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片鱗《三》

「夜分遅くにすみません」

「幻鷲殿。いかがなされた?」

「たまたま、近くを通りまして。刀の調子が気になったものですから」

 霊斬は愛想笑いを浮かべた。

「ちょうどよい。少し刀の切れ味が落ちていてな。近いうちに寄ろうと思っておったところよ」

 三津五郎が、霊斬を家の中へ招き入れる。

 霊斬が部屋で待っていると、小太刀を持った三津五郎が戻ってくる。

「これを研いでくれないか?」

「かしこまりました」

 霊斬は小太刀を受け取り、頭を下げた。

 懐から刀袋を取り出し、小太刀を仕舞って隣に置く。

 三津五郎は脇息に肘をかけ、霊斬に問いかけた。

「あそこに店を構えて、どれくらい経つ?」

「八年にございます」

「よくその歳で、ここまで有名になったものだな」

「お客あっての商売です」

謙遜けんそんなどするな」

「事実を申したまでにございます。では私は、これにて失礼を」

 霊斬は預かった小太刀を持って、部屋を後にした。


 霊斬が去った後の部屋で、三津五郎が呟く。

「わしはなんてことを、してしまったんだ……」


 千砂はその様子を屋根裏から見下ろしていた。

 なぜそんなことを言うのか、分からなかった。と同時に内心で驚いた。

 ――まさか、霊斬が顔を出すとは。

 千砂は今日のところはこれでいいかと思い、西日家を後にした。



 翌日の昼間、霊斬はそば屋へ足を向けた。

 注文を済ませ、いつもの席に座る。

 がやがやとしているが、今回は常連客の一人も見かけなかった。

 こんな日もあるだろう、と思いながらお茶を飲む。そばが運ばれてくる。

 いただきますと手を合わせ、そばを食べる。

 しばらくそばを堪能し、お茶で喉を潤す。

 お代を机の上に置いて、店を出た。



 千砂はその日の夜、西日家に潜り込む。

 今度は三津五郎以外の家族の様子を、探ることに決めていた。

 自分と同い年と思われる女が、廊下を歩いていく。追うと一人の男と二人の子どもが、じゃれ合っている部屋に辿り着く。

 ――息子夫婦の部屋か。

 千砂は様子を見ていたが、屋敷を後にした。



 霊斬はそば屋に言伝をし、隠れ家に顔を出した。

「待ってたよ」

 千砂は霊斬を招き入れる。

 霊斬は壁に寄りかかり、片膝を立てて座ると、口を開く。

「それで、どうだった?」

「その前に、どうして西日家を訪ねたんだい?」

 その声には少し、苛立ちが込められている。

「店のお得意様だった、というのと、気が向いた」

 ――そんな理由かい。

 千砂は溜息を吐く。

「……西日家は、いたって平和な家だったよ。平和すぎるような気もしたけれどね」

「平和すぎるか……。三津五郎の様子は?」

「なんてことをしてしまったんだ、と言っていたね」

「そうか。本人の口を割らせるしかないか」

 ――不穏な動きがあるのなら、正々堂々と乗り込める。仮初めであっても、平穏を壊すのは少し気が重い。

 千砂は内心で思いながらも、口にはしない。

「感謝する」

 霊斬が言葉少なに告げて、隠れ家から去った。



 それから決行前日の夕方、店の戸を叩く音が聞こえてくる。

 表に向かい戸を開けると、依頼人の女が会釈をした。

 依頼人を奥の部屋へ通し、正座をする。

「それで、どうでしたか?」

「……平穏そのものです。三津五郎本人があなたの親を、亡き者にした。そのことをひた隠しにしているのは、間違いないでしょう」

「親を斬った人が、そんな生活を送っているなんて……。許せません」

 霊斬は悔しそうに、唇を噛む女に視線を向けた。

「……三津五郎には、孫もいます。家族の関係も良好のようです」

「それでも……壊してください。そうしなければ、前に進めません」

 唇を噛んでいた女は懐に手を入れ、小判五両を取り出しすっと床に置いた。

「分かりました。ありがとうございます」

 霊斬は小判を袖に仕舞った。それと代わるように、手許に置いていた懐刀を差し出した。

「決行は明日の夜です」

「分かりました。どうか、よろしくお願いいたします」

 依頼人は懐刀を受け取り、頭を下げた。



 翌日の夜。霊斬は黒一色の長着と馬乗り袴を身に纏い、その上から黒の羽織を着る。

 隠し棚から取り出した、黒刀の鞘を抜く。

 光をまったく跳ね返さない真っ黒い刀身を見てから、腰に帯びる。

 黒い短刀を懐に仕舞った。黒い布で鼻と口を覆う。

 研いだ三津五郎の小太刀も持って、店を出た。



 千砂と途中で合流し、西日家を目指して屋根を走る。

 辿り着くと静かに屋根裏に侵入し、三津五郎の部屋の真上までいく。天井の板をずらして、様子を見る。


 三津五郎はぐっすりと、眠っていた。

 霊斬は静かに屋根裏から飛び降りると、三津五郎を揺り起こす。

「なっ……!」

 叫ぼうとした三津五郎の口を塞ぐ。

「ある人からの依頼できた」

「そなたが〝因縁引受人〟か。わが家になんの用だ?」

 三津五郎の静かな声に、霊斬はうなずく。

「貴様の過去を調べさせてもらった。昔、ある家族を斬ったそうだな。子どもを一人残して」

「……なぜそれを」

 三津五郎は顔を歪める。

「人の口には戸が立てられない。貴様が黙っていたところで、どうせ誰かには知られていたことだろう」

 霊斬は冷ややかな声で応じる。

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