仕事が残っているタマラを残し、カモミールはヴァージルと共に商業ギルドへ向かった。貸家の斡旋をしてもらうつもりなのだが、万が一にもカモミールの貯金で買えそうな家があったら買ってもいいと思っている。
「できるだけ早く入れるところがいいよね。ミラヴィアの在庫の問題もあるし」
ヴァージルに手伝ってもらいながら、家賃と間取りが簡単に書かれた紙を片っ端から見ていく。めぼしい賃貸物件は大家と相談して、工房にしてもいいか交渉しなければならなくて結構この後が手間だ。
家を買うなら誰の許可もなく工房にできるのがいいところだが、価格の問題がある。
「あれ? ヴァージルさん?」
ギルドの職員のひとりが、ヴァージルに気づいて声を掛けてくる。薄く化粧をした女性職員は、身だしなみに相当気を配っているように見える。
「ああ、キャロルさん。こんにちは」
女性職員にヴァージルが笑顔を向ける。これは営業スマイルだなとカモミールは看破した。ぼややん成分が微妙に少なく、カモミールに対するよりいくらか丁寧な対応だ。
「今日はお休みなんですか? 商業ギルドにどんな御用で?」
女性職員の方は営業モードには見えない。声が浮ついているし、ヴァージルに気があるのかもしれない。窓口の担当ではないようなのに、書類を抱えたままヴァージルに歩み寄ってくる。その様子がカモミールを少し苛立たせる。
ただし理由は「真面目に仕事しなさいよ!」というものだったので、これは恋愛感情による嫉妬ではないと無意識に確認していた。
「今日は彼女の手伝いで、借りる部屋を探しに来たんですよ。ご存じですよね、彼女が『ミラヴィア』を作っているカモミール嬢です」
「えっ! 『ミラヴィア』の!? わ、私大好きなんです! いつも使ってます! えっ、若……若いですよね? えっ、えっ、凄い、本物のカモミールさんにお会い出来るなんて」
ヴァージルの紹介で突然女性職員の興味の対象が自分に切り替わり、カモミールは慌てた。いつも使っていると言ってもらえるのはとても嬉しいが、今日はいろいろあって服も地味で薄汚れてしまっているし、化粧もしていない。
何より、よくあることだが実年齢よりはるかに年下に見られているっぽい。
「はい、私がカモミール・タルボットです。ミラヴィアを使ってくださってるんですね、ありがとうございます。でも私、これでも20歳なんですよ」
「そうなんですか!? 16歳くらいかと思いました!」
「……お化粧してないと、よく言われます」
飾り気のない二本のお下げが、また若く見える原因だろう。この年頃であればあまり三つ編みだけで済ませている女性はいない。
だが、カモミールにとっては何かをするのに一番邪魔にならないのがこの髪型であるのも事実だった。この際若く見えすぎるとかは二の次だ。
「そういえば、カモミールさんは新しいブランドで化粧品を出すんですか?」
「はい?」
突然の予期せぬ問いかけに思わず疑問形で返してしまった。知名度があるミラヴィアを発展させようというのがカモミールの第一の目標であり、新ブランドなどは全く考えてもいない。
困惑顔のカモミールに、軽く首を傾げた職員が答えをくれた。それはカモミールにとっては想定外な最悪の展開だったが。
「先程、シンク氏がいらっしゃって、ロクサーヌ・シンクさんの遺産について手続きを済ませていかれましたよ。その中にはミラヴィアの商標権もあったので、シンク氏がミラヴィアの権利を持っていますね」
「うっそぉぉぉー!!」
職員の言葉に、カモミールは思わず絶叫した。周囲の注目が集まったがそれどころではない。
ミラヴィアはロクサーヌとカモミールが共同で立ち上げたブランドだ。しかし、カモミールが15歳でロクサーヌの弟子になった時から始めているので、「将来的には半分の権利をミリーにね。でもそれはあなたが一人前になってから」というロクサーヌの言葉で権利自体はカモミールは持っていなかった。
ロクサーヌの話ではカモミールが20歳になった辺りを想定していたようなのだが、ちょうどその頃にロクサーヌが病に倒れ、権利関係があやふやになったままだったのだ。
売り上げ自体は、カモミールの作業量などによってきちんと分配はされている。――そのせいで、自分が商標権を持っていないということをすっぱりと忘れていたのだが。
「で、でもガストンは化粧品なんか作れないから、ミラヴィアの商標だけ持っててもどうしようもないのに……もしも化粧品を作るつもりがあっても、知識も技術も無いガストンが、先生の築き上げたミラヴィアの価値を落とすようなレベルの商品を表に出すとは思えない……」
「んー……でも、ミリーに対する嫌がらせにはなるよね。それと、今店舗にあるだけの在庫の売り上げはガストン先生の物になるし」
優しい顔をして厳しいことをさらりと言うヴァージル。カモミールは目の前が真っ暗になって倒れそうになった。ふらりとしたところで当たり前のようにヴァージルに支えられる。
せっかく前向きになっていたのに、ショックで魂が抜けそうだ。ミラヴィアの商標権という肝心なところを、自分が押さえていないことに気づかなかったことも悔しい。
「めまいがするわ……」
「ミリーは休んでいていいよ。僕もまさかミラヴィアの商標権がガストン先生の手に渡るなんて思ってもなかったし、驚いたよ」
ヴァージルはカモミールの手を引いてソファに座らせ、いたわるようなまなざしを向けながら頭を撫でてくる。
そういうことしてるとまた「恋人じゃないんですか?」とか聞かれるからやめてと言いたいが、口を開く気力も今のカモミールにはなかった。