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鍛冶屋の異変《一》

 それから一月後のある日。霊斬の怪我は先の依頼を受けた直後に比べだいぶ回復し、動けるようになっていた。

 霊斬は店を開けずに、奥の部屋の床に座ってぼんやりとしていた。

 戸をどんどんと叩く音が聞こえてくる。

「開いている」

 霊斬が不満げに応じると、慌てた様子の喜助が入ってきた。

「幻鷲!」

「なんだ? 騒がしい」

 霊斬は不機嫌そうに喜助を眺める。

「俺の店の商品が……全部売れた」

「ほう、それはよかったな。……今、全部って言ったか?」

 霊斬は流そうとして、もう一度聞き返す。

「装飾品を含めて全部さ」

 喜助は相変わらず困ったのか、今にも泣きそうな子どものような顔をしている。

 ――そんな情けない顔するなよ。

 と思いながら霊斬は、話を続ける。

「お前の刀の価値はどれくらいだ?」

「店にあるのはほとんど足軽が使うような、ざっとうばかりさ。銭……よくて銀くらいだ」

「商品は足りているのか?」

「あっても刀の二、三本だ。装飾品は注文すれば届くだろうけれど、それでも数日かかる。新しい刀を作って前のように商売するには、一月以上かかるんじゃねぇかな」

「金は足りるが、時が足りないのか……。買い取っていったのはいつだ?」

「今し方だ。これからあくせく働かないと、追いつかねぇよ~」

「そうか」

「なぁ、幻鷲」

「なんだ?」

「本当にいるのかな? 〝因縁引受人〟」

「どうしてそんなことを?」

「今の状況、一人ならどうにでもなった。だがな、家族がいる。

 店にあるもんが全部売れたからって、急激に潤うわけじゃない。金は毎日出ていく。

 自分でなんとかしなきゃいけねぇのは、分かってる。でも、どうしようもねぇんだよ。

 毎日、少しずつ売れてくれれば、家族も困らずに暮らしていけたんだ! それなのに。こんな日がくるとはなぁ……」

 ――これは喜助に限った話ではないかもしれない。

 霊斬は勘に頼り、喜助に尋ねる。

「修理前の刀はあるか?」

 喜助はきょとんとした。

「え? あるけど……?」

「それを持って、今夜この近くにある袋小路にいくといい」

「なんでだよ?」

「〝因縁引受人〟に会えるかもしれない」

「ありがとうな、幻鷲!」

 喜助は顔を輝かせて礼を言うと、慌ただしく出ていった。

 ――本当に、うるさい奴だ。

 霊斬は溜息混じりに笑った。



 それからしばらくして、霊斬はそば屋へ向かう。

「いらっしゃい!」

 そば屋では〝因縁引受人〟の話題で持ちきりだった。

 常連客の一人が霊斬に声をかけてくる。

「幻鷲さん! 今朝の瓦版、見たか?」

「見ていないが、なにを騒いでいる?」

「〝因縁引受人、人身売買に終止符、打つ〟だってさ!」

 霊斬ははしゃいでいる常連客の話を流し、いつもの席に着く。

「会ってみたいな、〝因縁引受人〟」

「どんな人なんだろうな」

「男だと思う? それとも女か?」

「男だと思う」

「女だったら意外だよな」

 と想像の〝因縁引受人〟の話題に花が咲く。

 こうも盛り上がってしまうと、霊斬の肩身が狭くなる。

「はぁ……」

 霊斬は思わず、溜息を吐く。

「どうぞ。元気出してください」

 千砂がお茶とともに、そばを持ってくる。

「ああ」

 千砂が小声で言う。

「あたしだって、溜息を吐きたいぐらいさ」

 その言葉に苦笑した霊斬は、そばを啜る。

 そんな霊斬に常連客の一人が声をかけてくる。

「幻鷲さん、ちょいといいかい?」

「なんだ?」

「喜助のこと、聞いたか?」

「商品が一気に売れたって話か」

「ああ。実は僕のところも、そうなったんだ。幻鷲さんのところは大丈夫かい?」

「俺は幸い、いつもと同じだ」

「自分がなんとかするしかないんだよな。独り身でよかったよ」

「そうか。頑張れよ」

 その常連客は離れた。

 霊斬は無言でそばを啜った。



 その帰り道、どこかに走っていく岡っ引きに、声をかけられる。

「刀屋! ちょっと退いてくれ!」

「そんなに慌てて、どうしたんですか?」

 霊斬は道を譲って、声をかける。

「近くの鍛冶屋に骸がある、って言うんでな。旦那に呼ばれたんだよ」

「そうですか」

 霊斬は岡っ引きと別れた。


 霊斬はその足で、骸があるという鍛冶屋に向かう。

 物陰に身を隠しながら、鍛冶屋を眺める。

 岡っ引きと定町廻り同心の会話に耳を澄ませた。


「こりゃあ……ひでぇ」

 現場を見た岡っ引きの一言。

「そうだな」

 骸の近くにしゃがみ込み、観察していた定町廻り同心が同意。

 背中から刀で斬りつけられ、うつ伏せの状態で骸が転がる。地面にはおびただしい鮮血が流れている。

「商品はひとつも残っていないのか?」

「へ、へえ」

 店の中を見た岡っ引きがうなずく。

「盗みにでも入られたか……? うん?」

 定町廻り同心は骸の陰から、なにかが入った袋を見つける。ずしりと重いそれを持ち上げ、中身を見ると大量の銭と少量の銀が入っていた。

「商品をすべて、買い込んだ……?」

 定町廻り同心は、難しい顔をして考え込んだ。


 骸となった人物の顔をよく見ると、昼間そば屋で話をした独り身の男であった。

 霊斬は複雑な思いを抱えたまま、死因を推測する。

 ――今のところは、斬られたことによる出血死か。

 霊斬はその場から静かに去った。

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