「霊斬という名に目に見えないものを斬ってほしい。そんな想いが、込められていたとはね。今の霊斬はそれを、実行しているじゃないか」
「そうだな。久し振りに会ったとき、貴州さんは暗い顔をしていたぞ」
「それはどうして?」
「貴州さんは裏稼業から、足を洗うよう忠告にきた。俺はそれを突っぱねた。貴州さんに言われるがまま、上着を脱いだ。そうしたら、暗い顔をしていたんだ」
「もしかして、火傷の痕も見せたのかい?」
「そうだが?」
霊斬はなにか悪いことでもしたか? と言わんばかりの、軽い口調で言う。
――自分が一番、苦しんだというのに。それをなんとも思わずに他人に晒すなんて。そんなこと、隠したがるものなのに。霊斬は下手に隠すより、見せてしまった方がいいと判断したのだろう。火傷の痕なんて、惨いもののはず。
「そんなの、見せられれば、誰だって暗い顔をする」
「そうか」
霊斬は酒を煽ると、話を再開した。
霊斬は用心棒の傍ら、稼ぎのいい仕事を探し江戸にきていた。その中でも危険だが、羽振りのいい暗殺が稼ぎやすい。そんな噂を聞き、ある武家の屋敷を訪れる。
「そなたが腕の立つ武人か」
「はい」
「この男を殺めてまいれ」
下仕えの者が男の名を告げる。
「かしこまりました」
霊斬は下仕えの者から必要な情報を聞き出し、屋敷を後にした。
この日、霊斬は人斬りとなるにあたり、表向きには幻鷲と名乗ることに決めた。
幻鷲は男が通る道の物陰に隠れ、待ち伏せる。
この日は視界が悪くなるほどの、強い雨が降っていた。
標的の男が通りかかる。鯉口を切りながら駆け出し、下から斬り上げた。男は血飛沫とともに、地面に倒れる。その返り血を浴びながら、怒号を聞く。
「なに奴だ!」
幻鷲は邪魔する者は全員斬り捨てろとの
鮮血がべっとりとついた刀を振って仕舞う。頬についた返り血は雨に流される。その場を後にした。
「戻りました」
「きちんと死なせてきただろうな?」
「はい。連れも含めて全員もろとも」
「よくやった」
武士は下卑た笑みを浮かべる。
「報酬じゃ」
目の前に出されたのは小判五両。
用心棒では決して稼げない額の、大金を目にする。
幻鷲はそれを袖に入れ、武家を後にした。
幻鷲は拠点としているぼろ屋へ向かうと、床につけられた隠し棚に稼いだ金を仕舞う。
人斬りの日々が始まった。
依頼は主に夜。誰もが寝静まったときに、手早く正確にこなしていく。幻鷲はどんな依頼も受けた。そのおかげで
幻鷲は用心棒を辞め、暗殺を稼ぎの主軸にすることを決める。
かなりの大金を稼ぎながら、幻鷲は命の尊さを忘れていった。
多くの命を奪い、その血を浴びながら、幻鷲は店を建てるための金を稼ぎ続ける。
――そう、
人斬りになってから三年が経ち、霊斬は十八になっていた。ある日、貴州が突然彼の許を訪れた。居場所は伝えていた。
「久し振りだな」
「はい」
霊斬は硬い表情で返事をする。
「今はどんな仕事をしている?」
「……人斬り」
霊斬は重い口を開けた。
「そうか……。店はいつまでに構える予定だ?」
「二年後」
貴州は顎に手を当てて聞く。
「人斬りをやって、どれくらい経つ?」
「三年」
「慣れてきたか?」
「よく分からない」
「飯は食べているのか?」
「多少は」
貴州は霊斬に視線を向ける。
以前より痩せているように思えたが、口にはしなかった。
残念でならなかった。金を稼ぐために人斬りになった者は哀れでしかない。
その姿はまるで昔の自分を見ているようだと、貴州は思った。
貴州は胸の内で否定する。
――まだ、店を持つために金を稼ぐという目的があるだけ、まだましかもしれん。
なんの目的もなく、人を斬るのは危険でしかない。そういう輩は必ず、斬ることそのものを楽しいと感じてしまう。
不幸中の幸いにも、霊斬にそんな様子がなさそうだと分かり、内心安堵する。
ただ、生気を失っていることが気がかりだった。それは慣れるまで時がかかるという証拠でもあった。
「……無理はするな」
「はい」
貴州はそれだけ告げて、霊斬の許を後にした。
「そのころの俺は、自分を保つことで精いっぱいだった。人を斬るたびに、心が擦り切れるような感覚がある。どうしようもなく、遣る瀬無かった」
「それで?」
千砂が酒を呑みながら、先を促す。
「それから二年、二十歳で店を開けた。それを機に人斬りから足を洗ったんだ」
霊斬は淡々とした口調で語る。
「生き返ったわけ?」
千砂が少し笑って尋ねた。
「まあな」
霊斬が苦笑する。
「霊斬、なにか大切なもん、失くしたんじゃないのかい?」
千砂が盃を置いて、真面目な表情で問いかける。
「大切なもの……?」
「自分を大切にすることを、あんたは忘れちまったんじゃないのかい?」
「そうだな。でもな、それは必要なことだった。……そうしなければ人斬りや裏稼業など、やっていられない」
霊斬は静かな声で語り続ける。