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第4話 愛をつづる手紙

 雪斗と飛彦が文通を始めてから2か月が経ち、身を切るような冬の寒さも少し和らいできた。

 その日も飛彦は、郵便配達のついでに喫茶わたゆきを訪れていた。老齢のご婦人方に囲まれコーヒーを飲むイケメン青年、今ではすっかり喫茶わたゆきの名物だ。


「飛彦さん、そろそろお仕事には慣れた頃かしら?」

 夜々がそう尋ねれば、飛彦はコーヒーカップを置いて答えた。

「大分、慣れました。手紙の数が多い日には時間内に届け終わらないこともありますけれど」

「冬は郵便屋さんの繁忙期だものね。家にいる時間が長くなるから、皆たくさん手紙を書くんですって。そう聞いたことがあるわ」


 なるほど、と飛彦が相槌を打ったとき、次は紅子が口を開いた。

「お仕事に慣れてきたのなら、私の知り合いの娘さんとも文通を始めてみない? ほら、以前お話ししたタンチョウヅルの娘さんよ。この間お会いしたときに飛彦さんの話をしたら反応がよかったの」

 紅子はわくわくと肩を弾ませるけれど、飛彦ははっきりと断った。

「ありがたいお話ですが止めておきます。変に期待を持たせても申し訳ないですし」

「あら、そう? もしかして飛彦さん、この短期間で恋人ができたの?」

 率直な質問に飛彦は言いよどんだ。

「ええと……そういうわけでは……」

「じゃあ好きな人? 好きな人がいるの?」

「……はい。そんなところです……」

 飛彦がやんわりと肯定すれば、ご婦人たちの間には黄色い悲鳴があがった。

「あらあら飛彦さんに好きな人!」

「これはじっくり話を聞かなくちゃならないわ。雪斗くん、本日のケーキを人数分よろしく!」


 カフェカウンターで彼らの会話に耳を澄ませていた雪斗は、慌てて「はぁい」と相槌を打った。

 本日のケーキは、祖母手作りのガトーショコラ。チョコレートをたっぷりと使った濃厚なガトーショコラは、ほろ苦いコーヒーにぴったりの逸品だ。


 雪斗がケーキを運んでいったとき、飛彦はご婦人たちから質問攻めにされていた。

「相手の方はどんなタイプなの? 可愛い系? それとも綺麗系?」

「う、うーん。どちらかといえば可愛い系ですね……」

「告白はするつもりなのかしら?」

「直接告白はせずに手紙を渡そうと思っています。私は人と話すことがあまり得意ではないので……」

「ラブレターということね。ロマンチックで素敵だわ」


 雪斗はテーブルの上に人数分のケーキ皿を下ろしながら言った。

「みんな、質問はそのくらいにしておきなよ。飛彦さんが困ってるよ……」

 間髪を入れずに言い返す者は興奮状態の紅子だ。

「質問せずにいられるわけがないじゃない。雪斗くん、あなたは飛彦さんの恋の相手を知っているの?」

「知らないし、たとえ知っていたとしても飛彦さんを売るような真似はしないよ」

 きっぱりと答えれば、ご婦人たちは多少なりとも落ち着きを取り戻したようだ。すっかり冷めたコーヒーを口にして、運ばれたばかりのガトーショコラをつつき始める。


 それから10分も経つと、飛彦は丁寧なあいさつをして喫茶わたゆきを後にした。飛彦を質問攻めにしたいご婦人たちは不満そうだが、配達局に戻ってやらなければならない仕事があるらしい。


 注文が途絶え、手持ち無沙汰となった雪斗がぼんやり窓の外を眺めていると、厨房から祖父と祖母の会話が聞こえた。

「ありゃ。飛彦さん、配達先を間違えてるよ。よそ行きの手紙が1通紛れ込んでるや」

「本当? しっかり者の飛彦さんにしては珍しいわね」

「すぐに配達局へ届けた方がええかなぁ。……ん、この手紙、差出人の名前が書いてねぇな」

「本当ね。あら、ついでに封筒の封もしていないわ。間違ってポストに入れてしまったのかしら」


 2人の会話に興味を惹かれ、雪斗は厨房を覗き込んだ。春の訪れを感じさせるような華やかな封筒が目に入った。

「その封筒、飛彦さんの……」

 雪斗は思わず呟いた。

 以前飛彦の自宅にお邪魔したとき、ダイニングテーブルの上に書きかけの便箋と封筒が散らばっているのを見た。今、雪斗の目の前にある封筒は、あのとき見た封筒と同じ物だ。


「あらあら、これは飛彦さんが書いたお手紙なの? 書きかけの手紙が手荷物に紛れてしまったのかしらね」

「忙しい時期だからそんなこともあるだろうさ。雪斗、次に会ったとき返してやれ」

 祖父が差し出した封筒を、雪斗は手を伸ばして受け取った。真新しい封筒は封がされておらず、中には3つ折の便箋が覗いている。そして何もなしに封筒の表面に自然を落としてみれば、そこには丁寧に書かれた住所と宛名。

 ――〇〇町××通り1番地 若葉様


「……あ」

 ――直接告白はせずに手紙を渡そうと思っています。私は人と話すことがあまり得意ではないので……

 飛彦の言葉が頭の中によみがえった。




 銀色の雪景色がオレンジ色の夕陽を映していた。

 厚手のコートをはおった雪斗は、街の中心部へと続く一本道を黙々と歩く。ふぅと吐き出した吐息が夕暮れの空気に溶けていく。

 コートのポケットに手を入れれば、冷えた指先が封筒に触れた。雪斗はその封筒を飛彦に届けるために、こうして寒空の下を歩いているのだ。

「わざわざ今日、届けなくたっていいじゃない。飛彦さんが喫茶店に来たときで十分よ」

 祖母はそう言って雪斗を引き留めようとしたけれど、雪斗は聞かなかった。

「どこかで落としたのかもしれないって探し回ってたら気の毒でしょ」

 それらしい理由をつけて喫茶わたゆきを飛び出してきた。


(飛彦さんがずっと手紙を送りたかった相手は『若葉さん』? 若葉さんが飛彦さんの好きな人? 手紙で想いを伝えたい相手?)

 封筒の宛名である『若葉様』の文字を見たときからずっと、もやもやした気持ちが消えない。飛彦と話をすれば、若葉さんの正体が明らかになれば、このもやもやは消えてくれるのだろうか。


 日も暮れかかった頃、雪斗は配達局の前に立っていた。飛彦の所属は配達局の郵便配達部、まだ仕事が終わっていなければ建物のどこかにはいるはずだ。

「すみません。郵便配達部の飛彦さんはいらっしゃいますか? 渡したい物があるんですけれど」

 配達局の受付でそう声をかけると、事務員はすぐに飛彦を呼んできてくれた。寒さに頬を赤らめた雪斗を見て、飛彦は驚いた表情だ。

「雪斗くん、どうしたんですか?」

 雪斗は一拍を置いて話し出した。

「喫茶わたゆき宛の手紙の中に、飛彦さんの手紙が紛れていたんです。それで、すぐにお届けした方がいいかなと思って。この手紙なんですけど……」


 雪斗はコートのポケットから取り出した封筒を、飛彦の胸の前に差し出した。瞬間、飛彦は目を丸くして雪斗の手から封筒を奪い取った。まるでその手紙を他人の目には触れさせたくないのだというように。

「あの……雪斗くん。もしかしてこの手紙、読みました?」

 雪斗は慌てて否定した。

「いえ、読んでいないですよ。その手紙が飛彦さんの物だとわかったのは封筒のおかげです。以前、自宅へお邪魔したときに、その封筒を見かけていたから……」

「ああ……なるほど。そういえばそうでしたね……」


 居心地の悪い沈黙が落ちた。適当に会話を切り上げてその場を立ち去りたい衝動に駆られたけれど、雪斗は勇気を奮い起こして質問した。

「その『若葉さん』という方が、飛彦さんがずっと手紙を送りたかった相手ですか?」

 飛彦は決まりが悪そうに答えた。

「……そうです」

「その方に送る手紙を書くために、僕と文通を始めたってことですよね」

「そういうことになります」


(あー……やっぱりそうか。僕と仲良くなる前からずっと、飛彦さんは若葉さんのことが好きだったんだ)

 そう結論付ければさらに居心地が悪くなって、雪斗はわざと婉曲的に質問した。

「若葉さんは飛彦さんにとって大切な人ですか?」

「……大切な人です。でも――」

 それだけ聞けば十分だった。雪斗は唇を噛み、飛彦に背中を向けて駆けだした。配達局の玄関口を飛び出して、雪にうずもれた石畳の上を駆ける駆ける。「雪斗くん!」と飛彦の声が聞こえたけれど、足を止める気にはなれなかった。

(飛彦さんは若葉さんが好き。飛彦さんは若葉さんが好き。ずっと前から想っていた……)

 現実を突きつけられればじわりと涙が滲んだ。




 『若葉さん』の存在を知ったその日から、雪斗は飛彦を避けるようになった。手紙のやりとりをすることはおろか、顔を合わせることもしない。飛彦が喫茶わたゆきを訪れる頻度は週に2回程度で、滞在時間も長くて30分というところ。その時間、雪斗が適当な理由をつけて厨房にこもってしまえば、顔を合わさずにいることは簡単なのだ。

 会話に夢中になるご婦人方、そして忙しく働く祖父母が、雪斗の不可解な行動に気がつくことはない。


「雪斗くん」

 飛彦を避け始めてから2週間が経った頃。厨房で洗い物をしていた雪斗は、背中越しに名前を呼ばれはっと顔をあげた。見れば厨房ののれん口には飛彦が立っていた。口をへの字に引き結び、するどい眼差しで雪斗のことを見つめている。

 雪斗はタオルで手のひらを拭い、そそくさと厨房を出て行こうとした。厨房には喫茶スペースへと続くのれん口の他に、住宅部分へと続くドアが設けられている。住宅部分へと逃げてしまえば飛彦に捕まる心配は万に一つもない。


「雪斗くん。なぜ私を避けるんですか?」

 強い口調で問いただされて、雪斗は足を止めた。目の前には住宅部分へと続くドアがある。そのドアをくぐることは簡単で、雪斗は振り返ることなく答えた。

「別に避けてはいないですよ」

「それならすぐにこっちへ来てください」

「なぜ?」

「手紙を渡したいからです」


 雪斗は頭だけを動かして飛彦の様子をうかがった。不機嫌顔の飛彦は、厨房ののれん口に仁王立ちしてる。雪斗の態度にいらだちを覚えながらも、「客人は厨房に入らない」という喫茶わたゆきのルールを律儀に守っているあたりが飛彦らしい。

(そういえばこの2週間、飛彦さんとは手紙のやりとりもしていない。不自然に思われても当然か……)

 そうだとしても、今の雪斗には飛彦と文通を続ける気力はなかった。飛彦に宛てた手紙を書くことも、飛彦が書いた手紙を読むことも億劫だった。

 理由は――わかっている。でもその理由を真実だと認めることができずにいる。


 雪斗は2週間ぶりに飛彦の顔を見据えた。

「飛彦さん。もう文通はおしまいにしませんか?」

 飛彦は怪訝な表情で訊き返した。

「え?」

「だってもう必要ないですよね。飛彦さんは、若葉さんに手紙を送りたくて僕との文通を始めたわけじゃないですか。もう手紙は書けたんだから」

 早口でそう告げると、雪斗は目の前にあるドアを開けた。「雪斗くん」と呼ぶ声は、分厚いドアに阻まれて聞こえなくなってしまう。


 雪斗は冷たいドアに背中をつけたままズルズルと座り込んだ。

(わざと飛彦さんを突き放すような言い方をした。最悪……)


 ○○○


 寒さは幾分和らぐ時期だが、その日は朝からよく冷えていた。一度溶けかけた雪はきらきらの氷粒となって、楓の木には何本ものつららがぶら下がっている。

 季節は急には変わらない。春の雪解けと、冬の寒さを繰り返しながら、徐々に徐々に移り変わっていくものだ。


 喫茶わたゆきの開店時間が目前に迫った頃、雪斗は1人雪道を歩いていた。右手で祖父手作りの木そりを引き、倉庫を目指して黙々と進む。

 ここ数日は暖かかったから早朝にしか暖炉を炊かなかった。しかし久しぶりに冬の寒さが戻ってきた今日は、1日を通してたくさんの薪が必要になるだろう。


 木そりに山盛りの薪をのせた雪斗が、喫茶店へと続く道をえっちらおっちら引き返していたときのことだ。ふと遠くの空に影が見えた。鳥の影だ。巨大な翼を悠々と広げたその鳥は、喫茶わたゆきを目指して一直線に飛んでくる。流れ星と見まごうばかりのスピードだ。

「……げ」

 雪斗は木そりの綱を放り出し、大慌てで雪道を駆けだした。一刻も早く建物に逃げ込まなければと思うけれど、雪に足をとられて思うように進めない。ばたばたと足掻くあいだに鳥影は雪斗の頭上へと迫り、しゅるりと音を立てて青年へと姿を変えた。雪斗のよく知る黒茶髪のイケメン青年へと。

「捕まえた」

 イケメン青年――飛彦は雪斗の手首をつかみ、勝ち誇ったかのように言った。


「ちょ……放してください! 飛彦さん!」

「放しません。放したらまた逃げるでしょう」

「逃げ……逃……逃げるけどぉ……」

「きちんと理由を説明してもらえれば放しますから。どうして私のことを避けるんですか?」

 飛彦の口調にいつもの優しさはない。本気で雪斗のことを逃がすつもりはないようだ。開店時間前を狙って喫茶店を訪れたのは、その時間ならば雪斗が油断していると踏んだためか。


 雪斗は拘束から逃れようと抵抗するが、飛彦との体格差を考えれば敵うはずもなし。やがて渋々観念した。

「……飛彦さんが悪いんじゃないんです。僕が気持ちの整理をつけられていないだけで……」

「整理って何ですか? 気持ちの整理が必要なほどつらいことがあったんですか?」

「え、ええと……」

(何て説明すればいいんだろう。飛彦さんが若葉さんに手紙を送ろうとしたことが嫌だった? でもそんなことを言ったら、まるで僕が飛彦さんのこと――……)

 鼓動が跳ねた。外気にさらされた指先は急速に冷えていくのに、飛彦に掴まれた場所だけが異様に熱い。このまま掴まれていたら鼓動の高鳴りが伝わってしまうのではないだろうか。


「『若葉』宛の手紙を届けてもらった日からですよね。雪斗くんが私を避け始めたのは。あの日、何があったんですか?」

 確信を突く質問に、雪斗はすぐに答えられなかった。一つ言葉を紡げば感情が雪崩を起こしてしまう。胸のうちにある想いを伝えずにはいられなくなってしまう。

 のどまで出かかった言葉を何度も飲み込もうとしたけれど、膨れ上がった想いを治めることは困難で、嗚咽と一緒に溢れ出した。

「と、飛彦さんのことが好きだから。それなのに、飛彦さんが若葉さんにラブレターを送ろうとするからぁ……」


 とさり。

 と音を立てて楓の木から雪が落ちた。

 雪斗はうつむいたまま飛彦の顔を見ることができなかった。

(さ、最悪最悪最悪! こんな勢いだけの告白、するつもりじゃなかったのに……しかも飛彦さんを責めるような言葉で……)

 しかしどれだけ後悔したところで、一度伝えてしまった想いを取り消すことなどできはしない。


 ふいに手首をつかむ力が緩んだ。その一瞬をついて、雪斗はするりと飛彦の拘束から逃れ、迷うことなく鳥へと姿を変えた。小さくて愛らしいシマエナガの姿へと。

「雪斗くん! 待って!」

 飛彦が叫ぶ。しかし雪斗は脇目も振らずに空へと舞い上がった。身勝手な告白をしたことが恥ずかしくて、もう飛彦から逃げることしか考えていなかった。


 鳥の姿になった雪斗は、林の中を全速力で飛んだ。

 もふもふと愛らしいシマエナガは呑気な印象を抱かれることが多いけれど、実はとても俊敏だ。手のひらにのるくらい小さな身体と、雪のように真っ白な体毛もあいまって、雪景色に紛れればいとも簡単に見失ってしまう。飛彦といえども見つけ出すことは簡単ではないだろう。

(逃げたって何の解決にもならないんだけどさ。そんなことはわかってるけどさ。でもあのまま話をするなんて無理だよ。だって完全に僕の片思いだもん)


 どれだけの距離を飛んだのだろう。雪斗は手近な木の枝で羽を休めることにした。

 林の木々のあいだに人影は見えず、辺りはしんと静まり返っている。雪化粧の大地にはあちらこちらから木漏れ日が射し、氷の粒がきらきらと輝いてとても綺麗だ。しかし美しい景色を楽しむ気分になどなれるはずもなく、雪斗は小さなくちばしから溜息を吐く。

「見つけた。もう逃がしませんからね」

 尾っぽの後ろから飛彦の声を聞いたのは、そんな最中のことであった。


(な、何で⁉ 何で追いつかれたの⁉ あんなに頑張って逃げたのに!)

 飛彦の両手のひらにすっぽりと包まれて、雪斗は大慌てだ。チリチリと鳴き声を上げ、両羽をばたつかせて抵抗するけれど、今度こそ本当に逃げられない。

「オジロワシは目がいいんですよ。猛禽類の中には、数キロメートル先の獲物を見つけられるものもいるんですって。知ってました?」

(し、知らなかった……)

「どこへ行っても、どれだけ速く飛んでも逃げられませんよ。観念して人間の姿に戻ってください。雪斗くんと話がしたいんです」

 強い口調で言い含められて、雪斗はチュル……と鳴き声をあげてうなだれた。




 楓の木を背もたれにして、雪斗と飛彦はそろって座り込んでいた。正確には楓の木を背もたれにした飛彦に、雪斗はすっぽりと抱きかかえられていた。背中越しに人の温かさが伝わってくる。恥ずかしくて止めてほしいとは思うけれど、飛彦の抱擁は揺るがない。2度と雪斗を逃がすつもりはないようだ。

「まずは一番の誤解から解かせてください。『若葉』は私の母親の名前です。断じて、断じて好きな人などではありません」

「……え?」

「私がこの街へと出てきてから、母親から手紙が届くようになったんです。返事を返さなきゃいけないとは思いつつ、母親に向けて文章をつづるというのは照れ臭くて。うまく書けなくて悩んでいたところに、雪斗くんから文通を持ちかけてもらったんです」


 雪斗は在りし日の記憶をたどった。雪斗が文通を持ちかけたその日、飛彦は「手紙を送りたい相手がいるが、うまく文章が書けない」と話していた。その話を聞いた雪斗は、自分も父母に宛てた手紙をうまく書くことができないと共感を抱いたものだ。


「そうだったんですか……? でもそれなら若葉さん宛の手紙を届けたときに、はっきり言ってくれてもよかったじゃないですか。飛彦さんが変に手紙を隠そうとするから、僕はてっきり……」

 雪斗の主張には、たどたどしい答えが返ってきた。

「は、恥ずかしいじゃないですか。この年になって母親と手紙のやりとりをしているだなんて……母親に宛てた手紙を読まれるのも拷問ですよ……」

「んん……その気持ちはよくわかる……」


 思い返してみれば、雪斗も飛彦に父母との文通を明かしたことはない。父母に宛てた手紙の添削を頼んだこともない。理由は単純に恥ずかしいからだ。いくらこの街では文通が一般的なのだとしても、離れたところで暮らす両親とまめに手紙のやりとりをしているだなんて、年頃男子にしてみれば恥以外の何物でもない。

 若葉は飛彦の母親、しかしその事実を知っても雪斗の心は晴れなかった。飛彦には好きな人がいて、想いをつづった手紙を渡そうとしている。その事実に変わりはないのだから。


(結局、僕は振られるんだよ。いくら話をしたってその未来は変わらない)

 むくれる雪斗の目の前に、1通の手紙が差し出された。

「これ、雪斗くんへの手紙です。この間からずっと渡そうとしてたのに、雪斗くんがちょろちょろ逃げ回るから今まで渡せませんでした」

 飛彦の口調は皮肉めいた調子だ。確かにここ数週間、雪斗は全力で飛彦から逃げていた。顔を合わせることも話をすることも拒み、手紙すら受け取らなかった。


 雪斗はむくれ顔のまま手紙を受け取り、封を切った。

 三つ折りの便箋を開く。




 雪斗くんへ


 早いもので雪斗くんとの文通を始めてから2か月が経ちました。初めのうちは最初の1文を書くことにも四苦八苦していたのに、今ではすらすらと文章が出てくるから不思議です。物事は習うより慣れよ、とは本当ですね。雪斗くんには本当に感謝しています。


 さて、今日は大切な話をしたくて手紙を書きました。雪斗くんにとっては驚くような話だと思いますが、最後まで読んでもらえると嬉しいです。


 私には好きな人がいます。好きかもしれない、とはずっと感じていたのですが、このたびようやく自分の想いを恋だと認めることができました。

 相手はとても可愛い人です。自分の容姿にコンプレックスを感じているようですが、惚気なしに可愛いのだからもっと堂々とすればいいと思います。

 その人から手紙を貰うたびに、嬉しくて頬が緩んでしまいます。貰った手紙は箱に入れてすべて大切にとってあります。

 その人がそばにいると愛しくて抱きしめたくなります。一度我慢できずに抱きしめてしまったことがあるのですが、嫌な顔はされませんでした。……だからもしかして、ほんの少しは可能性があるのかなって。そう思うと想いを伝えずにはいられませんでした。


 私には好きな人がいます。

 雪斗くん、あなたのことです。

 2人きりで行きたい場所や、話したいことがたくさんあります。万年筆や便箋だけではなくもっと素敵な物を贈りたいし、雪斗くんの作ったオムライスも食べてみたいです。


 すぐに恋人になってほしい、とは言いません。雪斗くんにとっては寝耳に水の告白でしょうし、ゆっくり考えてもらって大丈夫です。雪斗くんの答えがどうであっても、私は雪斗くんを責めたりはしませんから。

 季節の移ろう時期ですがお身体には気を付けて。お返事待っています。


 飛彦




「……はぇ?」

 渡されたばかりの手紙を2度3度と読み返し、雪斗は間抜けな声をあげた。何をどう読み替えても、それは間違いなく雪斗へのラブレターなのだから。

「直接、言葉で伝えられなくてすみません。私は口下手なもので、自分の気持ちを正しく伝えられる自信がなかったんです」

 飛彦の声を耳元で聞きながら雪斗は放心状態だ。


 心臓がうるさいほどに鳴っている。

 抱きしめられた背中が熱い。

 熱と涙で視界がかすむ。


「雪斗くん……答えを聞かせてもらってもいいですか?」

 掠れた声で問いかけられて、雪斗はぱくぱくと唇を動かした。

「…………聞かなくたってわかってる癖に。飛彦さんのいじわる……」

 消え入るような声でそう答えるのが精いっぱいだった。


 ○○○


 季節はめぐる。

 大地を覆い隠していた雪は解け、林の木々は若葉を芽吹かせ始めていた。川の流れは清らかで、山から吹き下ろす風は暖かく、立っているだけで気分がわくわくとしてしまう。


「もうすっかり春ですねぇ」

 どこか遠くにウグイスのさえずりを聞きながら、飛彦は言った。今日は喫茶わたゆきの休業日。雪斗と飛彦は、建物から少し離れた林の中をのんびりと歩いているところだ。

「今年は雪解けが早かったみたいですね。春先にあまり暖炉を炊かなかったから薪がたくさん残ってるって、おじいちゃんが喜んでいました」

「薪の切り出しは大変ですもんね。声をかけてもらえれば手伝いますよ」

「え、本当ですか? 死ぬほどこき使われますよ」

 雪斗が生真面目な表情で言えば、飛彦は楽しそうに笑い声を零した。そしてそれから少し残念そうに雪斗の方を見た。


「雪斗くんの髪の毛も、すっかりボリュームダウンしちゃいましたね」

「あのもふもふは冬限定なので。毎年春がくると、抜け毛がひどくて大変なんです」

 雪斗はすっかり軽くなった頭を撫でた。冬のあいだ『雪の妖精』の名にふさわしくもふもふだった髪の毛は、今は半分程度の量まで減ってしまった。色も少し茶色がかった白へと変わり、さながらコーヒーカップに注がれたカフェラテのような色合いだ。


 林の中で歩みを止めた。目の前にはさらさらと流れる小川がある。ひんやりと冷たい雪解け水をのせて、どこかわからない場所へと流れていく。

 白く輝く水面を眺めながら、飛彦はぽつりと言った。

「次の週末、母が遊びにくることになったんです」

 雪斗は飛彦の横顔を見上げた。

「母って……もしかして『若葉さん』?」

「そう、例の『若葉さん』です。それで差し支えなければ、母に雪斗くんのことを紹介したいと思っているんですが……どうでしょう?」

「紹介って……こ、恋人としてってこと?」

「そういうことになります」


 突然の提案に、雪斗は言い淀んだ。

「そ、それはさすがに早くないですか? 付き合い始めてからまだ時間も経っていませんし、この先僕たちがどんな関係に落ち着くのかもわかりませんし、若葉さんに会うのはもう少し時間が経ってからの方が――」

 雪斗の説得をさえぎって、飛彦は悪戯げに目を細めた。

「オジロワシは一途な鳥なんですよ。一度『つがいだ』と決めた相手と生涯添い遂げるんです。私はそのくらいの覚悟で雪斗くんに告白したんですが――……雪斗くんは違いました?」

「うぇ⁉ ち、違わないけどぉ……」

 大慌てで肯定すれば、飛彦は「ふふ」と声をひそめて笑う。雪斗のことを責めるような言い回しとは裏腹に、随分と楽しそうだ。


(じょ、冗談だったの……? 『つがい』だとか『生涯添い遂げる』だとか言うからびっくりしちゃった……)

 それでも何となく、来年の春もまたこうして飛彦と一緒にいるのだろうと思った。

 何度冬が来ても、何度春が来ても、変わることなくそばにいられるのだろうと思った。


 生涯を添い遂げるオジロワシのつがいのように。

 何度、季節がめぐっても。【終】

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