目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
四柳《一》

 柳院りゅういん診療所と書かれた看板の左隣の屋敷の戸を叩いた。

「俺だ、霊斬だ」

 名乗ると不機嫌そうな声とともに、戸が開いた。

「こっちは眠いんだ」

 姿を見せたのは、中肉中背のごく普通の顔立ちをした男――四柳院だった。歳五十くらいか。五尺ほどの背丈で、茶系の着物の上に、黒の羽織を着ている。少ししわが目立つ顔で、不機嫌そうに顔をしかめている。霊斬は四柳と呼んでいる。

「悪いな」

「女連れて、こんなとこくんな」

 じっと千砂を見つつ、四柳は溜息混じりに言う。

「ただの付き添いさ」

「ついてきな」

 不機嫌な四柳の後に、二人は続いた。



 部屋に入るや千砂は待つことに。

 霊斬は奥の部屋へ。綺麗に敷かれた布団が目に入った。

「……せてみろ」

 霊斬は、布団の手前に座り、黙って上着を脱いだ。

「相変わらずだな。新しい傷、作ってんじゃねぇよ」

 治療をしながら、四柳が毒づく。

 霊斬の引き締まった身体は古傷だらけ。死ななくて不思議なくらい、心臓に近い傷もある。今回は右肩に刀傷が刻まれている。

「そう言われてもな。そういう稼業をしている」

「おれには、お前みたいなことはできんよ」

「はは」

 その一言に霊斬は苦笑する。

「死ぬんじゃねぇぞ。怪我したら治してやるから、こいよ」

 右肩の傷を手早く縫った。薬草を塗り晒し木綿を巻き終えると、四柳がぼそっと言った。

「ああ」

 霊斬はお代を置こうとするが、四柳が断る。

「要らん。お前はおれの知らないところで、命を削って戦う強者つわものだ。それに、おれはお前には生き抜いてほしいと思ってる。そんな相手に、金を取るなんて無粋な真似できねぇよ」

「そういう奴だったな、お前は」

 霊斬はふっと笑った。


 霊斬は苦笑し、千砂の許へ戻る。

「あんたもこいつのこと、知ってるのか?」

「まあね」

「あんたも怪我したらここへこい。手当てなら、してやる」

「ありがとう」

「礼なんていい。おれは仕事をするだけだ」

 四柳は手ではえを払う仕草をした。

「じゃあな」

 それが四柳なりの別れの挨拶だと、霊斬は分かっていた。

 千砂とともに診療所を後にした。



「まったく、変わった人だったねぇ」

「俺も最初はそう思った」

 霊斬の物言いはあまりにも、そっけなかった。

「そう」

 この男はいったいどんな秘密を、抱えているのか知りたい。そう思ってしまう千砂だった。



 数月後、怪我もすっかりよくなり、作業を再開する。

 刀の修理依頼を受けた霊斬は、違和感を覚える。

 刀の先端がなにか固いものに当たったのか、僅かに歪んでいる。

 少々雑につくられたのだろう。それこそ同じ刀でない限り、このような歪み方はしないはずだ。

 ――いったい、なぜ……?

 霊斬の疑念は晴れることがなかった。



 霊斬は気分を切り替えようと、そば屋に立ち寄った。

「今日はやけに難しい顔をしてるじゃねぇか」

「そうか?」

 常連客の言葉を返す。

「ああ、眉間にこう、しわを寄せて、ちょっと怖いくらいだ」

 常連客は霊斬の真似をして、本心を述べた。

「似てない」

 それを見ていた他の客らが、声を大にして言う。

「うるせぇ! ……ったく」

 常連客は席についた。

 そんな光景を見ている霊斬の横顔は、僅かに先ほどまでの険しさが緩む。

「面白い人達ですよね」

 千砂がいつものそばを持って、近づいてきた。

「ああ」

 いただきますと手を合わせ、そばを啜った。



 三日後、修理を依頼した武士が姿を見せるなり、小判五両を出した。

「我が家の悪事を暴くため、力を貸してほしい」

「どういうことでしょうか」

「我が佐田さだ家にはある噂がまことしやかにささやかれている」

 答えになっていないという突っ込みは入れず、霊斬は先を促す。

「噂、ですか?」

「賄賂の疑惑だ。私はそれを訴えたい」

 ――訴えたい? 自分の家をわざわざ潰すようなものだ。いったいこの男、なにを考えている?

 霊斬は眉をひそめた。依頼人はたいてい、誰かに対する憎しみや怒りを抱いている。それを理由にしている場合が多い。だがこの男、そうではない。

「自ら声を出したところでひねり潰される。……だから、ここへ?」

「そうだ」

「……依頼の件はひとまず、保留とさせていただきます。それよりも、これを」

 霊斬は修理した刀を差し出した。

「感謝する」

「もしや、この刀で誰かと斬り合いになりましたか?」

「ああ。賄賂の中心人物とされるお方とな。本気でかかってこいとのめいだった」

「刀に弾かれましたか?」

「なぜ、それを」

 武士がはっとして、霊斬の顔を凝視する。

「刀の状態を見ただけです。……依頼の件ですが、明日まで、時をいただけませんか? 少し、考えたいのです」

「分かった。出直すとしよう」

 武士は小判五両を懐へ仕舞うと、店を後にした。



 武士が帰ってから、霊斬は残りの仕事を終え、刀部屋を出て床に寝転ぶ。

 ――自分に火の粉がかかってもいい、と言っているようなものだった。そこまでの覚悟は買うべきか……?

 それが本心なのか、自棄なのかはさておき。

 難しい顔をして、考え込んだ。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?