公爵令嬢ジェナ・アシュベリーは悪巧みをしていた。
目的はリュシリス王国の第3王子であるイーサン・ブライトンとの婚約を破棄すること。
イーサンは眉目秀麗・有智高才の王子であるがとにかく性格が悪い。持ち前の美顔を駆使して初心な町娘をたぶらかしたり、類稀なる頭脳をくだらない悪戯にばかり使おうとする。「あの性悪王子が次期国王ではなくて本当に良かった」との文句を、ジェナは短い人生で何度聞いたかわからない。
イーサンが性悪王子と呼ばれているから、婚約者であるジェナは苦労する。イーサンが茶会で悪戯をすればジェナは共犯のように扱われるし、町娘を口説くたび「ついに婚約破棄か」と揶揄される。
ジェナはイーサンが嫌いだ。いつも面倒事を持ち込んではジェナの神経を逆なでる。
だからジェナはイーサンとの婚約を破棄するつもりなのだ。円満な婚約破棄のためならばどのような苦労もいとわない。
(……とはいえ、一度結ばれた婚約を破棄するのは大変なことよ。どうすればいいのかしら)
公爵家の名にふさわしい豪邸の一室で、ジェナはうんうんと頭を捻っていた。
イーサンとの婚約を破棄したい、という想いはいつも頭の片隅にあった。しかし現実に何かしらの行動を起こしたことは今までになかった。
というのもリュシリス王国では、男女ともに婚姻可能年齢は17歳と定められている。17歳になるまでは結婚させられることもないのだから焦る必要もなかったのだ。
しかし先日、ジェナは17歳の誕生日を迎えてしまった。イーサンも1か月前に17歳の誕生日を迎えている。つまり両家の親がその気になれば、ジェナとイーサンは明日にでも結婚させられてしまうということだ。性悪王子に永遠の愛を誓うなどまっぴらごめんである。
「……とりあえずお父様と話をしてみようかしら」
長考の末、これといった名案の浮かばなかったジェナは、ひとまず父の書斎へと向かうことにした。
「お父様。少しお話があるのだけれど、よろしいかしら?」
ジェナが書斎に顔をのぞかせると、公爵家の当主であるハモンド・アシュベリーは仕事の手を止めた。重厚感のある机の上には、たくさんの書類が山積みになっている。
「ジェナ、お前から話があるとは珍しいな。何用だ?」
ジェナはきりりと背筋を伸ばし、はっきりとした口調で言った。
「イーサンとの婚約を解消してほしいの」
「ふむ、理由は?」
「イーサンが性悪王子だからよ。彼がくだらない悪戯をするたびに、私まで白い目で見られるの。暇さえあれば街で女の子をナンパしているみたいだし、彼と結婚しても幸せにはなれないわ」
ジェナの主張は一字一句事実である。性悪王子の名をほしいままにするイーサンと結婚しても、ジェナは幸せになれない。ハモンドとて人の親なのだから、可愛い娘の願いを何とか聞き入れようとするはずだ――
そう安直に考えていたジェナであるが、ハモンドは予想外にもジェナの願いをばっさりと切り捨てた。
「お前の言い分はよくわかった。しかし婚約を解消することはできない」
「なぜ!」
ハモンドはゆっくりと首を捻った。
「お前……社交界で自分が何と呼ばれているか知っているか?」
ジェナは反射的に答えた。
「稀代の悪徳令嬢?」
「正解!」
そう、ジェナは悪徳令嬢なのだ。濡れ衣ではなく本当に性格が悪い。とある男爵令嬢に茶会で紅茶をぶっかけた経験もあるし、根も葉もない噂を流してライバル貴族を潰そうとした経験もある。
ジェナが働いた悪事をここですべて語ることはできないが、『稀代の悪徳令嬢』と呼ばれるにふさわしい数々の悪事を働いてきたということだ。
ちなみにではあるが、ジェナの両親は至って普通の貴族だ。品行方正に領地運営をし、領民から適正な額の税金を集め生活を成り立たせている。性根が腐っているのはジェナだけだ。
「私とて可愛い娘には良い結婚相手を用意してやりたかったがな。悪徳令嬢だとの噂が広がりすぎていて貰い手がなかったんだ」
苦渋の表情を浮かべるハモンドを、ジェナは上目づかいで見つめた。
「でもお父様……性悪王子と悪徳令嬢じゃ釣り合わないと思わない?」
「釣り合ってるじゃないか」
ぐぅの音もでないジェナである。
ハモンドの言うとおり、幼い頃から性格の悪かったジェナにはまともな縁談が叶わなかった。そしてそれは性悪王子と名高いイーサンも同様で、割れ鍋に綴じ蓋方式で2人はくっつけられてしまったのである。
「お、お父様の言うことはもっともなのだけれど……でも私にも言い分があって……」
まごまごと往生際が悪いジェナの言い訳を、ハモンドは一蹴した。
「お前が何と言おうがイーサンとの婚約は解消しない。諦めろ」
しっしと追い払う仕草をされてしまえば、ジェナはそれ以上何も言い返すことができず、むっつりと膨れて書斎を出た。
「そう簡単に諦めてたまるもんですか……」
何かいい手はないかと考えた末、ジェナはある人物に会うため邸宅のインナーテラスへと向かった。