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鍛冶屋の異変《四》

 跳ね返す力がだんだんと弱まっていくのが伝わってくる。それに合わせ角度を変えると、右今の刀は畳に落ちた。

 それを見もせず、霊斬は右肩から腕までざっくりと斬り裂いた。返り血が飛ぶ。

「ぐうう……! 我らのことをさぐられぬために、斬った……」

 右今はたまらず、畳に膝を落とし、疲弊しきった声を出す。

 霊斬は血のついた黒刀をそのままに、右今を睨む。

 その姿は、人斬りと間違われても仕方がない。

「己を守るために、罪のない鍛冶職人を、亡き者にしたわけか」

 霊斬は溜息を吐く。

 ピーッと笛の音が聞こえる。

 まだ刀をつかもうとしていたので、右足で払うように柄を蹴飛ばす。

 霊斬は黒刀についた血を殺ぎ落とす。

 流れるような動作で鞘に仕舞うと、その場から去った。

 その様子を見ていた千砂は天井の板を嵌め直すと、屋敷を出る。



 霊斬はその足で、四柳の診療所へ向かった。周りは夜の帳に包まれている。

「こんな時刻になんの用だ!」

「俺だ」

「なんだ、お前か」

 相手が分かると先ほどの怒りを引っ込める。四柳は奥の部屋に霊斬を通した。



 霊斬が横になるのを待って、刀傷を診る四柳が呟く。

「相変わらず酷いな。人斬りか、お前は」

「人は斬っていない」

 霊斬が即座に言い返す。

「まぁ、いい。少し黙ってろ」

 四柳は薬草や縫うのに必要なものを準備し、助手二人を呼びつける。身体を押さえるように命じると、治療を始めた。


 それから少しして。いつもどおりの恰好をした千砂が、診療所を訪れる。けれど、声はかけなかった。


 脇腹の二か所の傷を縫うと、汗を拭う。

 霊斬は連続した痛みが一時引いたことを感づき、深く息を吐く。

「もう少し続くが、堪えろよ」

「おう」

 霊斬が応じると、四柳は自分に喝を入れるため頬を張る。治療を再開。

 それからすべての傷を縫い終える。

 薬草のついた布を貼り、その上から晒し木綿を巻く。

 すべての治療を終えるまで、かなりかかった。

 霊斬は上着を脱がされ、半裸で横になる。

 四柳は晒し木綿を巻いた左腕を出した状態で布団をかけた。

「……終わったぞ」

「頭が割れるかと思ったぞ」

「そんなことが言えるなら、大丈夫だな」

 四柳は苦笑した。


 前の部屋へ続く襖を開けると、声を上げる。

「嬢ちゃん。きていたなら、声をかけてくれりゃあいいのに」

「治療の邪魔、したくなかったんでね」

「そうかい」


 霊斬の掠れた声が、聞こえてくる。

「四柳」

「どうした」

「俺が初めてここを訪れたとき、一両払ったのを憶えているか?」

「ああ、今でも持ってる」

 その言葉を受け、霊斬は苦笑する。

「千砂には……話したんだな」

 千砂の顔色で見抜いた。

「駄目だったか?」

「いや、構わない」

 即答だった。

 ――それなら話は早い。

 霊斬は内心で思った。顔をしかめた後、大きく息を吸う。

「霊斬、今はあまり喋らん方がいい」

「喋らせろ」

 霊斬は怒ったように、ぼそっと言う。

「分かった」

 四柳は言っても聞かない霊斬の性格を理解しているのだろう。大人しく引き下がった。

「初めてここにきたとき、俺は――」

 霊斬は当時のことを語り始めた。



 まだ若かった幻鷲は、稼ぎやすい仕事を探し、江戸を彷徨い歩いていた。

 生きるために盗賊まがいのことや、用心棒なんかも請け負った。当時仕事のなかった幻鷲はある武士に剣の腕を買われ、人斬りになった。

 人を斬ることに躊躇ためらいはない。生きるためには仕方がないことだと、思っていた。今思えばそれは、自分に言い聞かせていただけだったかもしれない。

 今まで仕事でしくじったことはない。だが幻鷲自身が負傷したことだけが、唯一の瑕。

 幻鷲は一仕事終え、報酬を受け取りに戻る。

「暗殺終了いたしました」

 幻鷲は片膝を立てて、頭を下げた。

「ならばよい。報酬じゃ」

 武士は小判二両を投げて寄越す。

 それを拾い、幻鷲は音もなく去った。


 次の仕事がいつくるか分からない。支障をきたさないために、仕方なく四柳の診療所に向かった。

「治療を頼みたい」

 幻鷲は言うと、頭を下げた。

「上がれ。手当ては時との勝負だ」

 四柳は言うと、奥の部屋へ向かう。

 着物を脱いだ幻鷲は、真っ直ぐな視線を四柳に向ける。

 四柳は無言で傷の手当てをする。

 それが終わると、治療代として小判一両を払った。


「そうだったのか……」

 話を聞き終えた四柳は呟いた。

 千砂は言葉を発さないまでも、驚いた表情をしている。

 その様子を見た霊斬は二人から視線を外すと、痛みに顔をしかめた。

「よく話してくれたな。ゆっくり休め」

「ああ。どれくらいで治る?」

「一月すれば完治する。今日はここに泊まっていけ」

「分かった」

 うなずいた霊斬は眠りにつく。



「しかし、霊斬の話には驚いたな」

 霊斬の寝顔を見ながら、四柳が言う。

「そうだね。今と真逆じゃないか」

「いったいどんな人生を歩めば、ああなるんだろうな」

「そうだねぇ」

 千砂は相槌を打つことしかできなかった。

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