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明かされる過去《六》

「霊斬……。どうして……」

 無表情で酒を呑む彼を見て、千砂は言葉を失う。

「ん?」

 霊斬は千砂に視線を向ける。

「どうして自身を犠牲にし続ける道を、捨てなかった? 刀鍛冶をしていれば、幸せだったんじゃないのかい?」

 霊斬は酒を呑み、乾いた笑みを浮かべる。

「俺も最初はそう思った。そうだと信じたかった。でもな、違ったんだよ。店をやっていくうちに聞こえてきたのは、悪に対する嘆きと怒りの声だった。

 どうしようもないほど追い詰められた、苦しみの声もあった。それを聞かなかったふりを、見て見ぬふりを、したくなかった。だから……」

 霊斬は言葉を切り、決意に満ちた目で千砂を見る。

「え……」

 そんな目をしないでと、千砂は口にできなかった。

「店を開けて五年後、裏稼業の〝因縁引受人〟を始めた。身分なんかどうでもいい。そんな人達のために、なにかしたかっただけだ」

「あんたは他人の願いを叶えるために、命を懸けて戦ってる! あんたが、他人にそこまで肩入れして、最悪死んじまったら、なんにもならない!」

 千砂は涙をたたえながら、怒鳴る。自分でも泣いていることに内心で動揺していたが、それどころではない。

「泣いてくれるな」

 霊斬はそんな千砂を見て、微かな笑みを浮かべる。

「どうして笑うんだい?」

 千砂が泣く。

「笑うしかないだろ」

 霊斬はぶっきらぼうに言う。

「そんな話を聞かされて、泣かない方が不思議だよ!」

 千砂は泣きながら、苛立ちをあらわにする。

「感情が……麻痺、しているのかもしれないな」

 霊斬は苦笑して、酒を呑む。

「感情が麻痺しているって……」

 千砂は茫然としながら、その言葉を反芻はんすうする。

 ――感情を殺さなければならないほど、霊斬が選んだ道は過酷なのだろう。自分ならおそらく、いや早々に逃げ出しているだろう。

 誰だって自分のことは可愛い。しかし、霊斬はそんなこと微塵も思ってない。一番自身をおとしめ、犠牲にしている。

 それを分かっていて、胸を痛めることすらない。痛んだとしても、やりすごしてしまうのだ。

「自分の心の悲鳴を、葛藤を、どうすれば無視できる?」

 千砂は心に浮かんだ言葉を、ゆっくりと吐き出す。

「沸き起こる感情、ひとつひとつに構っている余裕などなかった。俺自身が傷ついたと自覚するよりも先に、他者の絶望の方が遥かに重要だった。俺は〝自分について考える〟ことをやめたんだ」

 霊斬は冷ややかな声で、とても残酷な言葉を口にする。

 ――すべて分かった上で、自分を大事にしないと決めたのだ。

 霊斬の放った最後の言葉は、自分を呪っているようにも聞こえた。

「……霊斬」

 千砂は内心でさまざまなことを考えながらも、ただ名を呼ぶ。

「なんだ?」

「あんたが〝因縁引受人〟をするきっかけはなんだったのか、聞いてもいいかい?」

 千砂の問いに、霊斬は少し考え込んだ。

「……分かった」

 霊斬は酒を呑むと、静かな声で語った。

「今から三年前の冬。乳母が誰かの手にかかったことを、乳母の父からのふみで知った。俺はすぐに、乳母の父の許を訪ねた」



 うだるような暑さの中、額の汗を何度も拭いながら、目的の小さな家へと辿り着いた。

「お久し振りです」

たくましくなったな」

 霊斬の姿を見た乳母の父が言う。

「元気にしているか?」

「はい」

「旅は続けているのか?」

 その問いに霊斬は、笑みを浮かべて答える。

「今は江戸に身を置き、幻鷲霊斬と名乗っています。刀鍛冶をしております」

「いい名だな。自分でつけたのか?」

 乳母の父は尋ねた。

「いえ、ある人がつけてくれました」

「そうか……。娘にも今の君の姿を、見せたかったよ」

「亡くなったのは、いつごろなのですか?」

 霊斬が尋ねた。

「七日ほど前だよ。突然、賊がやってきて、家を荒らし、妻と娘が犠牲になった。二人に駆け寄っていったら、声が聞こえてきたんだ」

「そうでしたか」

 霊斬はうなずく。その双眸には憎しみが宿っている。

「ここにいる人を討ち取れば大金が手に入るって、武家の人が言っていた。それから男を捜せと。君のことだろうね」

「今さら連れ戻しにでもきたのでしょうか。それにしても、斬る必要はなかったはずです!」

 霊斬が激昂する。育ての親であり、幼かった霊斬の味方でいてくれたのは常に彼女だけだった。

「私もそう思う」

 霊斬は自分が昔いた武家の名を、すっかり忘れてしまっていた。あのころの記憶は消せなくても、その象徴となるものだけでも忘れていたかった。その方が少しでも、楽になれる気がしていたから。

 霊斬は立ち上がる。

「どこへいくつもりだい?」

「江戸に戻ります。せめて賊だけでも、なんとかします」

「斬っちゃあ、いけないよ?」

「……そうせずに済むよう、動いてみます」

 霊斬は頭を下げ、江戸へ戻った。



 それから数日の間、賊と武士の情報を集め、ついに目的の賊を探り当てた。

 黒の長着と、同色の馬乗り袴を身に纏う。黒の足袋を履き、黒の羽織を着る。同色の布で鼻と口を隠す。

 愛用している刀を腰に帯びる。その恰好は、後に〝因縁引受人〟を象徴する装束となる。

その集団がいるという家に向かった。

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