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第2話 コーヒーとお手紙

 その日、雪斗は街へとやってきていた。

 目的は買い出し。喫茶店で使う調味料や、替えの電球など、こまごまとした物を買い求めるためである。大量発注が可能なコーヒー豆やミルクなどは、業者に頼んで喫茶店まで運んでもらった方が割安。しかしその他のこまごまとした買い物は、自分の足でこなした方がお得なのだ。


 まず初めにやってきたのは、買い出しのたびお世話になっている製菓店だ。ケーキに混ぜこむためのドライフルーツやチョコレートペースト、しぼり袋や菓子型などをお手頃価格で販売している。

 店に入るとチョコレートの甘い匂いがただよってきて、雪斗はふんふんと鼻を動かした。


「お、雪斗くん。いらっしゃい。今日は何を買っていく?」

 と製菓店の店主。

「ナッツとドライフルーツを何種類か買っていこうかな。あとはラム酒とアーモンドパウダーと……マロンペーストは置いてる?」

「小さい袋でよければ置いているが……今日はずいぶん、珍しい物を買っていくんだな」

 店主が不思議そうな顔をするので、雪斗は苦笑いを浮かべた。

「最近、喫茶店に若い常連さんができたんだよ。それでおばあちゃんが『若い人の口に合うハイカラなお菓子を作らなきゃ』ってやる気になっちゃってさ」

「へぇ……ってことは、その常連さんは男性かい?」

「男性だね。それもキリッとしてシュッとしたイケメンさん」

 雪斗が大真面目な顔で伝えると、店主は声をあげて笑った。


 商品の支払いを済ませ、大荷物をかかえ製菓店を出た。近くの雑貨店で電球を買い、そのまま帰路につこうかとも思ったけれど、何となく大通りへと足を向けた。

 昼下がりの大通りはにぎわいに包まれていた。通りの左右にはレンガ造りの建物が建ち並び、煙突から吐き出された白煙が冬の空へとのぼっていく。綿雪をのせた街路樹も、空き地に積み上げられた雪山も、元気いっぱいでつららを振り回す子どもたちも、この街にとっては当たり前の光景だ。


 その見慣れた風景の一角に、ふと見慣れた横顔を見つけ雪斗は足を止めた。黒茶色の髪にきりりと精悍な顔立ち――飛彦だ。上品な革のコートに身を包んだ飛彦は、街路樹の下に立ち、雪斗の知らない若い女性と話をしている。

(……デートかな? でも飛彦さんに付き合っている人はいないはずだし、デートというには空気が硬いような……)

 仲良く話をしているというよりは、女性が一方的に飛彦に話しかけているという印象だ。


 次の瞬間、飛彦が雪斗を見た。女性と話をするうちに、偶然そこに雪斗がいることに気がついたのだろう。驚いた表情はすぐにすがるような表情へと変わり、雪斗は状況を把握した。

(飛彦さん、あの女の人にナンパされてるんだ)

 素知らぬふりをしてその場を立ち去ろうかとも思ったけれど、一度視線を合わせてしまった以上、薄情な態度などとれるはずもなし。雪斗は勇気を奮い起こし、飛彦の元へと向かった。


「飛彦さん、お待たせしちゃってすみません。買い物に時間がかかっちゃって」

 できるだけはきはきとした口調でそう告げると、飛彦は見るからにほっとした表情となり、そして女性は迷惑そうな表情となった。せっかくいいところだったのに邪魔者が入ったわ、と心の声が聞こえてくるようだ。

「何よ、連れがいたの? 1人で買い物にきたのだと言っていたじゃない」

「買い物には1人できたんですよ。買い物が終わりしだい、彼と合流してお茶をする予定だったんです」

「男友達とお茶をするより、私と食事をする方が有意義だとは思わない?」

「申し訳ありませんが、彼との約束が先なので」


 飛彦と女性のやりとりに耳を澄ませていた雪斗は、何となくの状況を理解した。

 1人で買い物にやってきた飛彦は、女性から突然「今、1人?」と声をかけられた。そして正直に「1人です」と答えてしまったあと、女性の目的がナンパであることに気付いたのだ。何とか誘いを断ろうと奮闘していたところに雪斗が姿を現した――


 雪斗はあらためて女性の風貌を眺め見た。すらりとした綺麗な女性だが、濃い化粧が勝気な印象を抱かせる。自称:口下手な飛彦では、女性の誘いをかわすことは簡単ではないだろう。

 女性はふんと鼻を鳴らすと、雪斗の顔をにらみつけ、挨拶もせずにその場を立ち去った。


 雪斗と飛彦は同時に安堵の息を吐いた。

「雪斗さん、ありがとうございました。いきなり声をかけられて本当に困っていたんです」

「お役に立ててよかったです。よくあるんですか? こういうこと……」

「よく、というほどではありませんけれど、たまにありますね。それでもいつもは、私にその気がないころを伝えれば諦めてくれるんですけれど……」

 今日の方は粘り強かったです、と飛彦は苦笑いを浮かべた。


「雪斗さんもお買い物ですか?」

「そう、喫茶店で使う製菓材料を買いにきたんです。飛彦さんが喫茶店にくるようになってから、おばあちゃんがやたら張り切っちゃって。明日はモンブランにチャレンジするみたい」

「それは楽しみです。明日配達に行けるかどうかは、まだわかりませんけれど」

 にっこりと笑う飛彦は相変わらずイケメンだ。1人で街を歩いていたら、女性に声をかけられてしまうことにも納得である。


(本人は口下手だって言うけれど、そこまで酷くはないしね。会話を盛り上げるのが苦手、というのは確かにそうなのかもしれないけれど)

「じゃあ僕はこれで失礼しますね。また喫茶店でお待ちしています」

 雪斗が丁寧に会話を切り上げて、その場を立ち去ろうとすれば、遠慮がちな声が背中にあたった。

「雪斗さん。もしよろしければなんですけれど――……」




 こぢんまりとした店内にはふんわりとケーキのいい香りが漂っている。

 雪斗と飛彦は、大通りの一角にある小さな喫茶店を訪れていた。どこか古めかしさを感じさせる喫茶わたゆきとは正反対の真新しい喫茶店だ。喫茶店、というよりはカフェ、という呼び方が正しいのだろうか。


 洒落た椅子の背中にコートをかけながら、飛彦は嬉しそうだ。

「喫茶わたゆきへ通うようになってから、喫茶店巡りが趣味になってしまって。この喫茶店では少し珍しいお菓子を提供しているという噂を聞いて、一度きてみたいと思っていたんです」

 雪斗もまた椅子の背にコートをかけながら言葉を返した。暖かな店内にも関わらず、もこもこの毛糸帽子はかぶったままだ。


「今更ですけど僕が連れでよかったんですか? どうせ喫茶店に立ち寄るのなら、さっきの女の人と一緒でもよかったんじゃ……」

「下心のある相手とお茶をしたって、楽しくもなんともないじゃないですか。変に誘いを受けて、脈があると勘違いされても面倒ですし」

「それはまあ、そうですね」


 2人が喫茶店を訪れたのは飛彦の誘いだ。丁寧に会話を切り上げて、その場を立ち去ろうとする雪斗を、飛彦が呼び止めたから。「もしよろしければ一緒にお茶でもどうですか?」と。

 特段ことわる理由も思いつかなかった雪斗は、深く考えることなくその誘いを受けた。


 しかし雪斗は飛彦と友達というほど仲がいいわけではないし、こうしてプライベートで顔を合わせるのは初めてのこと。何を話していいのかわからず、雪斗は内心困惑していた。

 注文を済ませたあと、たどたどしく質問した。

「飛彦さんは……ええと、今日は何を買ったんですか?」

「便箋と封筒です。手持ちの物を切らしてしまったので」

「へぇ、文通友達でもいるんですか?」

 雪斗の質問に、飛彦はゆっくりと首を横に振った。

「手紙を送りたい相手がいるんです。でもうまく文章が書けなくて、四苦八苦しているうちに手持ちの便箋がなくなってしまって……」

「あー……確かにありますね、そういうこと」


 雪斗の父母は月に1度、雪斗あてに手紙を送ってくる。祖父母の元で働く雪斗のことを心配し、そうして手紙を送ってくることはわかっているが、多少のわずらわしさを感じてしまう。

 というのも手紙の返事を書くことが面倒だからだ。何を書けばいいのかわからなくて、いつも返事を先延ばしにしてしまう。大層なことを書く必要はない、と頭ではわかっているはずなのに。


(飛彦さんも僕と同じで手紙を書くことが苦手なのか……)

 親近感を覚える雪斗の目の前に、書きかけの便箋が差し出された。

「ええと、これは?」

「昨日書きかけた手紙です。読んでみて、どう思いますか?」

 つまり手紙の感想がほしい、ということらしい。

 そういうことならと便箋を受け取り、視線を走らせた。シンプルなデザインの便箋にはくせのない綺麗な字が連なっている。


(……ん、んん?)

 文章を読み進めるうちに、雪斗はしだいに違和感を感じ始めた。

 手紙の冒頭は当たり障りのない挨拶文だ。そしてその後は、十数行にわたり天気の話題が続いている。それも3日前にたくさん雪が降っただとか、2日前の早朝はいつもよりも冷え込んだとか、昨日は風が強かっただとか、そんな面白味のない文章が延々と書きつらねられているのだ。


「手紙というか、お天気報告書……」

 思わず率直な意見を口にすれば、飛彦は悩ましげに頭を抱えた。

「やっぱりそう感じますよね……何度書き直してもそうなってしまうんです。食べ物の話題にすれば献立表になってしまうし、仕事のことを書けば業務日誌になってしまうし、もう本当にどうすればいいのかわからなくて……」

「具体的なエピソードを書くようにすればいいんじゃないですか? 例えばただ『昨日は風が強かったです』だけじゃなくて『風が強かったので1日自宅で本を読んで過ごしました』とか、そこから派生して本の話題にうつるとか……」


 などともっともらしい助言をしてみたところで、雪斗もまた手紙が苦手であることに違いはなし。先週の初めに届いた父母からの手紙に、いまだに返事を返せずにいる。

 飛彦の手紙は、便箋の中ほどで文章が途切れていた。末尾は何度も書き直した跡がある。飛彦は飛彦なりに悩んでこの手紙を書いたのだ――できあがった手紙がお天気報告書としか思えなくても。そう思えば少し、飛彦に同情してしまった。


「あの……飛彦さん。もしよければ僕と文通をしませんか?」

 突然の提案に、飛彦は意外そうに声をあげた。

「え?」

「実は僕も手紙を書くのが苦手なんです。だから文通をしながらお互いの文章を添削するというのはどうでしょう。良いところも悪いところも遠慮せずに指摘する、という条件で」


 この街の人々は手紙を書くことが好きだ。雪斗の祖父母も、何人かの友達と長年にわたり文通を続けている。喫茶わたゆきの常連客の中には、旅行先で顔をあわせただけの人と手紙のやりとりをしているという強者もいる。

 この街の人々にとって、手紙は人と人とをつなぐ大切な手段のひとつだ。普段は言えないことでも、文章にならしたためることができる。遠方にすむ家族・友人と喜びや悲しみを共有することができる。だから人々は手紙を書く。日々たくさんの手紙を届ける郵便配達人は大忙しだ。


 雪斗も飛彦も手紙を書くことが苦手。けれども苦手なことをいつまでも苦手にしておくわけにはいかない。先に述べたとおり、この街の人々にとって、手紙は人と人とをつなぐ大切な手段のひとつなのだから。


「本当にいいんですか? 私への手紙を書くことが、雪斗さんの負担になったりは……」

 申し訳なさそうな表情の飛彦に、雪斗は微笑みを返した。

「お互い、負担にならない程度にやりとりをするんです。1週間に一度でもいいですし、何なら1ヶ月に一度でもいいですし。飛彦さんが喫茶店へやってきたときに手紙のやり取りをすれば、郵便料金もかからないですし、結構いい案だと思うんですよね。……どうでしょう?」

 出過ぎた提案だっただろうか、と上目づかいで飛彦を見た。


 飛彦は少し考え込んだあと、目を細めて表情をほころばせた。

「確かにとてもいい案です。雪斗さん、よろしくお願いします」

「はい、こちらこそ」

 こうして雪斗と飛彦は文通友達になった。両親と手紙のやり取りをすることは億劫なのに、飛彦との文通はただただ楽しみで、不思議なこともあるものだと思った。


 ○○○


 雪斗さんへ


 私と文通ともだちになってくれてありがとうございます。初めてのお手紙なので、まずは簡単な自己紹介を書きますね。


 私はもともと遠く離れた田舎町で暮らしていましたが、少し前にこの街へとやってきました。便配達員の仕事を選んだのはたまたま空きがあったからです。積極的に人と関わる仕事ではないので、口下手な私でもこなせるだろうという考えもありました。

 でもいざ仕事を初めてみると、意外と人と話す機会が多くてびっくりしています。喫茶わたゆきでもたくさんの皆さまに声をかけていただいていますが、私の口下手が原因で不快な思いをさせてはいないでしょうか? 冗談のひとつでも言えるようになれればとは思うのですが、難しいです。


 私の趣味は読書と喫茶店めぐりです。自宅にはたくさんの本があります。好きな食べ物はオムライスとハンバーグ、外見のわりに子どもっぽいとよく言われます。苦手なことは人と話すことと、手紙を書くことです。あとはホラー小説も苦手です。料理もあまり得意ではないです。

 ……自己紹介ってあとは何を書けばいいんでしょう? 何か私に聞きたいことがあれば、遠慮なく聞いてくださいね。では初めてのお手紙なのでこの辺りで失礼、お返事待っています。


 飛彦




 雪斗が飛彦と文通を始めてから1か月が経った。その間に手紙をやり取りした回数は、片手で数えられるほどに留まっているけれど、2人の距離はずいぶん近づいた。飛彦は雪斗のことを「雪斗くん」と呼ぶようになり、喫茶わたゆきで話をする機会も増えた。

 お互い上手に手紙を書けるようになったのか? と訊かれると難しいところではあるけれど。


 その日、飛彦は郵便配達のついでに喫茶わたゆきを訪れていた。

 飛彦のまわりには数人のご婦人たちが集まりおしゃべりの真っ最中。高齢のご婦人たちの中に、若い飛彦がぽつんと混ざるさまは、傍から見れば奇妙の一言。しかしこの光景は今や喫茶わたゆきの定番である。


「飛彦さん、雪斗くんと文通をしているんですって?」

 と尋ねる者は夜々。

「はい。1か月くらい前に始めたばかりですけれど」

「若い男の子ってどんな手紙をやり取りするの? 想像がつかないわ」

「皆さんが書く手紙とあまり変わらないと思いますよ。最近読んだ本の話とか、行ってみたい旅先の話とか、そんなとりとめのない内容です」

「それにしても羨ましいわぁ。私、過去に何度か雪斗くんを文通に誘っているのよ。でも『手紙を書くのは苦手だから』といつも断られてしまってね。やっぱり男の子は男の子同士の方が気楽なのかしら……」

 夜々は溜息交じりに頬杖をついた。


 雪斗はカフェカウンターでケーキを切り分けながら、彼らの会話に耳を澄ませていた。

 飛彦が常連客になってからというもの、喫茶店のメニューは驚くほど充実した。中でも日替わりで提供される『本日のケーキ』は喫茶わたゆきの看板メニューとなり、ケーキを目当てとした新規の客も増えた。ほくほく顔でケーキを焼く祖母の姿を見るたびに、「イケメンのパワーはすごいや」と思わずにはいられない。

 ちなみに今雪斗が切り分けているのは、旬のリンゴをたっぷりと使ったパウンドケーキだ。


「雪斗くん」

 肩口で優しい声がした。驚いて振り返れば、そこには空のコーヒーカップを手にした飛彦が立っていた。

「飛彦さん……どうしました? あ、コーヒーのお代わりですか?」

「はい、頂いてもいいですか?」

「どうぞどうぞ。すぐ準備しますね」


 カフェカウンターの戸棚を開け、コーヒーミルを取り出した。銅製のミルにコーヒー豆を入れ、グリップに手をかける。かりかりかりと小気味のいい音を立ててコーヒー豆が削れていく。


 スプーン1杯分の豆をすっかり削り終えたとき、雪斗は飛彦がまだそこに立っていることに気が付いた。

「カップ、そこに置いておいてもらって大丈夫ですよ。コーヒーを淹れたら席までもっていきますから」

「あ、はい。よろしくお願いします」

 などと言いながらも、飛彦はいつまでもカフェカウンターのそばを立ち去らなかった。不思議に思いまた視線をあげたとき、飛彦は緊張した表情で雪斗のことを見下ろしていた。


「あの……雪斗くん。もし迷惑じゃなければなんですけど」

「なんでしょう?」

「週末、2人で買い物に行きませんか?」

 それは思いもよらない申し出だった。作業の手を止めて飛彦の顔を見つめれば、スプーンから零れたコーヒー粉がカフェカウンターの上にはらはらと落ちる。

「何か欲しい物がありました?」

「新しい便箋を買いたいんです。雪斗くんとの文通が楽しくて、いつも便箋を使いすぎてしまうから、少し大きめの物を買おうかなって」


 ――雪斗くんとの文通が楽しくて 

 さらりと告げられた言葉にむずがゆさを覚えたが、何でもないという表情で会話を続けた。 

「あー……確かに最近、手紙の枚数が増えていますよね。そういうことならご一緒しますよ。ちょうど僕も新しい万年筆がほしいと思っていたんです」

 そう答えると、飛彦は目に見えて表情を明るくした。ぱぁ、っと顔中に灯りをともしたようだ。


 どちらかといえばいつも表情に乏しい飛彦が、そこまで嬉しそうな顔をするのは初めてのことで、雪斗はまた言葉にしがたいむずがゆさを覚えてしまう。

(文通友達として一緒に便箋を買いにいくだけ、それ以外に特別な意味なんてないんだってば)

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