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第3話 独り立ちの時

 カモミールがそのままタオルに顔を埋めてうぐうぐと泣いていると、彼女がなかなか戻らないことで異変を察したらしいヴァージルがやってきた。無言で抱きしめられて、背中をとんとんと優しく叩かれる。


「……そんなあやし方しないでよ。こどもじゃないんだから」

「ひとりで泣いてないで、悲しいことや辛いことは全部僕に話してよ。百歩譲ってタマラさんにでもいい。ミリーがひとりで悲しんでると、僕も胸がキューってなるんだ」

「百歩譲られたタマラでーす。あんたたち、本当にそれで付き合ってないの? 私の中の不思議案件1位なんだけど」


 ヴァージルの後を付いてきたらしいタマラが、壁に寄りかかってじっとりとした視線をふたりに注ぐ。


「付き合ってないよ」

「付き合ってないわよ。私とヴァージルは幼馴染みだから、変な距離感が慣れちゃってるのね」

「でも! 恋愛感情くらいあるんじゃないの!? ふたりとも15歳どころか20歳過ぎててそれでいいの!? 特にヴァージル、あんたの過保護は異常よ!」


 異口同音に返ってくる「付き合ってない」の言葉に、もどかしくなったタマラが地団駄を踏む。「ミリーのことが僕の最優先」などと堂々と言う男が、恋愛感情のれの字もないのはタマラの感覚からすると不自然が過ぎる。


「それが、無いんだよねえ。もちろんミリーのことは大好きなんだけど、僕は恋愛ってものがわからなくて」

「私も、恋愛的に好きかって言われたら『なんか違う』としか言いようがないんだけど。小さい頃からの友達で、故郷を離れた今でも一緒にいるのがヴァージルだけだから、タマラから見たら不自然に見えるのかなあ?」

「過保護過保護ってよくミリーにも言われるけど、僕の方がひとつ歳上だから仕方ないよね。小さい頃の1歳は結構大きいし」


 同じ角度で首を傾げるカモミールとヴァージルに、タマラは髪を掻きむしった。ふたりが極端に鈍いだけなのか、本当に単なる幼馴染みの域を超えていないのか判断が付けられない。


「とにかく、ミリーが泣き止んでよかったよ。そっとしておいてあげたいところだけど、今晩どこに泊まるのかとか、考えなきゃいけないことはいろいろあるからね」

「そっか……まずそこから考えなきゃいけないんだ」


 元気づけるようにヴァージルに肩を叩かれ、カモミールは考え込んだ。もう一度顔を洗って、今度は丁寧にタオルを押しつけるようにして水を拭き取る。


「――うん、こういうときは、いろいろやることがある方が余計なことを考えなくていいよね。むしろやること多くて大変かも! 泣いてる場合じゃないや、気合い入れなきゃ」


 カモミールはパシンと音を立てて自分の頬を叩き、気合いを入れる。彼女のその目にいつもの光が戻ってきたのを見て、ヴァージルとタマラは安心したように微笑んだ。




 少ない荷物を睨みながら、カモミールは椅子に腰掛けて足をぶらぶらとさせていた。

 やること、と一言で言っても、漠然としすぎていて考えがまとまらない。まだ頭がいつも通りには回らないのだろう。


「えーと、こういうときは時間が迫ってることから考えよう。まず、今晩泊まるところ。宿を取るにしても、荷物はここに置いていくことになっちゃうけどいい?」


 タマラの方を振り向きながら尋ねると、何言ってんのと言わんばかりにタマラが目を見開いた。


「新しく住むところが決まるまでここに泊めてあげるわよ。2階のソファしか寝られるところがないけど、ミリーはちっちゃいから寝られるでしょ」

「た、確かにあのソファでタマラが寝るのは無理だね」


 今までも何度か昼寝したことがあるソファを思い出し、タマラが寝たら盛大に脚がはみ出るだろうなと想像してカモミールは頬を引きつらせた。


「新しく部屋を探すとしても、ミリーは『ミラヴィア』の商品を作らないといけないから工房にできる物件が必要だね」

「工房――工房かあ……」


 自分の工房を持つにしても、もっと先のことだと思っていた。5年先か10年先かはわからないが、腕に自信を付けて、ロクサーヌから学ぶことがなくなってからのことだと。

 いつかは、と思ってはいたけれども、漠然としか考えていなかった未来が急に目の前に降ってきた気分だ。


「あんまりにも急で……ううん、そうじゃない。考え方を変えるのよ、私! 独立する機会が目の前にやってきたって思えばいいじゃない。資金的には準備万端とは言えないけど、まずは利益がしっかりしてる『ミラヴィア』を回すことだけ考えればいいのよ。ロクサーヌ先生が床についてしまってから商品の供給も少なくなっちゃってたし、逆に今が出せば売れるっていう大チャンス!」

「そうだよミリー! お客様からもミラヴィアの新しい白粉はまだなのかって聞かれるし、在庫切れになってるものもあるからね。本当にやることは多いよ」


 実際に店に立っているヴァージルの言葉は重みがある。急に目の前が開けたような気がして、カモミールはテーブルに手をつくと立ち上がった。


「物件探すわ。古くても不便でもいいから、工房にしてもいいって所をね。『小さな錬金術』は使う機材もそんなに大物はないし、危ないこともほとんどしないから許可は取りやすいはずよ! そしたら――」

「商業ギルドね。でもその前にお昼ご飯を食べなくちゃ。今ちゃんと食べないとミリーは倒れちゃうわよ。あー、時間に気がついたら急にお腹空いてきたわ。今用意するからちょっと待ってて」


 タマラが立ち上がってバタバタと台所に消え、丸いライ麦パンを切り分けた物にハムとチーズを乗せて戻ってきた。それをカモミールにひとつ、ヴァージルにふたつ持たせて、今度はコップとワインを持ってくる。

 みっつのコップにワインを注ぎ、瓶をテーブルに置くと、タマラはヴァージルが持っていたパンの片方を取り上げた。


「それじゃ、食べましょうか」


 タマラの一言で片手にパンを持ったままカモミールはワインに手を伸ばした。一口飲んで、それがいつもの物とは違うことに気づく。


「あれっ、このワインはスパイスが入ってる?」

「そうよ、クローブとシナモンが入ってるの。奮発したわ。景気づけよ!」

「おいしー。やだー、飲み過ぎそうー」

「ダメダメ、一杯だけよ! 酔っ払ったらこの後困るでしょ」

「ちょっとお金に余裕ができたらスパイス買って、お父さんに作ってもらおうかな!」

「その手があったか……大農場の娘は羨ましいわねえ」


 カモミールの実家はカールセンからさほど遠くはない村で、かなりの規模の農場を営んでいる。気候があまり合わないのかワインにするブドウは専門的には育てていないが、家族と従業員が飲む分くらいは確保出来るのだ。

 錬金術に使う素材も娘特権で育ててもらっており、仕入れには困らない。


「ねーえ、タマラー、このワイン今晩も飲んでいーい?」

「一杯だけ、一杯だけよ! あんたに飲ませると一瓶なんてあっという間なんだから!」


 女性陣のはしゃいだ声を聞きながらヴァージルはふわふわとした笑顔を浮かべ、顔に似合わぬ一口で豪快にパンにかぶりついた。

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