「実はの、来年から儂が家庭教師を依頼されたのを知っておろう」
「うん」
俺は知らないんだが。クラリスさんって冒険者ランク最高の神金級だよな。そんなランクの人を家庭教師として依頼だと。それってかなり王族でも、依頼すること自体が難しいと思うんだが。
「それで、受けようとは思ったのだが、その前に事前調査はした方がよいだろう」
「それは当たり前だね。うん? ……もしかして、エレガント王と揉めたの!?」
と、そこまで話をニコニコとした表情でうんうんと頷いていたソフィアが、驚いたようにクラリスさんに問うた。
てか、依頼したのはエレガント王国の王族なのか。確かに内の王族なら他国よりも強いとは聞いていたし、それなりにお金もあると思うんだけど、誰の家庭教師だろう。
王族と関わることはないと思ってたから、聞き流していたんだよな。ぶっちゃけ、国王様のフルネームも知らない。なんせ、長いんだもん。
「い、いや。流石にそれはない。オー坊も儂と事を構えようとは思わんだろう」
「まぁ、キミは娘の恩人だし、賢王と呼ばれる御方だからね。あと、ボクの前ではいいけど、その呼び方はやめなよ。聞かれたら面倒になるからね。ほら、セオくんだって固まってるじゃん」
……クラリスさん。今、国王様を愛称で呼んだのか。しかも、坊って。マジか。
流石に国王を愛称で呼ぶクラリスさんには度肝を抜かれる。
「ぬ、言う時と場所はきちんと
小さいころから見てきたって、クラリスさんって幾つだろう。
「まぁ、いいや。それで、エレガント王と揉めたのでなかったら、誰と揉めたのさ?」
「……王族だ」
「……ん? 王族とは揉めてないんだよね」
クラリスさんが小さく呟いた一言に、ソフィアは勘違いであってほしいと問い返した。いや、俺も耳を疑ったのだが。
「いや、王族と揉めたのだ。ほれ、隣国の――」
「――グラフト王国と揉めたの!?」
今まで驚きがあったものの楽しみながら聞いていたソフィアが、ここにきて一変、焦燥を浮かべて立ち上がった。
「それ本当なの!? 何かの間違いじゃなくて!?」
そしてローテーブルに飛び乗り、向かいに座っていたクラリスさんの肩を掴んで、ガンガンと揺らす。
俺としてはあまりのスケールの大きい揉め事にマジかという感想しか浮かばない。というか、いっそのこと関心すらしてしまう。
「う、うむ。この目でハッキリと首にかけてある王族の紋章を見たから間違いない。だが、儂は悪くないぞ。向こうが悪いのだ」
犯罪者はみんなそう言う。俺は悪くない。悪いのはアイツだと。
「……ふぅ」
それを聞いてソフィアは一旦ソファーに戻り、深く座り天を仰いだ。
「……それで、どういう経緯で、グラウト王族の誰と揉めたのさ」
そしてゆっくりと子供特有の甲高い声で訊ねる。そこには底知れぬ迫力がある。
「依頼されていた家庭教師の仕事について、儂は古くからの知り合いを伝って調べておったのじゃ。と言っても、家庭教師をする子は儂もよく知っておるから、正確にはその子をとりまく状況を調べておったのだ」
「まぁ、王族の家庭教師ともなるとそこら辺の折り合いも教えなくてはいけないからね」
「うむ。儂が主に担当するのは魔法関連だが、教養のほうもとオー坊に頼まれておったからの」
錬金術師なのに魔法方面? いや、確かに錬金術師は総じて魔力の扱いに長けているから、必然的に魔法も得意になるけど、それでも魔法使いに頼んだ方がいいと思うんだが。
まぁ、そこを俺が考えてもしょうがない。
「それで、他国での彼女の評判を探っておったのだがの、途中で別の事件を知っていしまっての。いや、彼女も関係しておったのだから、無関係ではないのだが」
クラリスさんが担当する子は女の子なのか。
というと、第一王女はないから、第二王女か、第三王女のどちらかか。ああ、けど、第三王女はライン兄さんの一つ上で幼く、それでいて病気がちと聞いてるから、たぶん第二王女の方だろう。
流石に病人に魔法を教えるって事はないだろうし。魔法は使うのにかなりの集中力を使う。それは体力も簡単に奪うので病人がするべきことじゃない。
……いや、だからこそクラリスさんに頼んだっていう線もあるな。
まぁ、いいか。
「事件?」
ソフィアは事件と聞いて、さらに真剣な眼差しでクラリスさんに聞いた。なんか、とってもカッコいい。
「うむ、エア大陸は儂が作った連合協会もあって奴隷は禁止されておるだろう」
エア大陸は奴隷制が禁止されている。他大陸の一部ではあったりするが、それでもごく一部である。
三百年ほど前まではそうでもなかったが、ルール・エドガリスさんが作った孤児連盟組合と精霊十字組合が主導となり、七星教会や自由ギルドを含んだ奴隷解放連合協会がここ三百年近く地道に交渉し、それが成功した。
だが、それはルール・エドガリスさんであって、クラリスさんとは……あれ、さっき前世とか言ってたような。
あれ?
「……もしかして、グラフト現国王の甥が?」
いや、疑問は後でいい。それよりも話を聞かなくては。
「やはり、ソフィアも知っておったのか」
「まぁ、自由ギルドの上層部だけだよ。普通のギルドマスターでも知らない。これが世に出回ること自体が秩序の崩壊になってしまうからね。だから、秘密裏に事をすすめたかったんだけど、決定的証拠がなかったんだよね。それで、こちらも手をこまねいていたんだけど……」
「……うむ、それは自由ギルド総裁から聞きだしたから、知っておる」
ソフィアはそれを聞いて、哀れと呟いた。誰が哀れかは容易に想像がつくが、クラリスさんは何をしたんだろう。
「故に儂は儂の方で揺さぶりをかけようと思っての。というのも、奴隷がいたら問題だし、それに儂が担当する彼女も狙われているという情報があっての。真偽を確かめようと思ったのだ」
おい、王族を奴隷って戦争でもする気か。あ、もしかしてクラリスさんが家庭教師って秘密裏の護衛か、もしくは牽制が目的なのか。
「……その情報ホント?」
「うむ、儂の
クラリスさんが苦々し気に言った。悔しさも滲み出ていた。
クラリスさんほどの人物がとりかかってそれだけとは、何というかだな。そのグラフト現国王の甥だったけ。そいつが、首謀者なのか、それとも組織の一員なのかは分からないけど、やっぱりこの世界って甘くない。
だけどそう思ったのは俺だけで、それを聞いた瞬間、ソフィアはまたソファーから飛び上がった。何回、ソファーを立ったり座ったりするんだろう。
「いや、大きな進展だよ!」
と、叫び、しかし、直ぐに落ち着きを取り戻す。
「……いや、けど、その情報は既に総裁に渡してるんだよね」
「うむ」
「けど、ボクに連絡がないってことは、その情報だけじゃ辿れなかったのか」
ソフィアはがっくりと俯いて、ソファーに座る。
と、思っていたら、急に執務室のドアが勢いよく開いた。
「マスター、本部から極秘の緊急連絡が!」
入って来たのはラリアさんである。手にはタブレット型の箱を持っている。このタイミングで考えると、さっきのか。
それを聞いてソフィアは再び飛び上がり、高速で移動した。
「ラリアくん。今すぐ、ロイスくんの所に行って! それとクラリスくん。今回はキミに非がないから、というよりよくやった! アテナくんには今すぐ、状況を伝えるから、隠し立てする必要はなくなるよ!」
そして、ラリアさんからタブレット型の箱を受け取り、それに魔力を通した瞬間、そう叫んだ。
ラリアさんはソフィアの要望に躊躇いもなく動いた。つまり、直ぐに転移した。
「存外早かったの。まだ、半日も経っておらんのだが」
クラリスさんはその叫びに、意外そうに呟いた。
あれ、問題を起こしたのって、昨夜の話なの? いや、情報を渡したのが半日前で、問題自体は数日前に起こしたってこともあるな。たぶん、その問題の陰に隠れて動いたっていうことか。
「流石は総裁だよ! 本拠地まで突き止めたって!」
だが、興奮したソフィアにはその言葉は聞こえなかったらしく、さらに叫ぶ。
「で、それは何の本拠地なのかしら。それとクラリスはどうしてここにいるのかしら。ねぇ?」
そして、ソフィアから放たれる熱気を冷ますように、いや、一気に部屋を凍らせる冷たい声が響いた。
お、恐ろしい。