「そうさ。いくあてはあるのか?」
「ない」
「なら、一緒にくるといい」
――なにを言っている? こいつは。
彼はそう思ったものの、言われたことが気になって鍛冶屋に同意した。
鍛冶屋は貴州と名乗った。歩きながら、貴州が尋ねる。
「名は?」
「忘れた。……だから、ない」
「なら、つけてやろう」
貴州はにやっと笑った。空を見上げると、鷲が飛んでいた。
貴州は和紙と筆それから硯を取り出して、筆を走らせる。和紙を見るとそこには〝幻鷲霊斬〟と、ふりがなつきで書かれていた。
「げんしゅう、れいざん」
霊斬は与えられた名を呟く。
「いい名だろ?」
霊斬はひとつ、うなずく。
「どうしてその名を?」
霊斬が尋ねる。
「答える前に、ひとついいか?」
霊斬は黙ってうなずく。
「今まで、大勢、斬ってきただろ?」
「そこまで多くはないが、どうして分かる」
霊斬の声には、苛立ちも混じっている。
「だから言っただろ? 〝血の匂いがする〟って」
霊斬は納得するしかない。着物に染みついた血が匂ったのか、この男の勘なのか定かではないが。
「仕事で斬っているのか?」
「ときどき、用心棒を引き受ける」
貴州の問いに霊斬が、静かな声で答えていく。
「そうか。……どうせ斬るのなら、人ではなく〝目には見えないもの〟を斬ってほしいんだよ。それと、誰よりも強く、生き抜いてほしいんだ」
「目には見えないもの……?」
霊斬は困惑する。
「いっぺん、稽古でもしてみるか? いいや、やめておくか」
「どっちだ?」
霊斬が突っ込む。
「やめだ」
「なぜ?」
「お前さんが相当な使い手だからさ」
「なぜ……それを」
霊斬は唖然としつつ、尋ねた。
「強いて言うなら、殺気だな。敵意のない人といても、殺気が消えん」
貴州は顎に手を当てた。
「なぁ、霊斬よ。刀鍛冶になる気は、ないか?」
「なぜだ?」
霊斬が訝しげな顔をする。
「勘だ。お前はいい刀鍛冶になりそうな気がするんだよ」
「今より稼げるか?」
霊斬は問う。
「店が持てれば、な。それまで金と時はかかるが」
――好都合だ。
霊斬は今の生活に嫌気が差していた。刀鍛冶になって、どこか身を落ち着けるのも悪くはない。手に職をつけたいという想いがある。その願いが叶うかもしれない。
「分かった」
「そうと決まれば、行先決定だな」
「どこにいく?」
「秘密の鍜治場さ」
貴州はにやりと笑った。
一月かけて、貴州の言う鍛冶場に辿り着いた。
貴州は休む間もなく、霊斬に技術の基礎を教え込んでいく。霊斬は水を得た魚のように、知識を吸収していった。
それから半年をかけて基礎を徹底的に学び、実践に入った。
貴州の教え方も上手く、霊斬は呑み込みが早かった。
二人はいい師弟関係を、築いていった。だが貴州はなぜか、自分のことを師と呼ばせなかった。
それから三年後。
霊斬はめきめきと腕を上げ、ようやく一人前だと貴州に言われるようになった。
「一人で一本、作ってみろ」
霊斬は貴州に言われ食事は一切摂らず、水だけを飲んで刀作りに没頭した。
十四日かけて、霊斬が初めて鍛えた刀が完成。
「いい出来だ」
貴州がそう言うに足る実力を、霊斬は身につけていた。
「ありがとう……ございます」
「敬語はやめろって言ってるだろ。堅苦しいのはごめんだ」
霊斬は呆れた貴州に、うなずいた。
――よかった。
内心で霊斬は素直に思った。
――これで、金さえあれば、店を建てられる。
霊斬は師に向かって、頭を下げる。
「お前をここまで育てられたことに、満足してんだ。顔、上げな。飯にしよう。腹、減っただろ?」
霊斬は夕餉の手伝いを始めた。
霊斬が刀鍛冶の修行を始めて、四年が経ったある日。
桜がとてもきれいに咲き乱れたころだった。
霊斬は貴州に、申し出た。
「旅に出る。いつか、俺の店を建てるために」
「分かった。準備してろ」
貴州は短く告げて、奥に引っ込んでしまった。
霊斬は不思議に思いながらも、旅支度を始める。
乳母の父からもらった短刀を撫で、懐に仕舞う。
荷造りにはそこまで時がかからなかった。
「霊斬」
霊斬の旅支度が終わるころ、貴州に声をかけられた。
貴州は刀を霊斬に渡す。
柄や鍔、鞘に至るまで黒一色の刀だった。抜いてみると、光をまったく跳ね返さない真っ黒い刀身があらわれた。
「前の雑刀じゃ、みすぼらしい。……持っていけ」
貴州はぶっきらぼうに言う。
「ありがたく、使わせてもらう。感謝する」
霊斬は言いながら、頭を下げる。
貴州は手を伸ばし、その頭をがしがしと撫でた。
突然撫でられたことに驚いた。
されるがままの霊斬は、もう少し優しくやれよと思った。けれどそんな撫で方が、この人らしくもあった。
「いってくる」
「嫌になったら、いつでも戻ってこい」
貴州は笑う。
「いつのことになるんだか」
霊斬は肩をすくめると、桜が舞い落ちる中、貴州の許を旅立った。
「貴州さんとの出会い。今の仕事に就くきっかけは、ざっとこんな感じだ」
霊斬は酒を呑みながら、あっさりと告げる。
「へぇ、やっぱり面白いね。あんたの話」
千砂がくすっと笑って、霊斬の空いた盃に酒を注ぐ。