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第55話:閑話2:アイラ

「どうだ!」


 凡庸な茶髪の中年が叫び訊ねる。とても焦りがあり、今にも身投げしそうなほど顔が真っ青である。


 それに答えるのは白髪交じりのローブを着たおっさん。ただただ首を振る。


「申し訳ございません。私の力量では」


 その言葉がその部屋にいるほとんどの人間に諦観を抱かせる。


「……そうか」


 中年は沸き上がる衝動を必至に胸の裡に抑え、天を仰ぐ様に頷く。それを見た白髪交じりのおっさんは忸怩たる思いで瞳を伏せ、胸に手をあてる。


 あとは祈りを、と。


 しかし、そんなのは知らない。


「クルルト様! 項垂れてないで早く術式を組んで下さい! オリバー様も! 父親がそれでどうするのですか! 皆様も動いてください!」


 メイド服に身を包んだ茶髪の少女が大の大人に鬼気迫る喝を入れる。


 腰まである艶やかな茶髪を結びあげ、その可愛らしい茶色の瞳には決死の覚悟すら生ぬるい想いをのせ、死にそうなほど顔を青くしている。息は不規則に脈打ち、冷や汗がそれに呼応して床へと滴り落ちる。意識があることすら不思議なほどだ。


 しかし、少女は朦朧とした意識を必至に繋ぎ止め魔法を行使する。


「リー――」


 ハッと我に返った中年、オリバーが明らかに死に際の少女を休ませようと声をかけるが。


「うるさいです! 黙れ!」


 少女は様と呼ぶ人間に怒鳴る。普段なら許されないどころか死刑にすらなり得るそれは、しかし、その場にいる多くの人間の心を打つ。


「つべこべ言ってないで動け! 項垂れている暇があるなら足掻け! 魔力を限界まで絞り出せ! 何としてもアイラ様の命を繋げ!」


 少女の目の前には一歳ほどの女の子の赤ん坊が白い布団の上で横たわっている。息は細く、今にも死んでしまいそうなほどの血の気がない。


 左腕と右足が溶けたように消えていて、服を着ていない身体を見れば、全身に黒い痣が点々と浮かんでいる。


 そんな赤ん坊を淡い青が優しく包み込む。赤ん坊の呼応に合わせて点滅し、それが赤ん坊の命の灯を表している様である。


 その姿に諦めの祈りなど祓われ、部屋中の人間が戦場の様に鬼気を募らせる。


 白髪交じりのおっさん、クルルトと、その横にいた薄茶の青年が赤ん坊の前に手を翳す。


「リーナさん、指示を」


 クルルトはメイド服の少女に指示を仰ぐ。普段の立場がどうあれ、今はリーナが先導である。


「さっきと同じ! それより魔結晶は!?」


 リーナは短く言葉を飛ばす。クルルトと青年はそれに頷き、己の魔力を練り魔法を行使する。


 たった三人しか赤ん坊のために魔法を行使しない。


 本当はもっと大人数で行えば、状況は改善するかもしれない。しかし、皆、もう力尽きたのだ。


 赤ん坊、彼女が倒れてから三日。初日は数十人どころか数百人体制で魔法を彼女に施した。


 しかし、皆、魔力が体力が気力が底を尽き、今残っているのはたった三人。しかも、リーナはこの三日間不眠不休で魔法を行使し続けている。体力と気力の限界を既に振り切っている。


 と、部屋の扉があいた。


「自由ギルドから魔霊結晶石です!」


 一人の兵士が部屋に入って来た。手には人の頭ほどある紫色の宝石を抱えている。


「こっちへ!」


 それを聞いたリーナがすぐさま声をあげる。兵士はそれに逆らわず、急いでリーナの隣にそれを置く。


 その刹那、リーナの体からどす黒い光が立ち昇り、隣に置かれた魔霊結晶石がその光に包まれる。


「ありがとうございます、追加は!」


 リーナはそんなことは気にせず、兵士に問う。


「それが唯一だそうです。虚の魔結晶はもうないそうです。申し訳ございません」

「冒険者は」


 兵士の答えを予想はしていたのか、リーナは何の起伏もなく訊ねる。


「そっちも……」

「魔深の森の厄災ですか」


 それを聞いてリーナは心の中で舌打ちする。


 それは二、三年に一回。アダド森林から這い出てくる魔物の軍勢がエレガント王国を襲う厄災。死之進行デスマーチ。数年前までエレガント王国が直面していた滅亡の問題。


 だが、英雄によってその厄災の周期は延び、四、五年に一回。国や自由ギルド、そしてマキーナルト領民で安全に抑えられようにあった。


 しかし、それでも厄災には変わりはなく、国は多大な兵士を、自由ギルドは冒険者や治癒師といった様々な人材を戦力として派遣する。


 つまり、王都は今、人材不足である。そして物資も不足している。


 しかし、その中でもなんとかやりくりする。


 また、扉が開く。入って来たのは金髪の美女。


「カティア!」


 リーナ達が魔法を行使し続けられるように、魔法薬や魔道具、アーティファクトなどで必死にサポートしていたオリバーが声を上げる。


「アイラの容体は!?」


 美女は母。赤ん坊、アイラの母親。彼女は沢山の瓶が入った箱を持っている。また、彼女の後ろに控えていた数人のメイドは無骨な灰色の腕輪を持っている。


 カティアはそれをオリバーのサポートをしていた兵士たちにぶん投げると、アイラの傍へ駆け寄る。


 それがリーナ達の作業の邪魔にならないよう、オリバーはカティアを誘導しながら、彼女の肩を持つ。


 そしてカティアは愛しい娘を見る。


「……うそ。ねぇどういうこと!?」


 カティアは知らない。アイラを蝕んでいる原因の一つである魔力の暴走を抑えるために彼女自らが魔静薬と魔封石を調達してきた。即急に調達するには彼女しかできなかった。しかしそのため、その間にあったことを知らない。


「……ねぇ、オリバー、夢を見ているのかしら……、ねぇ! なんでアイラの左腕と右足がないの!? ねぇ!?」


 カティアは知らない。魔力の暴走故か、アイラの体の一部が滅びるように消え去ったことを。彼女は知らないのだ。


 オリバーはただただカティアを抱く事しかできない。


「カティア様。そんな事より早く魔静薬と魔封石を使用してください。あれを扱えるのはこの場で貴女様だけです」


 しかし、リーナはカティアが悲劇に溺れることを許さない。淡々と指示を出す。それは愛娘の惨状をどうしようもなく受け止めきれない母には――


「リーナ! そんな事とはなんで…す――」


 ――しかし、その行き場のない怒りは窄まる。どうしようもなく真剣な瞳が訴えてくるから。


「カティア様」

「……ええ、分かっているわよ」


 だから、聡明な彼女は今やるべきことを導き出す。零れ出る感情を、引き裂かれる心を排除する。堅く施錠する。


 カティアは動き出した。今この場で彼女だけが正しく扱える魔静薬と魔封石を愛娘に使い魔力の暴走を抑えていく。


 するとアイラの息が少し安定してきた。心なしか血の気もよくなってきた。


 そうして治療を続けた。



 Φ



 そして次の日。


 彼女の右腕が下半身が消えかかっていた。


 リーナから立ち上っていたどす黒い魔力はアイラからも立ち昇る。リーナがアイラから沸き上がる魔力を簒奪しきれなくなってきたのだ。そのため、アイラの体内に魔力が膨れ上がり暴走する。


 もう、皆は困憊状態である。そもそも三日持っていたのが不思議なくらいである。ここにいる者のほとんどが三日間も不眠不休だったのだ。限界を超えていたのだ。


 だから、限界がくる。


 最初にクルルトが倒れた。その次に青年が倒れた。直ぐに彼らの代わりにもならないけど、兵士たちが付け焼刃で魔法を行使した。


 しかし、倒れた。


 残っているのはオリバーとカティア、リーナだけ。


 しかし、オリバーも慣れない魔法を行使して倒れそうで、カティアも魔静薬と魔封石の制御によって体内の気力と生命力が持っていかれている。


 そして二人も倒れた。


「……ません。あきらめません!」


 昨日から既に朦朧としていた意識は極限まで研がれ、もう欠片も残っていない。しかし、それでもなおしがみ付く。


 諦めてはいけないと! 命の灯を消してはいけないと!


 初めて仕えた主。アイラ様。可愛らしい笑顔。抱いた時の温かみ。


 いやだ。捨てたくない。離したくない!


「諦めるものか!」


 リーナは己の命すらも魔力へ変換し、魔法を行使する。


 命を削る行為が持つはずもなく――


 ああ、アイラ様……


 ――意識を手放した。






 リーナが倒れた瞬間、闇すら恐れる漆黒が部屋中を駆け巡る。


 しかし。


「よく頑張ったの。後は任せなさい」


 金色の魔力がそれを喰らい尽くした。

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