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身分を越えた恨み《一》

 それから数月後、霊斬の許に行商人が訪れた。

 まだ日も高く、出歩いている人も多い。

「いらっしゃいませ」

「鍛冶屋ですか。なかなか大きい。さすがは江戸ですな」

「江戸の外からおいでで?」

「はい」

「それはそれは」

「ある人を捜して、ここまできたのです」

 霊斬は商い中の看板をひっくり返し、戸をぴしゃりと閉める。

「ある人とは?」

「江戸のどこかにいるという〝因縁引受人〟というお人です」

「なぜ、その方をお捜しに?」

 霊斬は刀屋としての芝居を続ける。

「晴らしていただきたい、恨みがあるからです」

「こちらに」

 霊斬は奥を示した。

 きょろきょろしている行商人を案内し、正座で向かい合う。

「直してくださいますか?」

 使い古された短刀を差し出した。

「承知いたしました」

 霊斬は愛想笑いで短刀を受け取り、状態を見る。

 鞘の鯉口と重なるはばきの辺りが緩んでいる。短刀の滑らかな鞘抜きの邪魔をしていた。

 短刀を見終えると、霊斬が口を開いた。

「その前にひとつ、確かめたいことがございます」

「なんでしょうか?」

「人を殺めぬこの私に頼んで、二度と後悔なさいませんか?」

「はい」

「……依頼内容をお聞かせ願えますか?」

「では、あなたが……!」

 行商人は顔を輝かせる。

「〝因縁引受人〟。またの名を、霊斬と申します」

 霊斬は頭を下げる。

「私は以前、江戸で武士をやっておりました。武家はなにかと体面ばかりを、気にする身分。それが嫌になり、私は武士を辞めたのでございます。それでもあの家に対しての、恨みは晴れませんでした」

「あの家とは?」

 霊斬は話を聞きながら、尋ねた。

利津としつ家です」

 その名を聞いた瞬間、霊斬は顔から血の気が引いていないかと焦った。なぜそんな心配をするのか、分からなかった。

「……どのような恨みがあるのですか?」

 なんとか平然を装い、話を続ける。

「私の家がお取り潰しに遭ったのです」

「なぜですか?」

「利津家は武士を一人斬ったというのに、その罪を我らに着せたのです。私どもは利津家より下でしたので、それに従わざるを得ませんでした」

 行商人は言いながら、唇を噛む。

 霊斬はその話を聞きながら、なんて奴だと思った。

「それはいつごろの出来事にございますか?」

「今から三年前にございます」

「その人物はご存じですか?」

「はい。重五郎じゅうごろうです」

「承知いたしました。こちらでも調べてみますので、七日後にお越しくださいますか?」

「分かりました。では、これにて」

 行商人は店を後にした。



「利津家、か」

 霊斬は行商人が去った後、一人、床に寝転んで天井を睨む。

 動じたときを思い出したが、誤魔化しができていることに、安堵している自分がいた。

 どうしてあんなに動揺したのか、皆目見当がつかない。

 忌々しげに舌打ちをした後、短刀の修理に取りかかった。

 ――しかし、あそこまで、はばきが緩むとなると相当使い込んでいるのだろう。武士の身分を捨ててまで行商人になったのに、まだ命を狙われているのだろうか?

 霊斬はそんなことを思いながら、手を動かした。



 修理を三日で終わらせると、霊斬はそば屋へ向かった。

「いらっしゃい! あら、旦那!」

 千砂の声に出迎えられ、霊斬はいつもの席に座る。

「千砂」

「はい、なんでしょう?」

「耳を貸してくれ」

 霊斬は小声で、今夜隠れ家にいくことを伝える。

 小さくうなずいた千砂が、霊斬から離れた。

「おお? 逢引の約束か?」

「違います!」

 常連客の茶化しに、千砂はとっさに否定する。

 ――まあ、似たようなもんだけど。

 霊斬は思いながら、お茶を飲んだ。



 すっかり日も暮れた時刻に、霊斬は隠れ家に向かう。

 すでに千砂がおり、霊斬は思わず聞く。

「待たせたか?」

「いいや。ついさっき、きたところ」

「よかった」

 霊斬は胸を撫で下ろす。

「それで、今回は?」

「利津家の利津重五郎。それと家族の様子も。頼んだぞ」

「はいよ」

 霊斬はその言葉を聞くと、隠れ家を後にした。



 千砂は忍び装束に着替えると、利津家に向かった。


 屋根裏で聞こえてくる会話に耳を澄ませる。

「あの子はまだ見つからないのか!」

「家を出て乳母の実家にいたところまでは、つかんでいるのです。それから先がぱったりでして……」

満久みつひさは、当主に相応しくない! あの子しかいないのだ! さっさと見つけ出せ!」


 千砂は移動し、再び声を聞く。


「父上も諦めが悪い。もう弟が家を出て二十年以上にもなるというのに、未だに捜しているとは。私なりに精いっぱい、やっているのに」

「そうですね。父上はあれから、狂ってしまわれた。あの子が戻らぬ限り、あのままでしょう」


 話を聞いていた千砂は訝しむ。

 ――なんだい、そりゃあ。

 千砂は無言でその場から去った。



 ――どういうこと? 当主に相応しくないだけで、二十年も前にいなくなった息子を躍起になって捜すなんて。

 千砂は元きた道を走りながら思った。


 千砂は翌日の同じ時刻、利津家に潜り込む。


「おい、三年前の件は、誰にも嗅ぎつけられてないだろうな?」

「は、はい!」

「これが知られたら大変なことになる。分かっておるな!」

「は!」


 千砂は顔をしかめると屋敷を出た。

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