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何者?《五》

 着替えを済ませると同時に客がきた。

「ごめん!」

「いらっしゃいませ」

 表に出ていくと、光里家の武士だった。

 支度中の看板を見て、奥へ通す。

「それで十兵衛はどうした?」

「気絶するまで、痛めつけておきました」

「そうか。礼だ」

 小判十両を置き、霊斬の前にすっと差し出す。

「では、私からはこれを」

 霊斬は封書を、差し出した。

「これは?」

「見ていただければ分かります。これで光里家の暗い噂は、払拭されるでしょうね」

 霊斬は報酬を袖に入れた。

「承知した。では、失礼する」

「なにかありましたら、またいらっしゃいませ」

 霊斬は深々と頭を下げた。



 それからしばらくして、戸を叩く音が聞こえてきた。

 表までいき、戸を開けると富川家の依頼の際に見かけた忍びが立っていた。

 霊斬は内心で驚きながら、忍びを中に通し、戸をぴしゃりと閉めた。

「十兵衛も哀れというか、無様だったねぇ」

「姿を消して様子を見ていたわけか」

 霊斬はそれならば気づきようがない、と思いながら苦笑する。

「まあね?」

 霊斬は顔を覆う布を首まで引き下げる。

「〝因縁引受人〟と鍛冶屋幻鷲の主をしている」

 霊斬はそこまで言い、苦笑を浮かべた。

「あたしは〝烏揚羽〟」

 忍びが頭巾を外す。

 にこりと忍び――千砂が笑う。

 昼間そば屋で働いているときとはまるで違う。昼間の明るい感じはどこからくるのだろうと、疑問に思ってしまう。纏う気配は忍び特有の、気配の薄さ。

 昼間はあれほど強い存在感を放っているのに、今はいちいち目で確認しないと、そこにいること自体を忘れてしまいそうだ。

「襲うなんてしないからさ」

 懐から苦無を取り出して、霊斬に見せる。

 苦無の一番太いところに、烏揚羽の紋があしらわれている。

「……まさか、そば屋の娘がなあ。界隈で有名な〝烏揚羽〟だったとは」

 霊斬はしみじみと言った。

「よく分かったねぇ」

「勘に近いぞ」

「それにしたって、あれだけの情報でよく、結びつけられたね」

 千砂は己の正体が知られたというのに、口封じはおろか、脅しもない。ただ、知られてしまったのかと笑っているだけ。

「声だけは変えられんだろ?」

 霊斬は低い声で呟く。

「あんたもふたつの顔を持っていたわけかい」

 千砂はやっぱりと呟いた。

「まあな。口は堅いよな?」

「そうに決まってるだろ。じゃなきゃ、忍び稼業なんてできないよ」

 霊斬に軽い口調に、千砂は呆れてしまう。

「そうだな。どうして、俺の前にあらわれた?」

 霊斬は低い声で尋ねる。

「そうだねぇ……強いて言えば、あんたの本当の顔を知りたい、かね」

 千砂は顎に右手の人差し指をあてて考え込んだ。

 その仕草を見た霊斬は、口にはしないが、可愛いと思ってしまった。

「本当の顔か。はっ」

 霊斬は思わず口端を吊り上げて嗤った。そんなものありはしないと言いたげに。

「そうやって隠すんだねぇ」

 千砂は困ったような顔をしつつ、霊斬を見上げる。本当に整った顔立ちをしている。

「礼をしないとな、ほら」

 霊斬は懐から小判一枚を取り出して渡す。

「要らないよ」

 千砂はふいっと顔を背けつつ言った。そんなもののために、情報を渡したわけではない、とでも言いたげだった。

「なぜ?」

 霊斬は千砂が断るのか、見当がつかなかった。ただ働きはしないものと思っていたからだ。

「あたしは上っ面な関係に飽き飽きしていてね。方法は違うかもしれないけれど、ともに闇を駆ける仲間のような。いずれはそんな間柄になりたい。それだけなんだよ」

 千砂は真面目な顔をする。そのまっすぐな目に射抜かれた霊斬は、腕組みをした。言っていることに嘘はない。そうでなければ、あんなにまっすぐな目をするはずがない。

「……理由は分かった。なにを所望する?」

 霊斬は低い声で言い、小判を仕舞いながら、千砂に視線を投げる。

「そうだねぇ。あんたの隣人になれれば」

「それくらいなら、いいだろう」

 霊斬は少し息を吐き出した。なんと言われるか想像がつかなかったので、緊張した。



 霊斬はいったん上着を脱ぐ。

 右肩からの出血は今も続いている。この程度の傷となると、医者にいかなければならないだろう。

「この時刻だと、相当不機嫌なんだよな」

 霊斬は格子の隙間から見える、白んできた空を眺めた。

「放っておくわけにもいかないだろうに。知り合いなんだろ?」

「まあな」

「なら、さっさといこうじゃないか」

「どうしてお前がついてくる?」

 霊斬は不愉快そうに顔を歪める。

「ただの付き添いさ」

「そうか」

 怪我人を一人でいかせることが心配だと、あえて口にしなかった。

 素直じゃない奴だなと、霊斬は思った。

 少し気が抜けたのか、傷の痛みが酷くなってきた。

 ――明日医者にいくなどと、悠長なことは言ってられねぇか。

 霊斬は思わず溜息を零した。

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