霊斬はその日の夕方。
一度そば屋へ寄り、千砂に伝言をすると店を出た。
よくいく飯屋へ足を伸ばした。
「いらっしゃい!」
「よぉ、大将」
「いつもの席でいいかい?」
元気な大将の声に、霊斬はほっとする。
「ああ」
「ご注文は?」
「酒」
「あいよ」
霊斬は大将との話を終えると、奥の襖を開けた。
中は四角い大きめの机がひとつと、座布団がふたつの個室。
霊斬は壁の方に座ると、酒がくるのを待った。
そのころ千砂は、伝言のとおり飯屋を訪れた。
「ごめんください。幻鷲さん、きていますか?」
「ああ」
と笑みを見せた大将は、奥の襖を指さした。
「失礼します」
応じる声を聞いて、千砂が中へ入ると、徳利をかたむけている霊斬がいる。
「急に呼び出して、悪かったな」
襖を閉めてから、千砂が口を開く。
「気にしないでおくれ。なんだい? 話って?」
「ちょっとした昔話をな」
霊斬は酒の追加を注文する。
「まあ、聞いてくれよ」
出された徳利を手に取ると、盃に注ぐ。
「はいよ」
「俺の家のこと、話したよな?」
「聞いたよ」
「その続きだ」
霊斬は酒を呑みながら、語り始めた。
家を出てから、彼と乳母は、乳母の実家に向かった。
小ぢんまりとした家だったが、今まで住んでいた納屋より遥かによかった。
わけを大雑把に話し納得してもらったので、二人はしばらくそこで世話になることに。
彼は礼儀正しいが、ほとんど言葉を発さなかった。誰かに心を開こうともしなかった。
その様子を乳母と、乳母の両親も心配していた。
そのころ、彼は乳母の父親の手伝いで田んぼに出ていた。
あぜ道を近くの子どもらが、楽しそうに駆けていく。
彼はその様子を見送った。
その様子を乳母の父親は悲しそうに眺めた。
それから二年後、乳母の実家で生活していくうちに、彼は美しい少年へと成長していた。
そんな彼が、乳母に言った。
「旅に出たい」
会話そのものが久し振りで嬉しかった乳母とは異なり、彼は静かな声だった。
「どうして? ここは安全なのに」
「自分になにができるのか、知りたい。それが仕事になればなおさら。そうしたら、あなたに恩返しができる」
乳母は思わず泣いてしまう。
辛い思いをしてきたのは、他でもない彼だ。そんな優しい子に育っているとは夢にも思わなかった。
乳母はそれを了承し、旅支度を整えてくれた。雑刀まであることに、彼は驚いた。
「身を守るものくらい、ないといけないからね。これをあげよう」
なんの装飾もない黒一色の短刀を、乳母の父が渡してくれた。
「ありがとうございます」
「実は、私も武家の出身なんだ。君のために磨いておいて正解だったようだ」
彼が受け取ると、乳母の父は破顔して言った。
彼は再度礼を言い、乳母の家を旅立った。
彼の中に恐怖はなく、ひとまず旅をしてみようという気分でいた。油断しているわけでもなく、ただ自然とそう思えた。
歩いてしばらくすると日が暮れてくる。
彼は火を
登って枝を折っているところを、五人の野盗に絡まれた。
「こんなところでなにしてんだ?」
彼は無言で木から飛び降り、その場を去ろうとする。
しかし、
「いい顔してんな。捕まえて金にするか」
――冗談じゃない!
警戒心をあらわにしていると、一人の男の手が伸びる。
彼はとっさにその手を払う。懐から短刀を取り出して、鞘を投げ捨て構えた。鋼色の刀身が夕焼けに反射して、ぎらりと光る。
「
その一言で男が襲いかかってくる。彼はそれを躱し、懐に入り込むと心臓を刺し貫いた。
「人は見た目だけで判断するもんじゃないよ? 死ぬのはそっちなんだから」
まだ脈打つ心臓の鼓動を、得物越しに感じながら彼は短刀を抜いた。
頬に返り血を浴び、鮮血で真っ赤に染め上げられた短刀を手にしている。そんな少年が、男達に暗い双眸を向けた。
男達は情けない悲鳴を上げて、逃げ出した。
彼は今日で十三になったばかり。しかし、初めて人を斬った日になった。
彼は地面に転がっている鞘を拾い、刃を仕舞うと、骸はそのままにその場から去った。
それからの彼は酷かった。
乳母が作ってくれた握り飯も血の味しかせず、飲み水も同じ。せめて水だけは飲むように心がけ、旅を始めて数月。彼は敵にのみ、その刃を振るった。その腕を買われ用心棒となり、僅かな金を稼ぎながら、飯にありついていた。といっても、水しか飲まなかったが。
旅をして一年が経ったある日、彼が道を歩いていると三十歳くらいの男に声をかけられた。このころ、少しの飯くらいは食べられるようになっていた。
江戸に近いのか、旅装束の人らがいきかう。その中でも、多くの刀を背負って歩いている男に自然と目がいった。
「お前さん、ちょっとこれ、見ていきなよ」
その男が声をかけてきた。
「金がない」
「なくてもいいからさ」
仕方なく彼は鍛冶屋の商品を、眺めるもよさが分からず困惑。
「刀のよさなんて、使い手にはよく分からんか。……お前さん、血の匂いがする」
鍛冶屋は突然、核心をついた
「血の匂い?」
彼が警戒心をあらわにする。