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片鱗《四》

「わしに、それを認めろというのか」

 忌々しげに顔を歪めた三津五郎は、声を震わせた。

「そうだ。罪から逃げず、過去と向き合え。貴様がいた種だ。自分で摘み取れ」

「……応じなかったら、どうなる?」

「貴様の家族を、死にそうになるまで痛めつける」

 霊斬は懐から短刀を取り出し、三津五郎の首に刃を喰い込ませる。

 少しでも動けば切れてしまうのではないかと思うほど、力がこもっていた。

 ――さあ、どちらを選ぶ?

 霊斬は布の下で残虐な笑みを浮かべる。

 三津五郎は蒼白した顔で霊斬を見ていたが、やがて声を絞り出した。

「……罪を認めよう」

「これで、貴様以外、すべての人が救われる」

 ――我ながら、残酷な言葉だ。

 霊斬は内心で思いながらも、首に突きつけていた短刀を静かに仕舞う。

 三津五郎の小太刀をその場に置く。霊斬は西日家を後にした。千砂も続いた。



 隠れ家に着くと千砂が口を開く。

「初めてだね」

「なにが?」

 霊斬は中に入ると、鼻と口を覆っている布を乱暴に下ろした。床に片膝を立てて座る。

 千砂は頭巾を外して、霊斬の前に正座した。

「あんたが誰も傷つけずに、依頼を達成するなんて」

「そうだな」

「三津五郎を信じるのかい?」

「信じちゃいない。俺は脅して、選ばせただけ。依頼人のいいように。……少し様子見だな」

 霊斬は鼻で嗤った。

「様子見?」

「本当に、俺の言うとおりにしたのかをな」

 霊斬は布で鼻と口を隠して、隠れ家を去った。



 翌日の夕方、霊斬は自身番を訪れた。

「おや? 刀屋、なんの用で?」

 岡っ引きが顔を出す。

「西日三津五郎って、知ってるかい? お得意様なんだが」

「そいつなら、今朝ここへきたぞ。話があるってんで、聞いてやったところさ」

「そうかい」

「もういいか? これから生き残っている娘を、捜しにいかなきゃならねぇから」

「ああ」

 霊斬は自身番を後にした。



 その日の夜。霊斬は黒装束に身を包み、懐に短刀を仕舞う。

 西日家に足を運んだ。

「まさか突然いなくなるなんて……」

 三津五郎以外の家族全員が居間に集まり、話をしていた。

 霊斬はその様子を廊下の僅かに開けた、襖の隙間から見守った。


「父が置いていったふみだ」

「読んだの?」

 妻の言葉に、夫がうなずいた。

「どうしていなくなったのかは、分からない。だが、僕達のことを想ってくれているのは確かだと思う」

 その場にいた全員が悔しそうに、子ども達は泣きじゃくっていた。

 霊斬はその光景を目にし、西日家を後にした。



 それから数日後、依頼人が顔を出す。

「決行の翌日、自身番の人がわたくしを訪ねてきました」

 霊斬が座る。

「自身番の方はなんと?」

「西日が関わったとされる事件の話を聞きたい、とのことでした。すべてお話いたしました。お世話になったので、あなたにも話しておこうと思います」

 女は語り始めた。



 まだ女がほんの幼いころ。米問屋を営んでいたひとつの家族は、平和な日々をすごしていた。

 しかしある日の夜、彼女は物音で目を覚ます。

 一緒に寝ていたはずの、父の姿がない。

「……父上?」

 父を捜しにいこうとしたのを、母に止められた。

「いってはいけません」

「どうして?」

 その問いに、母は答えなかった。

 しばらくすると、戸が開いた。

 男達が、なにかを引き摺っている。

 その中のうちの一人が、提灯ちょうちんをこちらに向ける。

「まだ、誰かいるぞ!」

 どたどたと土足で男達が上がってくる。

「今のを見たな?」

 提灯の光に、抜き身の刀が反射する。

 母に身体をつかまれ、背に回された。

「なにをしたの?」

 母は気丈にも尋ねた。

「お前の旦那を……亡き者にしただけだ」

 ――父上が、死んだ……?

 あまりに残酷な言葉であったが、彼女はしっかりと聞いていた。

「私のことはどうでもいい! ……どうか、どうか! この子だけは見逃してください!」

「それでいいんだな?」

 母はなにを考えているのか、その言葉にうなずいていた。

 その様子を見ていた、彼女の瞳に涙が浮かぶ。

「や……」

 やめてと叫びたかったけれど、できなかった。

 刀が肉を断つ嫌な音がして、母はそのまま横に倒れた。

「母上! 母上!」

 何度も声をかけたが、いっこうに答えない。

 彼女は憎しみのこもった眼で、親を斬った男を見た。

「西日様! 西日三津五郎様!」

 人を斬ったというのに、ぼうっとしていた男。名を呼ばれて我に返った。

 男達は惨劇と化した、家から去った。

 母と父の骸を見た彼女は、涙を流した。



「話は以上になります」

 女は告げた。

「辛いお話をさせてしまいました」

 申しわけありません、と霊斬は頭を下げる。

「お気遣いなく。昔のことですから」

 女は苦笑した後、霊斬の顔を見た。

「西日はどうなりましたか?」

「過去の罪と向き合うよう、本人に告げました。自身番にことの真相を、告げにいったそうです。近いうちに、刑に処されるかと」

「西日家の様子は?」

「突然いなくなったために、動揺と悲しみに包まれておりました」

「そうですか。では、これを」

 女はこれで憎しみから解放されると、安堵の笑みを浮かべる。小判五両を差し出した。

 霊斬はそれを受け取り、袖に仕舞った。

「また、なにかありましたら、お越しください」



 それから数日後、霊斬は四柳の診療所に足を運ぶ。

「四柳、いるか?」

「霊斬か、どうした?」

 霊斬は手に持っていた徳利を持ち上げてみせる。

「まあ、上がれ」

 四柳に続いて、診療所に入った。



「初めてだな。お前が治療以外で、顔を出すのは」

 四柳の一言に、霊斬は苦笑するしかない。

 徳利の栓を開け、四柳が持ってきた盃にそれぞれ注ぐ。

「おれはずいぶん長く医者をやってる。お前みたいな奴は、なかなかいない」

 四柳はしみじみと言う。

「そうなのか?」

 霊斬が首をかしげる。

「長い付き合いだからな」

 それもそうだと、霊斬は苦笑する。

「なあ、四柳。どうして、医者になったんだ?」

「……人助けがしたかっただけだ」

「そうか」

「……おれからすれば今の方が、だいぶましになったように思うぞ?」

「前は毎日、依頼を受けていたからな。……よく、今日まで生きてこれたものだ。感謝しなければな」

 霊斬は呑みながら苦笑し、四柳を見る。

「礼なんていい。おれはな、できるだけ人が死ぬのを見たくないだけだ」

「……人の死なんて、あっけのないものだぞ」

 霊斬が冷ややかな声で告げる。

「そうかもしれんが、見ないに越したことはないだろ」

「そうだな。俺は慣れてしまったのかもしれん、人の死に」

 ――人の怒りや憎しみ、苦悩や悲哀。それらを身近に感じることがなければ。俺の生きる道はほんの少しでも、変わっていたのだろうか?

 霊斬はふっとそんなことを思った。

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