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第9話:稽古場へ:this spring

 朝5時。


 ようやく冬の終わりが蜘蛛の糸の如く現れた頃、しかしそこはまだとても寒い地獄であった。


 つうか、寒すぎ。流石はお日様が昇ってすらいない時間だ。下着を除き、上下共に三枚も着込んでいるのに寒い。


 着ている服だって上等な物なのだ。魔物の毛皮や植物由来の布などを存分に使った保温性などといった防寒に優れた服なのだ。


 なのに寒い。


 それもその筈である。


 今、俺とアテナ母さんは雪で作られた道を歩いているのだから。


 地面は固く硬く平らになった雪で、道の右手も左手も一メートル程度の高さがある雪の壁によって構成されている。


 俺が住んでいるマキーナルト領のラート町付近では冬になると大雪が降るのだ。そしてそれは春になるまで溶けない。非常に厄介な土地なのである。


 まぁ、家の付近はアテナ母さん達が魔法を使って除雪を行うので、全く雪が残っておらず問題はない。ただ稽古場は少し離れた所にあり、そのため稽古場に向かう道中の中途からは雪の道となっている。


 ふぅー。


 吐息が凍えて白くなる。白く白く舞い上がる。今なら吐息で輪っかの煙が作れそうな勢いである。


「セオ、いる?」


 〝光球〟という無属性魔法で行く先を照らしているアテナ母さんが、俺に金属で作られた魔道具のカイロを差し出してきた。


「ありがとう、アテナ母さん」


 俺はお礼を言いながら、アテナ母さんからカイロを受け取る。


「どういたしまして。それにしても、こんなことになるなら早めにセオの分も作っておくべきだったからしら」


 アテナ母さんは俺の方を見ながら呟く。


「いや、いいよ。こんな朝早く稽古場に行くのは今日だけだし」

「何言ってるの。冬が完全に終わって春が来たらセオも稽古が始まるのよ。春の朝は今日みたいにとても冷えるから必要なのよ」


 ああ。そうだった。春になって町に行けるようになったら、俺も稽古を受ける必要があるのか。いやだな。


「ねぇ、それって絶対なの?」

「ええ、絶対よ。そもそも剣や魔法の訓練をしておいて損はないし、何より将来のためにもなるわ」


 えー。でも嫌だな。


「嫌そうな顔ね。でもね、セオ。どっちにしろこの場所で生きていくにはある程度は戦う力が必要なのよ。少し先を行けば凶悪な魔物が跋扈するアダド森林やバラサリア山脈があるし、それにあなたはマキーナルト子爵家の息子ですからね。自衛ができる事に越したことはないわ」


 いや、訓練を受ける事に対しては嫌ではないのだ。こんな朝早くに起きたくないだけなのだ。


「ああ、そうそう」


 そんなことを思っていたらアテナ母さんが俺の前に立って言った。


「別に朝稽古は強制ではないわよ。ま、朝稽古はロイスの管轄だからロイスと交渉する事ね」


 おお! マジか。それはいい事を聞いた。早起きしなくて済むなんて最高だしな。早速、今日にでも交渉しよう。


 が、しかし、そんな俺にアテナ母さんが水を差す。


「ああ、でも今のセオの怠け具合だと一蹴されるわよ」

「う、嘘だよね、アテナ母さん」

「いいえ、本当よ。元々、生活に規律を持たせるために朝稽古が始まったのよ」


 何だよ。その上げて落とす感じは!


「はぁ」


 つい溜息が漏れてしまう。早起きは嫌いなのだ。苦手なのだ。


「諦める事ね」


 落ちこんでいる俺にアテナ母さんは微笑みながら言った。ついでに俺の頭をくしくしと撫でた。


「ラインだって早起きしているのだから、アナタも少しは頑張りなさい」


 そして、俺を窘めるように言った。


「……はい」


 そう言われると、納得するしかなかった。ライン兄さんは朝はとても弱いのだ。けれど文句も言わず毎朝早起きしている。


 だから納得するしかない。朝稽古を受けるしかないのだ。そしてそれは、ライン兄さんに尊敬される弟になりたい俺にとって重要なことのだ。


 ……既に手遅れかもしれないが。


 歩いているおかげか、カイロのおかげか、全身をミシンで縫われた様な痛みではなく全身をアイスピックで砕かれた痛みに変わってきた。要するに、すこし温まってきた。


 っていうか、両方ともやばい痛みである事に変わりはない。なので、冗談である。せいぜい注射が全身にされた感じだ。


 本当、よく毎朝この時間に稽古ができるな。俺の家族は凄いよな。尊敬するわ。


「それで何でセオは今日、朝稽古を見学するの?」


 家族に対しての尊敬を再認識していた俺にアテナ母さんが問うてきた。


「私になら理由を話しても大丈夫でしょう?」

「そう聞いてくるってことはおおよそ予想はついてるじゃん」

「そうね。昨日、薬草庭園でラインと魔法の特訓をしてた事は知っているわ」


 何で知っているんだよ。マジで。


「あら、言ってなかったかしら。薬草庭園は私が拡張、正確には創造した空間なのよ。その中で何があったか把握することくらい苦ではないわ。例えば、樹霊様がいる広場を工房として使っていた誰かさんの事も知っているわ」


 アテナ母さんはニヤニヤと俺を見てきた。っていうか、俺の心を読んだのか?


「読んでないわよ。セオが分かりやすいだけで」


 読んでんじゃん!


 ……あれ? この展開どっかで……。


 うんやめよう。不毛である。


「アテナ母さんはウメンがいる事を知ってたの?」


 話は逸らすに限る。


「あら、スルーしたわね。まあいいわ。ええ、樹霊様がいる事を知ってたわよ。といっても向こうは知らないと思うけれどね」

「知らない?」

「ええ。彼はね、丁度アナタが生まれた年に生まれた精霊様だもの。まだまだ子供、人で言うなら赤ちゃんね。それでまだ、樹霊様は存在として不安定なのよ。だから余程の事がない限り、会わないようにしてたのよ。彼の存在定義に悪影響を及ぼさないようにね」


 そう言って、アテナ母さんは俺の頬に手を当てる。


「なのにセオったら樹霊様を顕現させるわ、名付けをするわ」

「痛! 痛い痛い!」


 そして思いっきり頬を抓られた。寒いせいで余計に痛く感じる。


「少しは自重しなさい!」


 叱責を受けてしまった。


「いや、知らなかったし自重も何も……」


 俺がそう言うとアテナ母さんは溜息を吐く。


「セオ。普通はね、樹界侵食魔法なんて使えないのよ」


 非普通の代表が何を言っているのだか。


「何か言いたそうな顔ね」

「いえ、何も」


 疑うような視線を俺に向けてくるとは。アテナ母さん、酷い!


「はぁ」


 アテナ母さんは再び溜息を吐く。


「だから、樹霊様、セオはウメンと名付けたかしら、彼は今、アナタに影響を受けて存在を再定義しているの。だから、活動時間がとても短いのよ」


 なるほど。つまり、ウメンから聞いた情報は殆ど違っていたと。確かに赤ん坊から正しい知識が得られるわけはないしな。


「で、本題に戻るけどセオは昨日、ラインに何の魔法を教えてたの?」


 情報の整理をしていた俺にアテナ母さんが聞いてきた。


「魔術だよ」

「魔術?」

「そう、何でも今日って魔法を使った稽古なんでしょ?」

「ええ。……ああ、なるほど。ラインは今日エドガーに負けたら30連敗だったかしら」

「そう、それ。で、ライン兄さんは流石にそれは嫌らしいから、エドガー兄さんに勝つための魔法、もとい魔術を教えてたんだよ」

「ふぅーん」


 アテナ母さんは何か思案しながら返事をする。


「魔術ね……」


 チラリと俺の方を見てくるアテナ母さん。何か、言いたそうである。


「ラインが魔術を扱えるの?」


 なるほど。ライン兄さんの演算能力を疑ってるのか。


「できるよ。魔術の基本演算術式もしっかり教え込んだし、何よりライン兄さんは昨日演算系の能力スキルを獲得したんだから。これで、中級どころか上級まで使いたい放題だよ」


 そう。魔術は、応用こそあれど基本演算術式さえ理解していれば上級魔法までは自由に使えるのだ。そもそも基本術式だってまだ未完成だからな。いくらでも応用が利く。


「いやー、全く。ライン兄さんの才能には恐れ入るよ。あれだけの演算術式を半日足らずでものにするんだから」

「それだけの演算術式を教えるセオも凄いのだけれどね」


 アテナ母さんは呆れた様子だ。


「いや、あれくらいならアテナ母さんでも教えられるじゃん。そもそも俺はチートずるしただけだし」

チートずるね……。まあいいわ。けど、今日の稽古は楽しみね。久しぶりにエドガーとユリシアが負けるところが見れるわ!」


 まだ、ライン兄さんが確実に勝てるとは決まってないのだが……。


 っていうか、エドガー兄さんとユリシア姉さんの負けるのが楽しみとは……。


 何と言えばいいのか。


 けど二人とも少し天狗になってるし良いのだろう。まぁ、あれ程の才能とロイス父さんの指導を受けてるから天狗になってもおかしくはない強さを持っているのだ。二人ともロイス父さんに負ける事は当たり前だと受け入れている部分もあるしな。


 それ以外で二人が負けるといったら、アテナ母さんとアラン、それとレモンくらいだし。しかも、その三人は二人の相手すら滅多にしないからな。


 だから本当にいい機会なんだろう。


 そう考えていたら、アテナ母さんが頭を撫でてきた。


「セオは優しいわよね」


 全てを見透かす様なエメラルドの瞳が微笑むように俺を見つめていた。


 くそぅ。恥ずかしい。


「セオ。着いたわよ」


 そんな俺の目の前に程よい大きさの運動場が現れた。

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