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ただ働きと悪夢《一》

 それからしばらく時が経ち、店の戸を叩く者がいた。

「いらっしゃいませ」

 訪れた人物に霊斬は目を丸くする。

「その節は、どうも」

 目の前に立っていたのは、鍛冶職人の次郎だ。

 霊斬は商い中の看板を支度中にすると、次郎を招き入れる。

「今日はどうした?」

「お得意さんの武士から〝因縁引受人〟という人がいるらしい、って聞いたんだ。その人はなんでも、恨みを代わりに晴らしてくれるんだとか」

 ――そんな噂が広まっていたのか。

 霊斬は内心で溜息を吐きながらも、先を促す。

「それで?」

「本当にいるのか知らないけれど、頼みたいことがあるんだ。その人のこと、知ってるかい?」

「どうして俺を訪ねた?」

 霊斬は怪訝けげんそうに、次郎を見遣る。

「有名な鍛冶屋は幻鷲さんしかいないから、なにか知っているんじゃないかって……」

 ――俺以外にも売れている奴はいるがな。

 霊斬はどう誤魔化したものか、と思案する。

 武家ならともかく、鍛冶職人の連中に正体は知られたくない。

「その人物のことなら、聞いたことがある。今夜鍛冶屋町の路地裏、袋小路になっているところが一か所だけある。修理前の刀を持って、そこへいくといい」

「ありがとう、幻鷲さん!」

 予想もしていなかった情報が、手に入って嬉しいのだろう。次郎は顔を輝かせて、礼を言った。

「礼などいい」

 霊斬は出ていく次郎を見送った。



 その夜、霊斬は黒装束に着替え、同色の布で鼻と口を覆う。

 短刀を懐に仕舞うと、自分が伝えた場所へと向かった。

 霊斬は袋小路近くの屋根に身を隠し、次郎を待った。

 袋小路という割には広く、しんと静まり返っていた。

「ここでよかったかな?」

 次郎は提灯を片手に、辺りをきょろきょろと見回す。

「そうだ。俺を照らすなよ」

「わっ!」

 次郎は驚きながらも、提灯を下げたままだった。

 霊斬は物陰から、姿を見せる。

 暗闇に溶け込んでいるせいで、その姿は分からない。

「〝因縁引受人〟だ。依頼の前に、確かめたいことがある」

「なんでしょうか?」

「人を殺めぬこの俺に頼んで、二度と後悔しないか?」

「ああ。そのためにきたんだ」

「金はあるのか?」

「……家族を食わせていくのに精いっぱいだから、ありません」

「ならば、その覚悟をお代がわりとしよう。修理する刀はあるか?」

「は、はい」

 刀を差し出してきた。

「それで、依頼内容は?」

 受け取ると霊斬は、冷ややかな声で尋ねた。

「うちにいつも無理難題な注文を、してくる客がいるんです。なんとかしてそのお客を、出入りさせたくないんです。一月で刀を五本用意するのは、どう頑張っても無理です。うちも限界なんです」

「その客の手がかりは?」

「顔に黒子ほくろがあって、見た感じは人当たりのよさそうな人です。この近くの……君津きみづ家の人だと、聞きました」

 次郎は顎に手を当てる。

「分かった。では、七日後の同じ時刻、ここにくるといい」

「はい」

 次郎が去っていくのを見送り、霊斬はその場から姿を消した。



 霊斬はその足で、君津家へ向かう。

 君津家は江戸の中で四番目に権力を持つ家だ。規模も大きい。

 屋敷はそれに相応ふさわしいくらいの、贅を尽くした造り。

 ――無駄なところに、金かけやがって。

 霊斬は内心で溜息を吐く。

 そのまま屋敷に入り込み、屋根裏へ向かう。


 聞こえてくる会話を聞きながら、目的の男を捜した。

「いくつかの鍛冶屋に刀を、五本ほど依頼しております。期限は一月」

 声が聞こえてきたため、霊斬は足を止めた。声からして歳は三十ほどか。

「さて、どれくらいの鍛冶屋が、五本揃えて持ってくるのだろうな?」

 楽しみだと言わんばかりの、別の声が聞こえる。

 ――そんなに刀を集めて、なにをしようっていうんだ。

 霊斬は思案しながらも、天井の板をずらし、そうっと顔を覗かせる。

 次郎の言うとおり、黒子のある男がいた。対するは老年の男。だが人懐こそうな印象は、見受けられない。

 一言二言話すと、男は一礼し、その場から去った。

 霊斬は様子を見ると天井の板を戻し、君津家を後にした。



 ――まったく、疑問しか湧かねぇ。どうしたもんか。

 店に戻ると霊斬は、溜息を吐く。

 男の素性が分かっただけまし、という程度だが。

 考えても仕方がないと思い、その日はすぐ眠った。



 翌日の昼間、霊斬はいつもの店でそばを啜っている。

 霊斬が難しい顔をしているからか、常連客らはひそひそと話をしている。

「なんであんな怖い顔して、そば啜ってんだよ」

「そんなもん、知るかよ」

「仕事、上手くいってねぇのかな?」

「憶測でものを言うな、馬鹿!」

「大人がなに、こそこそ話しているんですか」

 千砂は呆れたように突っ込む。

「だってよぉ、なんだか怖いじゃねぇか」

「それもあって、聞きにくいし。なあ?」

 常連客三人がうなずく。

「どうしてそんなに、難しい顔をしているんですか? 皆さん、怖がってますよ」

 千砂は溜息を吐いて、霊斬に声をかけた。

「ちょっと、千砂ちゃん!」

「なにをしてるの!?」

「あ~あ、怒られる……」

 三人はそれぞれに言葉を発す。

 千砂の声に気づいたのか、霊斬が振り向く。

「ん? 悪い。考え事をしていただけだぞ」

 霊斬は振り返りつつ、そばを啜りに戻る。

「な、なぁんだ」

「びっくりした~」

「怒られなくてよかった~」

 ――まったくこの三人は……。

 その様子を見ていた千砂は、呆れる他なかった。

 霊斬は依頼のことを考えながら、無言でそばを啜った。

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