目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
シマエナガくんとオジロワシさん
三崎こはく
BL現代BL
2024年08月08日
公開日
33,719文字
完結
シマエナガの鳥獣人である雪斗(ゆきと)は、真っ白でもふもふの髪の毛がコンプレックス。

ある日、雪斗が働く喫茶店に新しい郵便屋さんがやってきた。
彼の名は飛彦(とびひこ)――オジロワシの鳥獣人だ。
 
ひょんなことから文通を始めることになった2人は、つたない手紙のやりとりを通して少しずつ仲良くなっていく。
しかしどうやら飛彦は『若葉(わかば)』という名の女性に片思いをしている模様――?

第1話 雪の日の出会い

 しんしんと。

 雪が降り積もる街の片隅に、小さな喫茶店があった。無垢材の壁に赤い屋根をのせたその建物は、さながら雪景色に立つサンタクロースのよう。

 ききぃ、と古びた扉を開けば、香ばしいコーヒーの香りは胸いっぱいに流れ込んでくる。客人を出迎える老店主の声、ぱちぱちと音を立てて燃える煉瓦造りの暖炉。暖かな空気が冷えた指先を溶かしてくれる。


「いらっしゃいませ、お席にご案内しますね。どうぞこちらへ」

 温かな室内で、奇妙にも毛糸帽子を頭にのせた青年が、客人にそう声をかけた。くりくりとした黒い瞳が印象的な、愛らしい容姿の青年だ。


 客人が席につくと、青年はテーブルにおしぼりとお冷をのせ、人懐こい笑顔でにこりと微笑んだ。

「注文が決まったら声をかけてくださいね」

 胸の前におぼんを抱え、去っていく青年の襟足には、ちょろりと白いおくれ毛があった。


 ○○○


「雪斗くん。悪いんだけど、倉庫からまきを運んできてくれるかしら」

 エプロン姿の祖母にそう声をかけられて、雪斗はこくりとうなずいた。


 あまり大きくはない街の片隅で、雪斗の祖父母は小さな喫茶店を営んでいる。古びて使われたなくなったログハウスを、祖父みずから改装した洒落た喫茶店だ。

 提供されるメニューは数種類の飲物と日替わりのケーキ、それから祖母特製のサンドイッチとオムライス、それだけ。それでも日々の喧騒を忘れさせるような暖かな雰囲気に魅了され、足しげく通う客人は多い。知る人ぞ知る隠れ家的な喫茶店、というところだろうか。

 雪斗はその小さな喫茶店で店員として働いていた。


「すぐ運んでくるよ。焚きつけはまだあるの?」

「まだあったと思うけど……でもついでに運んできてもらえると助かるわ。明日も冷えるみたいだから、焚きつけを切らしてしまったら困るもの」

「ん、わかった」


 雪斗は手に持っていたおぼんを置き、厚手の上着にそでを通した。頭にのせた帽子をかぶりなおし、もこもこのマフラーを巻き、手袋をはめて外へ出る。

 赤らみ始めた西の空が、白銀の大地に反射して、まぶしさに目を細めてしまう。


 この街は、冬になるとたくさんの雪が降る。緑の山野も、彩り鮮やかな街並みも、すっぽり覆い隠してしまうくらい。だから街の家々には暖かさを保つための暖炉と、まきを保管しておくための倉庫が欠かせない。

 春先に林から丸太を切り出す人の姿も、庭先に積み上げられた丸太山も、まき割りに精を出す人の姿も、この街ではありふれた光景だ。


「うわぁ……さっむ……」

 雪斗はもこもこのマフラーに顔をうずめ、雪道を歩き出した。

 まきを保管してある倉庫は、喫茶店からは少し離れた場所に建てられている。祖父手製の木そりに山盛りのまきを乗せ、踏み鳴らされていない雪道を運搬するといういうのは、かなりの重労働だ。

 そのような力仕事を高齢の祖父母に任せられるはずもなく、冬場のまき運びはいつも雪斗の仕事。それでもその仕事を面倒だと思ったことは一度もなかった。


 木そりに山盛りのまきを乗せ、喫茶店へと続く道を黙々と引き返していたときのことだ。西の空に1羽の鳥が姿を現した。オジロワシだ。

 黒茶色の大きな羽を悠々とはためかせるオジロワシ。旋回しながら喫茶店の店先へと下りてくる。

 そして雪化粧の大地に両足をつけたかと思うと、しゅるりと音を立てて青年へと姿を変えた。


(わ、すごい。オジロワシの鳥獣人だ……)

 雪斗の暮らす街は鳥獣人の街だ。住人はみな鳥の血を引いていて、普段は人間の姿で生活をしながらも、自由自在に鳥へと姿を変えることができる。

 ハト、カラス、ヒヨドリ、ツグミ。鳥の種類は様々だが、オジロワシの鳥獣人は珍しい。雪斗は胸がドキドキしてしまった。


「あ、あの。喫茶店のご利用ですか……?」

 店先に立ち尽くしたままの青年に、雪斗はおそるおそる声をかけた。

 オジロワシの名を体現したかのような凛々しい容姿の青年だ。歳は雪斗よりも少し上――20代中盤というところだろうか。背は雪斗よりもこぶしを3つ分は高く、顔立ちも身体つきも整ってはいるがどこか堅苦しい印象を抱かせる。


 青年は見た目の印象に違いなく、堅苦しい口調で雪斗の質問に答えた。

「郵便です。喫茶わたゆきの銀次様あてにお手紙を預かっています」

 『喫茶わたゆき』は雪斗が働く喫茶店の名前。そして『銀次』は雪斗の祖父の名前だ。

 改めて見つめてみれば、オジロワシの青年の衣服には、郵便配達員であることを示す名札が縫い付けられていた。そして肩には革製の郵便かばん。


「配達ありがとうございます」

 雪斗は青年に向けて軽く頭を下げたあと、少し間をおいて質問した。

「あの……郵便配達員さんが変わられたんですか? 以前は別の方がこの地区を担当されていましたよね」


 この街では、郵便配達は人の手――ならぬ鳥の翼で行われる。鳥の姿となった郵便配達員が、街中を飛び回り手紙や荷物を届けるのだ。

 雪斗の働いている喫茶店にも、週に1、2回ほど手紙が届けられる。そして雪斗の知る限り、喫茶店へとやって来る郵便配達員は、いつも決まってハヤブサのお爺さんだったわけなのだが。


「数日前に局内の配置替えがあって、私がこの地区の配達を任されることになったんです。以前この地区を担当していた配達員は、今は別の地区の担当になりました」

「そうだったんですね、祖父母にはそう伝えておきます」


 青年は革手袋を脱ぐと、郵便かばんの中から白い封筒を取り出し、雪斗の胸の前に差し出した。封筒の表面には『喫茶わたゆき 銀次様』の文字。

 雪斗はその封筒を受け取ると、青年に向かってまた軽く頭を下げた。

「確かに受け取りました。寒い中ありがとうございます」

「いえ、仕事ですから。では私はこれで」


 青年は雪斗の顔を一瞥すると、革手袋をはめその場を立ち去ろうとする。雪斗は慌てて青年の背中に呼びかけた。

「あ、あの……よろしければ中で少し休んでいきませんか?」

「え?」

 疑わしげな視線に見据えられて、雪斗はたどたどしく説明した。

「以前この地区を担当されていた配達員さんは、よく喫茶店に立ち寄っていたんです。うちへの配達を一番最後にして、早めの夕食を食べていくこともありました。だからその……もし立ち寄っていただけるのなら、コーヒーくらいはサービスできますけど」


 青年は少し考えたあと、申し訳なさそうに目線を下げた。

「嬉しいお話ですが、みません。まだこの地区の配達に慣れていなくて、今日中に届けなければならない手紙がたくさん残っているんです」

「そ、そうですよね。忙しいのに引き留めてしまってごめんなさい……」

 雪斗の謝罪に、青年はかすかな微笑みを返した。

「でも次回の配達時には、ぜひ喫茶店に立ち寄らせてください。助言をいただいたとおり、ここへの配達を一番最後にしますから」


 それから雪道を1歩、2歩と歩いたかと思うと、しゅるりと音を立ててオジロワシへと姿を変えた。黒茶色の翼を数度はためかせ、大空へと舞い上がっていく。

 雪斗は届けられたばかりの封筒を握りしめ、林の向こう側へと消えていくオジロワシの影を見つめていた。

(オジロワシの鳥獣人か……かっこいいなぁ。僕とは大違い)


 ○○○


 オジロワシの郵便配達員が再び『喫茶わたゆき』へとやってきたのは、それから5日が経った日の夕暮れ時であった。

 カランコロン、とドアベルが鳴る。

 雪斗が洗い物をする手を止めて、音のした方を見てみれば、喫茶店の入り口にはオジロワシの青年が立っていた。黒茶色の頭髪に綿雪をのせ、真っ白な息をふぅと吐き出す。今日も外はよく冷えている。


「いらっしゃいませ」

 雪斗がそう声をかけると、青年はちらりと雪斗の方を見た。頭についた綿雪を払い落とし、手袋を脱ぐ。革製の郵便かばんに右手を入れる。

 雪斗は蛇口の水を止めると、タオルで両手をぬぐった。今、祖父と祖母は厨房に入っている。青年から手紙を受け取る者は、雪斗の他にいないということだ。


「郵便です。喫茶わたゆきの雪斗さんあてにお手紙を預かっています」

「ありがとうございます」

 青年が差し出した封筒を、雪斗はお礼を言って受け取った。封筒の表面には雪斗の名前、そして裏面には母の名前が刻まれている。


 雪斗の父母は、街からは少し離れた小さな集落で暮らしている。祖父母の元で働く雪斗のことを心配し、月に一度こうして手紙を送ってくるのだ。

(もう子どもじゃないんだから、こんなに頻繁に送ってこなくてもいいのになー……返事を書くのも結構、面倒だし)

 雪斗は手紙をエプロンのポケットへとしまい、青年に愛想のいい微笑みを向けた。

「今日は休んでいきますか?」


 青年の視線が一瞬、雪斗の帽子へとうつった。暖かな店内には不釣り合いな毛糸の帽子へと。しかしすぐに何事もなかったかのように答えた。

「ええ、ぜひ。温かい飲み物をいただけると助かります」

「ホットコーヒーにカフェラテ、ココア、それに紅茶を何種類か用意しています。何にしますか?」

「ホットコーヒーをお願いします」


 短いやりとりを済ませたあと、雪斗は青年を空いた席へと案内した。数あるテーブルの中で一番暖炉に近い席だ。煉瓦造りの暖炉では、真っ赤な火がばちぱちと音を立てて燃え盛っているから、濡れた衣服もよく乾くだろう。


 雪斗がカフェカウンターへと戻ったとき、厨房からは祖母が姿を現した。お盆の上にはオムライスの皿をのせている。祖母が作るオムライスは、三つ星の西洋料理店に負けるとも劣らないともっぱらの評判だ。


「おばあちゃん。暖炉のそばに座っている男の人、新しい配達員さんだよ」

 雪斗がひそひそ声でささやくと、祖母は「あら」と声をあげた。

「そういえば配達員さんが変わったと言っていたわねぇ。そう、あの人が新しい配達員さんなの……ずいぶんお若いわねぇ」

「前の人はおじいちゃんだったもんね。いつものように飲み物をお出ししていいよね?」

「何でも好きな物をお出ししてあげて。こんな遠いところまでわざわざ手紙を届けてくださるんだもの、サービスしないと」

 にこにこ笑顔の祖母は、オムライスを手にテーブル席の方へと歩いて行った。


 雪斗はコーヒーミルにコーヒー豆を入れると、力を入れてグリップを回した。かりかりかり、と豆が削れる小気味のいい音がする。

 喫茶わたゆきの自慢は、いつでも挽きたてのコーヒーが飲めること。常連客になればコーヒー豆の種類を選ぶこともできるし、豆の挽き方やミルクの量を指定することもできる。以前、この地区の郵便配達員であったハヤブサのおじいさんは、そうして好みのコーヒーを追求することを楽しみにしていた。


 挽きたてのコーヒー粉をドリッパーへと移しながら、ちらりと店内の様子をうかがった。3時のおやつというには中途半端な時間だが、店内はよく賑わっている。客の大半は常連客で、コーヒーを片手におしゃべりを楽しむ人の姿も目立つ。

 その和やかな雰囲気の中でただ1人、堅苦しい表情を保つオジロワシの青年。暖炉の火に背中をあてながら、そわそわと周囲の様子を見回している。

(うちの常連客は年配の人が多いからなー……無理に誘うような真似をして悪かったかな)


 淹れたてのコーヒーをお盆にのせる。ミルクと砂糖を添え、ティースプーンも忘れずに。

 少し悩んだ末、茶菓子にはクッキーを選んだ。うずまき模様のクッキーは、昨晩雪斗の祖母が焼いた物。メニューには載っていないが、店ではこうして気まぐれに無料の菓子を提供することがある。常連客ばかりの喫茶店ならではの楽しさだ。


「お待たせしました。ホットコーヒーです」

 雪斗が運んだコーヒーに、青年はすぐに口をつけた。淹れたてのコーヒーを舌先で転がし、ほぅと一息。

「美味しいです。それにとても温まります」

「それは良かったです。気温も下がる時間ですから、ゆっくり温まっていってください」

「ありがとうございます」


 その後も会話を続けようとしたが、青年が静かにコーヒーを口に運ぶ姿を見て、雪斗は口をつぐんだ。一人きりのティータイムを邪魔するのは失礼だと思ったからだ。

(あまりおしゃべりが好きなタイプではないのかな……放ったらかしにするのは悪いかと思ったけど、気をつかって絡みにくる方が失礼か……)


 赤々と燃える暖炉火に、湯気を立ち昇らせるホットコーヒー。ティーカップを持ち上げる長い指先に、しっとりと濡れた黒茶色の前髪。

 優雅な1枚絵を横目に見ながら、雪斗はそっと青年のそばを離れた。




 オジロワシの青年が席を立ったのは、来店から30分が経とうという頃であった。その頃には窓の外は薄暗く、建物の周囲にはちらちらと粉雪が舞っていた。


「お会計をお願いします」

 身支度を済ませた青年に声をかけられて、雪斗はふるふると首を横に振った。

「お支払いは結構ですよ。サービスですから」

「コーヒーはサービスでも、クッキーを頂いているでしょう。その分のお支払いです」

 ああ、そういうことか、と雪斗は納得した。

「クッキーのお代は頂いていないんです。ちょっとしたオマケというか、いつも来ていただくお客様への感謝の気持ちというか。だから本当に気にしないでください」

「そうなんですね……ではお言葉に甘えさせていただきます」


 青年の手が扉を開けた。冷えた空気がほおを撫でる。

 冬の夜は冷える。木々に守られた林道を歩くならまだしも、空を飛べばさぞかし身体は冷えるだろう。雪斗は小さな声で謝罪した。

「あの……引き留めるような真似をしてすみませんでした」

「え?」

「うちには暇を潰せるような本や雑誌は置いていませんし、退屈でしたよね。次回配達にいらしたときは、そのままお帰りになっても構いませんから」


 喫茶わたゆきの客人は常連客ばかりだ。それも喫茶店でのおしゃべりを目当てにやってくる高齢の客人が多い。例えただでコーヒーが飲めたのだとしても、誰とも話さずただ暖炉にあたって過ごす時間は退屈だっただろう。


 あれこれと考えて念のため謝罪をした雪斗であるが、青年はそんなことはまるで気にしていないと微笑を浮かべた。

「とても贅沢な時間でした。家や仕事場にいると、あれこれと雑用に手をつけてしまいがちですから。週に1度や2度、こうしてのんびりとコーヒーを飲む時間があってもいいのかなって」

 雪斗の瞳を見据え、言葉を続けた。

「雪斗さん、とおっしゃいましたよね。私は飛彦といいます。また配達の折には立ち寄らせてください」 

「は、はい。お待ちしています……」

 どこで名前を知られたのだろう、と雪斗は不思議に思った。

 しかしすぐにその答えに行きついた。青年が届けてくれた手紙には雪斗の名前が書かれていたし、喫茶店の常連客は雪斗のことを「雪斗くん」と呼ぶ。コーヒーを楽しむ間に、雪斗の名前を耳にする機会は何度もあったはずだ。


 扉の向こうへと消えていく飛彦の背中を眺めながら、雪斗はぼんやりと考えた。

(飛彦さん、飛彦さん……カッコいい人は名前までカッコいい)


 ○○○


 オジロワシの青年――飛彦は、いつの間にか喫茶わたゆきの常連客となった。

 飛彦が手紙の配達にやってくる頻度は週に1回、あるいは2回程度。それだけの頻度で喫茶店に出入りしていれば自然と顔見知りは増えるし、若く整った容姿の飛彦は喫茶内でもよく目立つ。年配のご婦人の視線を集め、会話の輪は広がっていき、気がつけば飛彦は喫茶一の人気者だ。


「飛彦さんは今、お付き合いしている方はいないの?」

 と老齢のご婦人。

「いないです。郵便配達の仕事を始めたばかりで、出会いを探す暇もありませんし」

「あら、そうなの。飛彦さんくらいイケメンなら、街を歩くだけで出会いはあるでしょうに。女性から声をかけられることはないの?」

「たまにそういう事もありますけれど……でも先には続かないんです。私は口下手で、会話を盛り上げることが得意ではありませんから」


 飛彦がそう言い切ったところで、別のご婦人が口を開いた。

「もし飛彦さんさえよければ、知り合いの娘さんを紹介しましょうか? タンチョウヅルの鳥獣人さんでね、ほっそりとしていて綺麗な子なの」

「え、ええ?」

 突然の提案に、飛彦は驚いた様子だ。


 その後も飛彦の意思とは関係なしに、会話はどんどん続いていく。雪斗はカフェカウンターで彼らの会話に耳を澄ませていたが、ご婦人の一方が「それで、顔合わせの場所はどこにする?」などと言いだしたとき、ついに助け舟を出した。

「夜々さん、紅子さん。そのくらいにしておきなよ。飛彦さん、困っているよ」

 少し強い口調でいさめると、2人のご婦人は同時に雪斗の方を見た。

「雪斗くん、そういうあなたは最近どうなのよ。好きな人はできた?」

「おっとまさかの流れ弾……できてないですぅ……」

「まったく……これだから最近の若い子は。冬が過ぎれば春がくるでしょう。鳥獣人わたしたちにとっては恋の季節よ? 今からあたりを付けておかないでどうするの」

「そんなことを言われても、できないものはできないんだよ……」


 雪斗の暮らす街は鳥獣人の街。住人はみな鳥の血を引いていて、普段は人間の姿で生活をしながらも、自由自在に鳥へと姿を変えることができる。

 そして半身が鳥であるからこそ、鳥獣人にとって春は特別な季節だ。ホルモンの関係から気分がわくわくとして、1年の中で一番恋をしやすい時期だと言われている。知り合いからの結婚報告や、妊娠報告が増えるのもこの時期だ。


 そうはわかっていても、街の片端にある喫茶店で1日の大半を過ごしていれば、新しい出会いなどほとんどないわけで。

 居心地悪そうに視線を泳がせる雪斗を見て、もう一報のご婦人が溜息を吐いた。

「だから私の姪を紹介しようかといつも言っているのに……どう? 一度会ってみるつもりはない?」

「夜々さんの姪御さんて、シマフクロウの鳥獣人さんでしょ? 僕なんかには勿体ないよ……」

「勿体ないかどうかは会ってみなきゃわからないじゃないの。臆病風に吹かれてたらいい出会いを逃してしまうわよ」


 そのとき、飛彦が唐突に質問した。

「雪斗さんは、なんの鳥獣人なんですか?」

 この街で暮らす者はみな鳥の血を引いている。飛彦はオジロワシ、夜々はシマフクロウ、紅子はアカゲラ。雪斗も例外ではない。しかし雪斗はすぐに答えることができず、不自然に言い淀んだ。

「僕は……ええと……」

 雪斗に代わり飛彦の質問に答えた者は、すぐそばに座っていた老齢の男性だった。

「雪斗はシマエナガの鳥獣人だよ」

「ちょっと雷蔵さん!」 

 声を荒げる雪斗のかたわら、飛彦ははてと首をかしげた。

「シマエナガ……ですか?」

「シマエナガは雪のように真っ白な野鳥だよ。スズメよりも小さくて『雪の妖精』なんて呼ばれることもある。あまり有名な鳥ではないからなぁ、アンタが知らなくても無理はねぇや」

「へぇ……『雪の妖精』ですか……」

 飛彦は興味深そうに雪斗の顔を見た。正確には毛糸の帽子におおわれた雪斗の頭部を。


 雪斗ははっとして帽子を押さえようとするけれど、ご婦人の1人が雪斗の帽子を奪い去るほうが早かった。

 帽子に隠されていた頭髪があらわになる。『雪の妖精』の名にふさわしい、真っ白でふわふわの髪の毛が。


「ひ、ひぇぇぇ……」

 雪斗は情けない悲鳴をあげてしゃがみこんだ。両手のひらで頭部をおおい、ふわふわの髪の毛を必死で隠そうとする。

(さ、最悪最悪! よりにもよって飛彦さんの前で……こんな情けない頭……)

「こ、これ、冬毛なんです……。春になればもう少しボリュームダウンするから……こんなもふもふじゃなくなるから……」


 懸命に訴える雪斗の髪の毛に、次から次へと人の手が伸びる。真っ白でふわふわの髪の毛を、無遠慮にわしわしと撫で回す者は、夜々と紅子を含む老齢のご婦人たちだ。

「久しぶりに触ったわぁ……雪斗くんの冬毛」

「小さい頃は毎日のように頭を撫でさせてくれたのにねぇ」

「今では帽子で隠すような真似をしちゃって、難しい年頃なのね」


 鳥獣人の大半は、人間の姿のときにも鳥の特徴を持っている。例えばカラスの血を引く鳥獣人は艶々とした黒髪を持つものであるし、シマフクロウの血を引く夜々は黄色味がかった大きな瞳を持っている。

 そしてシマエナガの血を引く雪斗はといえば、男性の中では比較的小柄な部類だ。加えて『雪の妖精』の呼び名にふさわしい真っ白でふわもふな髪の毛――雪斗が言ったとおり、春がくれば多少ボリュームダウンはするのだけれど。


「ちょっとあなたたち……うちの孫をいじめないでちょうだい」

 と祖母。お盆の上には飛彦が注文したホットコーヒーをのせている。

 ご婦人たちがすぐさま言い返した。

「いじめてなんかいないわよ。ただ雪斗くんは、もっと自分の容姿に自信を持つべきだと思ってね」

「そうそう。こんなに癒される髪の毛は他にないわ」

「ワンオーダーワンモフ制で喫茶わたゆきの売りにすべきよ」

 他人ひとの髪の毛を勝手に売り物にしないでくれ、という雪斗の心の叫びは、誰にも届くことはないのである。


 雪斗だって小さい頃は自分の髪の毛が好きだった。可愛いね、ふわふわだね、と皆が褒めてくれるからだ。しかし『可愛い』を誉め言葉として受け取れるのは幼少期だけ。ある程度の年齢になって、ご婦人方から『可愛い』と声をかけられても、嬉しくもなんともないのだ。

 だから雪斗はいつしか、冬になると室内でも帽子をかぶるようになった。雪のような、綿毛のような、ふわふわの髪の毛を誰にも見られたくなかったからだ。無論、喫茶の常連客であるご婦人たちは、雪斗の帽子姿を残念がったけれど。


 雪斗の父母も、祖父母も、兄妹も、雪斗と同じく真っ白な髪の毛をしている。けれども冬がくるたびに、極端な冬毛に生え変わるのは雪斗だけだ。

 現に目の前にいる祖母は、白くて長い髪の毛を後頭部でひとつにまとめているだけ。綿毛のような雪斗のシルエットとは似ても似つかない。


(僕だってもっとカッコいい鳥獣人に生まれたかったよ! オジロワシとまで贅沢は言わないけど、せめてハトとかキツツキとかさぁ!)

 心の中でそんなことを叫びながら、ちらりと飛彦の様子をうかがってみれば、飛彦は雪斗の髪の毛を食い入るように見つめていた。何か、とても珍しい物を見たというように目を丸くして。

(ほら、絶対変な頭だと思われてるもん……もうやだ……)

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?