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侵される日常《一》

 それから一月後のある日、一人の武士が店を訪れる。

「刀の修理と、話があります」

「どうぞ」

 霊斬は言い、武士を奥へ通す。

「まず刀を、見せてくださいますか?」

 差し出された刀を恭しく受け取ると、刀身に視線を走らせる。すぐに鞘に仕舞うと、武士に向き合う。

「それで、話とは?」

「〝因縁引受人〟で間違いないですか?」

「いかにも。人を殺めぬこの私に頼んで、二度と後悔なさいませんか?」

 霊斬は静かな声で尋ねる。

「はい、兄に罰を与えてほしいのです」

「なぜですか?」

「あいつは僕にないものを、すべて持っているんです」

「たとえば?」

「地位や名誉も手にしている。女房がいて仲がいいのがよく分かる。僕なりに努力しているけれど、なにも報われたためしがない。

 あいつからすべてを奪って。亡き者にしてやりたいとすら思う。……でもそれは、できない」

 武士は悔しそうに唇を噛む。

 ――嫉妬か……。

 霊斬は思いながら、話を続けさせる。

「昼に頼むそばの値が自分のものより少し高いし、家臣からの信頼も厚い。報酬を多くもらっているのは、普段の営みを見ていれば分かる」

 霊斬は話を聞きながら、思案する。

「あるときを境に、少しずつ羽振りがよくなっていると?」

「それがまた苛立つ。誰かに自慢するわけでもない。自分のためだけにやっているというのが伝わってくる」

「そうですか」

 霊斬は冷静に、武士の怒りに歪んだ顔を見る。

「あいつは仕事をなんでも成功させて、出世していく。それなのに、僕はこのまま。そんなの、もう耐えられそうにない。頼むからどうか、あいつに罰を」

「私ができることは、あなたの感情の矛先を、相手に向けることだけです。あなたは、罰を望んでいるのではないでしょう?」

 霊斬は話を聞きながら、言葉を返す。

「僕は……あいつの絶望した顔が見たい。すべてを失くしたあいつの顔を。恨まれてもいい。僕がしたかったのは、あいつの――宗崎そうざきじゅうろくの笑顔を消すこと」

 こちらがぞっとするほどの笑みを、浮かべた武士が本心を吐露する。

「承知いたしました。では、七日後に」

「分かりました」

 先ほどの表情はどこへやら、冷静な表情を見せた武士は店を去った。



 霊斬は受け取った刀を傍に置き、先ほどの武士の様子を振り返った。

 ――嫉妬にかられる姿というのは男や女に関係なく、心が醜い証拠だな。

 それが表情にまであらわれてしまっては、自分の手を穢すしかない。といっても、そうする奴らの方が少ないはず。たいていは自分が可愛いためか、ここを訪ねる者の方が圧倒的に多い。あの武士も自らの手を穢してまで、やろうとしたのかもしれない。

 霊斬は再度、刀を見て思う。

 刀には誰かを斬ったのか、傷つけたのかは分からない。刃先に血糊がべっとりとついている。

 霊斬は血糊を落とすところから、作業を始めた。



 霊斬は休憩も兼ねてそば屋へ向かう。

「いらっしゃい!」

 千砂の元気な声に微笑し、霊斬は奥の席に腰かける。

 常連客達が相変わらず、霊斬の裏稼業のことで大騒ぎしていた。

「〝因縁引受人〟、今度は鍛冶職人を亡き者にした武家を成敗! だってさ」

「凄い! なあ?」

「一度でいいから見てみてぇよ」

「なにを言っているんですか。そんなの無理に決まっているでしょう!」

 千砂が怒る。

「はは」

 その光景に、霊斬が笑う。

「どうして、笑っているんですか?」

「あいつらのことは放っておけばいい。噂はいつか別のものにとって代わる」

「それもそうですね」

 千砂は同意しつつ、騒いでいる連中に視線を向ける。

「かっこいいよなあ。〝因縁引受人〟って」

 ――なんでそうなる?

 霊斬はそばを啜りながらそう思うものの、口には出さない。

 お茶を飲みそばを食べ終えると、お代を置いて店を出ていった。



 日暮れ、霊斬は千砂の隠れ家を訪れる。

「千砂、いるか?」

「なんの用だい?」

 千砂が顔を出す。

 招き入れられた霊斬は、どかっと胡座をかく。

「傷はもういいのかい?」

「ああ。依頼が入ったぞ」

 霊斬は端的に告げる。

「どんな?」

「兄に嫉妬する武士さ。対象は宗崎従六。そいつに関する情報すべて手に入れてほしい」

「なぜ?」

 千砂は問う。

「依頼人が兄の絶望した顔が、見たいと。歪んだ優越感に、浸りたいんだろうよ」

「最低な男だね」

「まったくだ」

「ふふ」

「はっ」

 千砂と霊斬は嗤う。

「あまり、深追いするなよ」

「どうしてだい?」

「ここ最近俺の評判が、こっちで有名になっている。組んでいるのは、ばれたくないだろ」

「そうだねぇ。じゃ、ほどほどにしておくよ」

 千砂はうなずく。

「ああ。二日で済むか?」

「あたしを誰だと思ってんだい?」

「そうだったな。では、任せる」

 霊斬はそれだけ言うと、千砂の隠れ家を後にした。



 店に戻ると霊斬は、血糊を落とした刀にもう一度目を通す。汚れを丁寧に落としていく。すると刀本来の鋼の輝きが戻ってくる。霊斬はその作業を続けた。



 日も暮れ夜の帳が下りたころ、千砂は忍び装束に身を包み、宗崎家へ向かう。

 屋根裏から入り込み、目星をつけた部屋で待つ。

 すると声が聞こえてきた。

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