その手を握った千砂は、安堵のあまり涙する。
「泣いて、いるのか?」
霊斬が千砂の顔を、よく見ようと目を細めた。
「心配させるからだよ、馬鹿!」
「悪かったな。今回は妙な疑いをかけられちまったが、次からは気をつける」
「そうしてくれないと困る」
霊斬と千砂は笑い合い、手を離す。
「なぁ、お前の話が聞きたい」
突然、霊斬が囁く。
「あたしのなにを、話せっていうんだい?」
「昔のお前が知りたくなった」
「寝るんじゃないよ」
「痛みが酷いから寝れん」
霊斬が苦笑して、即答する。
「あたしは忍びの里で、いじめられていた」
千砂は遠い目をした。
千砂は里親の許で生活をしていた。
秋に差し掛かったころだった。忍びの里のある家の裏手の庭で、同じ歳の男子ら五人に囲まれ、殴られ続けている。
「なんでお前が」
「女が忍びになんかなれない」
「ここにいなければいい」
などと暴言を吐かれる。
彼らへ喧嘩を売った覚えはない。生きているだけ。女らしく、普通の生活を送ることも考えた。けれど忍びになるだけの才がある、と知らされた。
ためしにやらせた、勉学、武術、体術。素晴らしい結果を叩き出したのだ。
大人達はこれ幸いと思ったのだろう。千砂にありとあらゆる武術や、知識を叩き込む。
喧嘩などやり返すこともできた。それをしなかったのは、自分が偉いと認識させることは違う。そう気づいていたから。
――殴って気が済むのなら、それをやらせるまで。
幼いながらも、固い意思を持っていた。
千砂がめきめきと腕を上げていっても、男子らに殴られる日々は終わらなかった。むしろ酷くなるだけ。
それから数年経ち、十五になっても殴られていた。
「女のくせに、調子に乗ってるんじゃねぇ!」
罵声とともに腹を蹴られ、頬を殴られる。得物を持っていれば死んでしまうのではないか、と思うほど勢いがある。
いつもは午後から日暮れまで続けられる、敵意のこもった攻撃の数々。この日は違った。
「お前ら、そこでなにをしている!」
誰かの怒鳴り声が、聞こえてくる。
「やべぇ! 早く逃げるぞ!」
その一言を合図に、千砂の目の前から男らがいなくなった。
「ったく、なんでこんなことが起こってんだ?」
溜息混じりに言った男は、千砂に手を差し出す。
「大丈夫か?」
千砂よりも五つ上くらいの青年だった。その手を取ることはせず、ふらふらと立ち上がる。
「お前さんが、
千砂はこくんとうなずく。
「仲間達から話は聞いていたよ。だけど、どうしてあんなことに巻き込まれていたんだ?」
「あなたは……誰ですか?」
千砂は痛む口を強引に動かす。
「おれは
飛虎は苦笑する。
「あいつらは……女の私が気に入らないだけ。自分達の方が優れている、って示したいだけかもしれない」
「そうか。また殴られるようなら、おれに言いな」
「どうして?」
千砂は首をかしげる。
「放っておけないからさ」
飛虎は笑って見せると千砂の前から去った。
質素なものが並ぶ我が家を一瞥。その日の夜、千砂は里親に尋ねる。
「飛虎さんって人に会ったんだけど、知ってる?」
「その人って……。ああ、最近戻ってきた精鋭の忍び集団の中で、二番目に強い人じゃないか」
――そんなに凄い人だったの。
千砂は里親達と、話しながら思った。
――たしかに女というだけで、殴られ続けるのは辛い。けれど、喧嘩など本気で相手にしてはいけないとも思っている。女だからと舐められ続けていいのか?
彼らに反撃する術はもう身に着けた。一度くらい、反発してもいいのかもしれない。
翌日の同じ時刻、同じ場所で、千砂は一発殴られた。頬が痛い。逃げたところで、こいつらは追ってくる。それは長い間、殴られ続けた千砂だからこそ、分かることだった。
千砂は深く息を吐く。
「どうした? 怖くなったか?」
男達の耳障りな猫撫で声が、千砂を苛立たせた。
掌を握り、その男に向かってぶつけた。その動きに隙はない。他の者達は一瞬、その動きに見惚れてしまった。
「女が偉そうに……!」
「知らないでしょ。私がどれだけの、修行をしてきたか」
千砂の修行は誰の目にも、触れない環境で行われていた。だから、実態は里の者の一部を除いてほとんど知られていない。
「やっちまえ!」
人数で有利だ、と思ったのだろう。男達がいっせいに、襲いかかってくる。
最初に襲ってきた男の攻撃を躱す。
男の手首をつかんで捻り上げる。それを隙と思われたのか二人同時に拳を繰り出す。
それをしゃがんで躱す。お互いに拳がぶつかってしまい、痛みに悶絶する。
その様子を見ていたこの集団の中で一番偉ぶった奴が、忌々しげに舌打ちをする。
そいつは、隠し持っていた苦無を引っ張り出して、襲いかかる。その手首をつかんで止めた者がいた。
一瞬、時が止まる。
いつからそこにいたのかは分からないが、飛虎がいた。手首を捻って苦無を落とさせると、地面に落ちたそれを拾う。
「これはおれが預かる」