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第33話:駄メイドが懐かしい:this summer

「もう一回! もう一回よ!」


 結局、あれから5回戦も行い、すっかり西の空は茜色に染まっていた。


 それなのにユリシア姉さんは目を輝かせながら、もう一戦とねだってくる。体力がお化けである。


「ユリシア様。あと一時間もすれば夕食でございます。その前に入浴を済ませた方がよろしいかと」


 長時間も経っていながらチェスに飽きないユリシア姉さんに、ちょうどやって来たマリーさんがそう言った。


 ナイス。マリーさん。


「……わかったわ。セオ、ご飯を食べ終わったらもう一回よ!」


 マリーさんの言葉に渋々頷いたユリシア姉さんはそう俺に一方的に言い放って、ずかずかとリビングから出て行った。


 たぶん、自室に着替えを取りに行ったんだろう。


 当たり前の事だが、マキーナルト家の子供は自分でできる事は自分でやる。それをアテナ母さんとロイス父さんに徹底的に言われている。掃除や洗濯、炊事などは使用人たちがやるが、それ以外は自分でやれという事だ。


 もちろん、使用人たちの仕事もあるのである程度の兼ね合いだが、エレガント王国内の貴族の子供は服の用意から着る作業まですべて使用人がやるらしい。また、風呂で体を洗うのも、何かにつけて使用人に任せるらしい。


 が、冒険者であったロイス父さん達がいうには自活能力は絶対に必要であると宣言している。当たり前である。


 まぁ、そういう事でユリシア姉さんは横暴な割にはキチンとしているのだ。あんな性格で美味しい料理も作れるし。アテナ母さんやアランに習っているのだ。


 他の同年代の貴族の子供と比べたらキチンとしているよな、と思った。



 Φ



「ふー。お腹いっぱい」


 やっぱりアランの料理はとても美味しい。前世では会社に泊まり込みすることが多かったから、できたものかカップラーメンしか食べてなかった。


 だから、余計に手料理が美味しく感じる。


 俺はそんな満足した心持ちのまま、リビングへ向かう。


 そして俺専用の小さな古びた木製の椅子に腰を掛けると、“宝物袋”から黒い背表紙に金の刺繍が施してある本を取り出す。それから本を膝に置き、押し花の栞が挟んであるページを開く。


 とてもじゃないが、三歳児である俺にとってこの本はとても重くて大きいのだ。だから、膝にのせてないと本が読めないのだ。


 ユリシア姉さんは明日までの宿題が残ってたらしく、夕食後にマリーさんに講義部屋に連れて行かれた。


 講義部屋は二階にある部屋で、普段俺たち子供がアテナ母さんやマリーさんから歴史や算数、語学、礼儀作法、その他諸々を学ぶときに使う部屋である。


 たぶん、あの様子だと当分時間はかかりそうなので、昼間に読む予定だった物語を読み、ユリシア姉さんがくるまで時間を潰す。


 チェスを遊ぶ約束をしたしな。


 そんな風に考えながら緩やかに流れる時間に身を任せ、物語を読み進めていく。


 読んでいる物語は冒険譚である。四百年前の史実を基にした作り話である。著者は今はもう亡くなってしまったエルフのルール・エドガリスという女性だ。そしてこの冒険譚の主要人物の一人でもある。


 内容はとてもありふれた、魔物の頂点に立つ魔王を倒す勇者の話である。


 しかし、ありふれた内容ではあるが、とてもワクワクするのだ。子供心や男心がくすぐられるというか、何というか。


 それに夢と希望とロマンがあるしな。全部同じか。


 弱くても戦って、成長して、挫折して、再び立ち上がって、戦って、仲間ができて、ともに切磋琢磨して……、そして最後には人類の希望として魔王を倒す。


 そんなフル熱展開が巧妙に丁寧に綴られていて、話に引き込まれる。こんな濃密な話が一冊に纏まってることがとても凄い。


 傑作である。少なくとも四百年近くも残っている本である。そう思うのは当たり前だろう。


 だから、時間を忘れていたようだった。


「セオ、チェスやるわよ!」

「ぬわっ!」


 いつの間にか来たユリシア姉さんに全く気が付かなかったのだ。


「ふー。びっくりした。もう、そんな大きな声出さないでよ、ユリシア姉さん」

「何よ。私だって最初は普通に呼びかけたわ。でも、セオったら全然気が付かないんだもの」


 どうやら、俺はかなり集中していたらしい。


「それは悪かったよ。で、宿題は終わったの?」

「ええ、しっかりと終わらせてきたわ! 全く、マリーったら何も今日までに終わらせなくたっていいじゃない。……、まぁ、いいわ。セオ、チェスをするわよ」

「はいはい。わかってるよ」


 俺はそう言って席を立ち、ソファーに移動して座る。ユリシア姉さんは俺と向かい合って座る。


「……、あれ? チェスは?」

「ん? セオが持ってるんじゃないの?」

「……」

「……」


 どうやら、持ってきてないらしい。


「セオ。アンタがとってきなさい」

「えー、いやだよ。めんどい」


 このソファーに座ったばっかりである。立つのは億劫おっくうであるし、そもそもチェス盤があると思わしき場所は少々遠い。多分、二階にあると思うんだよね。


「なによ、口答えするつもり!」


 ヤンキーである。釣り上げたその蒼穹の瞳が俺にガンをつけてくる。怖いです。


「それでもやだよ。大体ユリシア姉さんが遅れてきたんでしょ。ユリシア姉さんが持ってきてよ」

「いやよ、めんどくさいもの!」


 ふんっ、と胸を張って言うユリシア姉さん。


 ……、誇るところですかね、それ。だが、このままでは平行線である。


 さて、どうやってユリシア姉さんを動かすか……


 と、しかし、俺の悩みは直ぐに解決する。


「はい、これですよね」


 いつの間にいたレモンがチェス盤を俺たちの前に差し出したのだ。


「うおっ!」

「きゃあ!」


 当たり前だが、急に現れたので驚く。


「ちょ、レモン、急に現れないでよ! びっくりしたじゃない!」


 ユリシア姉さんが鼻を鳴らしながら、レモンにあたる。悲鳴をあげて恥ずかしかったのだろう。


「それはすみません」


 だが、レモンはユリシア姉さんの唸る声に動じることなく微笑む。最近思ったのだが、レモンって心が広いよな。怠け者だけど。


「セオ様。わたしは怠け者ではありませんよ」


 あと鋭い。普通に鋭い。普段からそう過ごしていればいいのにと思うほど鋭い。


「……それでレモン。どうしたの?」

「スルーですか。まぁいいでしょう。ユリシア様がチェス盤を忘れているの気が付いて持ってきたんですよ。ついでに、ユリシア様たちの喉が渇いたかと思って紅茶を持ってきたんです。ユリシア様は宿題を終わったばっかりですし、セオ様は随分集中して本を読んでいたようなので」


 改めてみると、レモンの近くに白を基調としたキッチンワゴンがあった。その上には紅茶の道具一式とちょっとしたお菓子があった。


 駄メイドのくせに気が利くようで。


 ホントいつもはあんなにダメダメなのに。怠けまくっているのに。こんなメイドらしいレモンなんてあり得ない。


「あ、でも、セオ様はいらないようですね」


 レモンはキッチンワゴンの上にあった三つのティーカップの内、一つをワゴンの二段目に片づけようとする。というか、レモンも飲むつもりか。


「すみませんでした!」


 必死になって頭を下げる。


 ユリシア姉さんが阿呆だろコイツっていう目で見ている。が、直ぐに俺から目を離す。その目はレモンが持ってきたお菓子に釘付けになる。


 レモンはそんなユリシア姉さんを微笑ましく見ながら、「少し待ってくださいね」と言って、紅茶の準備を始める。しかし、ティーカップは二つである。


 ……。


 今日のレモンにはたぶん、誰も敵わない。大人というか真面まともというか、たぶん、アテナ母さんたちがいないからしっかりしようとでも思っているのだろう。


 そんな心想いが素晴らしいレモンはとても尊敬できる。少なくとも、アテナ母さんたちが帰ってくるまでは尊敬できる。


 そのあとが気になるが、素晴らしいレモンの事である。それは尊敬できるメイドだろう。


 内心で必死にヨイショを重ねる。


「ふふ、冗談ですよ。では、準備が終わるまで、お菓子を食べながら遊んでいてください」


 静かに音を立てながら、レモンは片づけたティーカップを取り出す。


 どうやら俺の内心が伝わったらしい。安心して顔をあげる。


 そこには、悪戯が成功したようなそんな笑みを浮かべたレモンがいた。ゆらゆらゆらりと大きな尻尾を心地よく揺れていて、小麦色の狐耳が嬉しそうにピコピコと動いている。


 弄ばれたらしい。ちくしょう。

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