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侵される日常《五》

「利津家で三年前に、起こった刃傷沙汰。なにか知っていることはないか?」

「ない」

 答えた瞬間、腹を殴られた。

「世を騒がせている〝因縁引受人〟という者。知っていることは?」

「……ない」

 右頬を殴られた。

「この刀傷はどうした?」

「答えるつもりはない」

 左頬を殴られた。


 霊斬が閉じ込められてから二日がすぎた。その間寝ずの拷問が続いていた。

 寝そうになれば水をかけられ、殴られる。その繰り返しだった。

 同心が霊斬の身体を見て、不快そうに顔を歪める。

「この古傷……すべて刀傷だな。どうしてこんなに多いんだ?」

「だいぶ昔のことだ。思い出せん」

 腹を殴られる。霊斬は痛みに顔をしかめた。

「思い出せ!」

 霊斬は黙るしかない。


 それから七日後、また定町廻り同心が顔を出した。

「言えば、楽になるぞ? 楽になりたいとは思わないのか?」

 霊斬はその問いかけに、一切答えない。

「おぬしの部屋を調べた。隠し棚のようなものがあったが、開け方が分からぬ。あそこにはなにが入っている?」

 その問いにも霊斬は答えない。

「やれ」

 その声が響くと大男が入ってきて、何度も霊斬を殴る。

 霊斬の呻き声と、殴る鈍い音だけが周囲に響く。

「言えば楽になると、何度言えば分かるのじゃ?」

 定町廻り同心は霊斬の髪をつかみ上げた。

 霊斬は無言を貫く。

「そうか。続けろ!」

 やまない暴行が始まる合図だった。


 それからさらに七日後。

 霊斬は自らの舌を血が出るほど噛み、叫びを押し殺していた。

「ぐっ……!」

 炎で真っ赤に焼けた鉄の棒を、背中に押しつけられる。肉が焼ける音と臭いが、斬られるよりも嫌な痛みが全身を襲う。

 それが終わると同時に水をかけられ、僅かだが痛みが弱まる。

 大きく息を吐いていると、同じ問いが告げられる。霊斬は決して答えなかった。

 それから霊斬は火傷の痛みのせいで、一睡もできなかった。空腹と痛みに耐え続けた。

 霊斬はこのとき思った。二度と消えない咎人の証をつけられてしまった、と。

 なにも言わないが故に。焼きごてをあてられてもなお、決して口を割らない。

 嫌なものだが、痛みに慣れている霊斬にとっては、刀傷が火傷に変わっただけだと思っていた。

 かなり痛むが、耐えるしかないのだろうなと、他人事のように思っていた。


 そのころからもう、聞かれることはなかった。一方的な暴力に耐える日々を余儀なくされた。

 腹の右側を殴られる。ただの拳ではなく、武装でもしているのか、なにかが突き刺さった。

 腹からは鮮血が溢れ出す。男の手をよく見ると大きな棘がついた布を拳に巻いていた。

 ――どうりで血が出るわけだ。

 霊斬は内心で思った。

 腹の左側に先ほどと同じ痛みが襲う。思わず、血を吐き出した。続いて腹の真ん中。深く棘が喰い込み、一息に抜かれた。

「がはっ!」

 霊斬は咳き込んだ。

 戸が開く音がして、暴力を振るう男が代わる。男は鞭を持っていた。

 出会い頭に、腹に一発。火傷でまだ痛みの引かない背中に一発。

「ぐっ!」

 これには、霊斬は呻き声を上げた。当たり前だ。まだ痛んでいる部分を叩かれたのだから。

 縛られた両腕にそれぞれ一発。鞭が肉を叩く鋭い音が、何度も何度も響いた。



 霊斬が自身番から出られたのは、十四日後だった。

 地獄のような日々が終わったことに、霊斬はただただ安堵していた。それを感じさせまいとするかのように、火傷が痛む。それだけでなく、全身が痛みに声なき悲鳴を上げていた。

 先の依頼でぼろぼろだった。一方的な暴力を受け、霊斬はまともに歩けなかった。

「幻鷲!」

 真っ先に駆け寄ってきたのは、四柳と千砂。

 意識だけはなんとか保とうと躍起になる。

「刀屋幻鷲! 取り調べの結果、因縁引受人との接点は見られず、嫌疑は晴れた!」

 その声を受けて、どよめきが起こる。

「え? こいつ、素行が悪いとかじゃなかったの?」

「女に手を出したって言うのは?」

「こいつの店の品が偽物だって言うのは?」

「今の地位になるために不正を下って言うのは?」

「それはすべて噂であろう。こちらで調べたがそのような事実はなかった! これにて以上!」

 同心はそれだけ言って、自身番に戻っていった。

「ちぇ。ひとつでもぼろ出せばよかったのにな。あいつのこと大嫌いだし」

「あんなに顔立ちが整っている人、疑いがかけられても仕方ないけど。でも、お咎めなしって、おかしいわよねぇ?」

 誰かが吐き捨てた。

 その声を聞いた千砂は思う。

 ――なにも知らないで……! 他人がうるさいのよ! 霊斬はこんな状態になっても、沈黙を貫いて、なんとか生き抜いているのに。いい加減にして!

 千砂は怒りのあまり泣きそうになった。

「嬢ちゃん、泣くな」

 四柳が小声で言う。

「え?」

「泣けば、あいつらの思う壺だ。ここは堪えてくれ」

 四柳の言葉にうなずいた千砂は、顔を拭った。

 三人はゆっくりとその場を後にした。



 二人に両脇を支えられ診療所へ連れていかれた。

 治療を受けているときの記憶は断片的で、霊斬はいつの間にか目を閉じた。


 霊斬が眠っている間、千砂と治療を終えた四柳が話している。

「連中はなにを考えているんだ。霊斬を亡き者にする気か!」

 四柳は怒っていた。傷が癒え切っていない霊斬の身体を、完膚なきまでに痛めつけたことを。

「鍛冶職人があれだけの怪我をしていれば、怪しまれるけれど。連行まではしなくてもよかったはず。……それで具合は?」

 千砂も怒りをあらわにしつつ、尋ねる。

「殴打した傷が大半だが、一か所背中に大きな火傷の痕があった。それと腹に三か所の傷。これはなにか尖ったもので刺されたようになっている。それにかなり衰弱している」

 四柳は冷静に告げた。

「奴ら、霊斬をあるかないかも分からない程度の疑惑で、拷問したってのかい!」

「どうやら、そうらしい」

 四柳は溜息を吐き、内心で怒っていた。

「いつ目覚めるんだい?」

「五日のうちには、目覚めると思うぞ」

 五日と聞いた千砂は、その程度でよかったと安堵した。

「じゃあ、あたしはこれで」

「ああ、霊斬が目覚めたら、知らせる」

「頼んだよ」

 千砂は診療所を去った。



 それから五日後、霊斬は横向きのまま、うっすらと目を開けた。

「ここは……診療所か?」

 霊斬は細い声しか出せない。

「そうだ。大丈夫か?」

 四柳の優しい声が耳朶を打つ。

「……なんとかな」


「霊斬!」

 四柳の助手から知らせを受けた千砂が、急いできたのか肩で息をしながら入ってきた。

「千砂か」

 霊斬は無意識に、千砂に向かって手を伸ばす。


 その様子を見ていた四柳は、そうっとその場を後にした。

 四柳は二人きりにさせた方がいいと思い、気を遣った。

 それに二人きりでなにを話すのか、興味もあった。

 この二人は不思議な関係ではあるので、これからどうなるのか、四柳はひそかに楽しみにしている。

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