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人身売買《三》

「正体の分からぬ者に倒されるなどごめんじゃ!」

「はっ」

 霊斬は鼻で嗤いながら距離を詰め、体勢を立て直される前に、右脚を刺そうする。しかし、刀に阻まれた。

 霊斬は舌打ちをして距離を取ると、忌々しげに狂治郎を睨みつける。

「こっちからゆくぞ!」

 狂治郎は言いながら刀を向けてくる。

 それを受け止めて、弾き返す。

 体勢を立て直される前に、右脚を刺し貫いた。

「ぐあっ!」

 この一撃で、狂治郎は膝をついた。

 霊斬は黒刀についた血を払って、鞘に収める。

「自身番の連中がくるまで、ここを動くな。そして、洗いざらいすべて話せ」

 笛の音が聞こえる中、霊斬は怯える女達に告げた。

 女達がいっせいにうなずくのを見て、女達が閉じ込められている座敷牢へ向かう。鍵を壊すと霊斬は屋敷から去った。


 その様子を見ていた、千砂も屋敷を後にした。



「また怪我して」

 千砂は呆れたと言わんばかりに、霊斬を見つめる。

「依頼を受けたんだ。無傷で勝つなど、つまらないにも程がある」

 霊斬は低い声で吐き捨てた。

「もしもだよ? あんたが依頼を受けて傷が癒えないのに、依頼がきたらどうするのさ?」

「受けるに決まっているだろう。俺の身体がどんな状態でも、依頼人には関係がない。それに、俺の身体の状態が悪いと言えど、断る理由にはならない。

 今回の依頼がほかの依頼に比べて、少し辛いくらいなら俺は受ける。依頼はいつだって辛いものさ。その度合いが変わったくらいで、なんだというんだ」

 千砂はかける言葉が見つからず、沈黙した。

 ――どういうこと? 無茶だと分かっていながら、依頼を受けるとは。

そこまで自分に残酷になれるのかと、千砂は思った。


 千砂は無言でその場に膝をつくと、立ち上がろうとする霊斬に手を貸した。

 霊斬はそれを素直に受け入れ、一歩ずつゆっくりと歩き出す。


 診療所に辿り着いた。

 霊斬が顔の下半分を覆っている布を下ろしている間に、千砂が戸を叩く。

「誰だ!」

「俺だ」

 四柳は不機嫌そうな顔のまま、霊斬を一瞥する。

「しょうがねぇなぁ、入れ」

 四柳は奥の部屋まで案内した。

 千砂は霊斬を部屋までいくのに手を貸した後、すぐに前の部屋へと戻った。


「ったく、なんで早くこねぇんだよ」

「そうだな、悪い」

 四柳の言葉に、霊斬はうなずく。

 上着をゆっくりと脱ぐ。

「あーあ、こりゃまた酷いな」

 右腕をざっくりと斬られた刀傷を見た四柳が呟く。

「そうかもしれないな」

 霊斬は忌々しげに顔を歪めた。

 ――今になって痛んできた。

 四柳は薬研やげんで薬草を混ぜ始めた。


 それからしばらくして……。

 霊斬の傷は縫われ、きっちりと晒し木綿を巻きつけられた右腕を見下ろす。

「終わったぞ。無茶するなよ。そんな真似したら、きっと傷が開くからな?」

「分かった」

 霊斬は布団に横になったまま、うなずいた。

 四柳が掛布団をかけてやると、霊斬は首だけ動かして襖の方を見た。


 四柳は前の部屋へいき、頭巾を外した千砂に声をかけた。

「終わったぞ、待たせて悪かったな」

「気にしないでおくれ」

 千砂は苦笑して言うと、部屋の中に入ってきた。


「霊斬、どうだい?」

「痛む」

 霊斬は痛みなど、感じさせないように苦笑する。

「強がったって、いいことはないよ?」

 霊斬の強がりを、見抜いていた千砂が言った。

「ばれたか」

 霊斬は顔をしかめ、ふうっと息を吐いた。

「相当、痛むだろ?」

「ああ。動いていなくても痛みが引かん」

「無傷で依頼をこなしてほしいところだけど、本人は嫌のようだし?」

 千砂が苦笑する。

「嫌に決まっているだろう。そんなことできるわけがない」

 霊斬はじろりと、千砂を睨みつける。

「そう怒らないで? なにも無理にしろって言ってないんだから」

 千砂は心外なという顔をした。



 数日後、依頼人の武士が店を訪れる。

「よくやった。捕らえられていた女子どもらも、無事に保護されたようだな」

 小判十両を渡してくる。

 霊斬は黙って袖に仕舞うと、武士は店を去った。


 霊斬は隠し棚から黒刀を出す。その奥にあるさらに小さな隠し棚に手を伸ばす。

 板を外すとひとつの黒い箱を出す。蓋を開けると、今までの依頼で受け取った金がそのまま入っていた。先ほどもらった小判十両を加え、元ある場所へ仕舞った。



 依頼人が去った後、霊斬は痛む身体をゆっくりと動かして、二階へ向かう。

 くるまでは起きていたが。右腕が訴える痛みに逆らうことができず、布団に倒れ込む。

 初日に比べれば、動けるだけましだ。初日などはまともに動けなかった。

 一日中、横になっているしかない。痛みが酷く、眠れもしなかった。落ち着いてきたのか、少し眠れるようになってきていた。

 誰かが階段を上ってくる足音がする。相手が分かっていたが、念のため、霊斬は部屋の入口に視線を向ける。

 階段を上ってきたのは、千砂だった。普段どおりの恰好をして、倒れ込んでいる霊斬を見て目を丸くする。

「大丈夫かい?」

「なんとかな」

 霊斬は首だけを動かして、うなずいた。

「あれからどうだい? 少しはましになったかい?」

「少し眠れるようになった。見舞いにでもきたのか?」

「そりゃ、なにより。そうだよ」

 千砂は安堵したように笑った。

 霊斬は痛みを誤魔化すためか、ふうっと息を吐く。

 首だけ動かして天井を睨む。

 こうも自分の思いどおりに動かないとなると、苛立ちしか生まれてこない。

 霊斬は顔をぎゅっとしかめ、震える息を吐き出す。

 その様子を見ていた千砂は、よほど傷が痛むのだろうと感じ、胸を痛めた。傍にいることしかできない自分を呪いたくなる。

「千砂……」

「なんだい?」

「なにもできないからという理由で、自分を呪うな」

 千砂が辛そうな顔をしていたのを見ていた霊斬が、口を開いた。

「……っ!」

 千砂はただ目を見開くことしかできない。

 霊斬の目は誤魔化せない。改めてそう思った瞬間だった。

「こういうとき、誰かがいてくれるだけで。ほんの少しでも、身体の痛みを忘れられるものなんだよ」

 霊斬は静かな声で言う。

「……そうなのかい?」

「ああ」

 霊斬は痛みを押し殺しながらも、笑みを見せた。

「ありがとう」

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