽しい夕食を過ごしながら思ったのだが、自分が思っていた以上に彼女の体は疲れていたらしい。丸まった姿勢がちょうど収まりがいいソファに横になり、タマラに毛布を掛けてもらったらすぐに寝付いてしまった。


「うううう、緊張してきたぁー! ついに私の工房、工房が! 私の工房! 私の工房だよ! わ・た・し・の、こーぼー!」

「はいはい、少し落ち着こうかミリー。息吸ってー、吐いてー。もう一回吸ってー、吐いてー。どう? まだ落ち着かないなら水でも飲む?」


 街外れの込み入った道を歩きながら、いつも通りにあんず色の髪をふたつのお下げに結ったカモミールは握りこぶしを作って震えた。一歩歩くごとにいきなりしゃがみ込んだり空に向かって吠えたりとなかなか忙しい。

 それに対して傍らを歩くヴァージルは、いつも通りのふわふわだ。時々カモミールは、ヴァージルは妖精か何かなのではないかと思うことすらある。彼の周りには、奇妙に現実感がないのだ。


 そのふわふわはいいときもあれば悪いときもある。今回はいい方に働いて、ヴァージルにつられたカモミールは深呼吸をして、肺の奥から空気を吐ききってしまうほどの深いため息をついてようやく落ち着いた。


「ミリーが緊張するのもわかるけどね、そんな勢いだと今日一日もたずに力尽きちゃうよ。掃除も買い出しもするんでしょ? 僕が手伝えてもミリーの指示は必要だからね」


 緑色の目を細める幼馴染みの青年を見つめて、カモミールはもう一度ため息をついた。


「……私もヴァージルみたいに落ち着いた性格になりたかったぁ」

「あはは、ミリーは今のままでいいよ。僕って職場では落ち着きすぎてて童顔のくせにじじくさいとか言われるからね」

「言われてみたいな! 落ち着きすぎてるとか。年齢より若く見られたことしかないもん。この童顔のせいでどこへ行っても舐められるし」

「髪型のせいもあるよ。そうやってお下げにしてると昨日みたいに15.6歳に見えちゃうからね」

「うぐっ……でもこれが一番髪の毛が邪魔にならないんだもん。確かにお化粧したら年齢相応に見えるかもしれないけど、調合するのにお化粧なんてしてられないし。不純物混入、ダメ、絶対」

「うんうん、だからミリーはそのままでいいよ。ここぞという舐められたくないときは、僕がしっかりお化粧してあげるからさ」

「ヴァージル……! 私が人間してられるのはあなたのおかげよ!」


 腕利きの化粧品店員である幼馴染みに手を合わせ、カモミールは目を潤ませた。

 作業が続いて寝不足のままで依頼人に会わなければいけないとき、ヴァージルが化粧で顔を作ってくれないとどうにもならないことがある。今まで何度かそうやって危機を乗り越えてきた。


 カモミールは20歳という実際の年齢よりははるかに幼く見えた。

 大きなはしばみ色の目、うっすらと鼻の周りと頬に散ったそばかすという容貌も少女めいているし、質素な紺色のワンピースにささやかながらもフリルの付いた白いエプロンを着けているのも若く見える。「エプロン姿のミリーはなんて可愛いの!」とロクサーヌは事あるごとに抱きしめていたくらいだ。

 年齢を勘違いされるのはカモミールのコンプレックスのひとつである。ただし、普段はあまり気にしていない。カモミールの中での物事の優先度は、対人関係よりも錬金術がずっと上にあるのだから。そして、お下げにエプロンという格好は若くは見えてしまうが、錬金術に適しているのだ。


「もうすぐだよね? この区画じゃなかったっけ」


 ヴァージルの言葉にカモミールは地図を確認する。昨日商業ギルドの職員が付けてくれた地図は、実際に道を歩いてみると「なるほど、これ地図が付いてないと無理だわ」と思わせるものだった。好意で付けてくれたのかと思ったが、そうではないらしい。物件に辿り着けないという苦情を事前に防いだだけだろう。


「うん、ここ曲がったら2軒目……のはずなんだけど。あれー?」


 カモミールが首をかしげたのは、それらしき古びた一軒家のドアが既に開いていたからだ。鍵は昨日受け取っているが、誰かが先に来ているわけはない。


 様子を見るためにふたりはそっと開いている玄関に寄ってみた。中からは機嫌の良さそうな鼻歌と、掃除をしているらしいパタパタというはたきがけの音が聞こえる。


「誰かいるね。場所は間違いないのに」

「鍵はここにあるのになんでー? もしかして泥棒?」

「……掃除をする泥棒?」


 ヴァージルの一言に、ふたりは同時に「ないない」と首を振った。


「ここって器具付きだから、素人に掃除されて壊されたら困っちゃう! 商業ギルドの誰かの好意だったとしてもやめてもらわなきゃ! すみませーん、この工房を買った者ですが!」


 雄々しく背筋を伸ばし、カモミールは工房に向かって声を掛ける。

 すると、中から鳥の羽を束ねたはたきを持った背の高い男性が姿を見せた。


 男性の長い髪は青く、高い位置で束ねられていて毛先だけが赤い。ヴァージルよりも更に頭半分ほど高いのでかなりの長身といえるだろう。ちょうどタマラと同じくらいだなと見上げる首の角度でカモミールは計算した。

 古臭いローブをまとってはいるが、掃除をしていたせいか袖が捲られていて形良く筋肉の付いた腕がそこから覗いていた。そして、邪魔にならないようにちょうどへその辺りでローブが広がらないように結ばれているはずの紐の位置から考えると、足が驚くほど長い。その体の上に乗っている顔も、10人いれば9人が認めそうな美形だ。


「ん? 何」


 羽はたきの柄で肩を叩きながら、青い髪の青年がカモミールを見下ろしてくる。その顔はただ不思議そうで、少なくとも泥棒のようには見えなかった。


「私、この工房を――ぐっ!」


 もう一度青年に向かって説明をしようとした途端、カモミールは息を詰まらせた。隣にいたヴァージルがカモミールの腹部に腕を回し、物凄い勢いで後ろに飛びすさったのだ。


「ミリー! そいつ、人間じゃない!」


 いつもふわふわとした青年の、初めて聞くような緊迫感漂う声が辺りに響き渡った。

 カモミールが聞いたこともないヴァージルの鋭い声に、体が自然と警戒態勢を取る。何かがギラリと陽光を反射して、それがカモミールを抱いていない右手でヴァージルが握っている短剣だと気づいて冷や汗が流れた。


 状況が、よくわからない。――それがカモミールの頭を埋めるただひとつのことだった。

 私のふわふわ幼馴染みはこんな動きができる人だったのか、とか、この短剣どこから出て来たの? 人間じゃないってどういうこと? なんでヴァージルはそれがわかった? など疑問が後からぷかりぷかりと泡のように浮いてくる。


 ローブを着た謎の男からひとまず距離を取ったヴァージルは、油断なく短剣の切っ先を男に向けていた。カモミールは混乱した頭で短剣の切っ先と、それが向けられた男の顔を見ていた。

 男は短剣を向けられても恐れる様子はなかった。それどころか――。


「おっ、わかっちゃう? 俺が人間じゃないってわかっちゃう? くぅ~、さすが俺! ……じゃなくて、なんだ、あんたの目。精霊眼じゃねー……」


 嬉しそうにペラペラとしゃべり始め、今度は最後まで言葉を言えなかったのは男の方だった。カモミールを解放したヴァージルが一言もなく男の腕をつかんで家の中に連れ去ったからだ。

 バタン! と音高くドアが閉まる。取り残されたカモミールが呆然としていると、しばらくしてからヴァージルがいつもと変わりないほんわりとした笑顔で現れた。


「とりあえず、ちょっと話そうか。中は半分くらい掃除されてるからさ」


 笑顔なのに、有無を言わせぬ圧力がある。冷たい汗が背中を流れるのを感じながら、カモミールはヴァージルの言葉にこくこくと頷いた。

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