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何者?《一》

 長屋の細い道を静かに歩いていく。周りは恐ろしいほど静まっている。

 霊斬は忍びを見遣る。

 細い身体つきをしているが、忍び装束を着ていると、男か女か区別がつかない。

「つかぬことを聞くけれど、誰かから情報が入らなかったかい? 相手方の」

 頭巾を被ったまま、忍びが尋ねる。

「どうして俺しか知らんことを、お前が知っている?」

 訝しげな顔をして霊斬は、忍びを見つめる。

「あたしが情報を手に入れたから、ちょいとお裾分けってところかね」

 目が細められるので分かった。笑っているのだと。

「お裾分けってな。情報をそんな気軽に、渡していいものではなかろう? 誰かの指示か?」

 霊斬は溜息を吐いて額に手を当てる。

「まあ、それはそうなんだけど。あたしは雇われていないよ? きちっと調べた上で、情報を渡す相手は選んでるつもりだよ」

 忍びは心外なというように、不機嫌そうに顔を歪めた。

「そうか。ひとつ言い忘れていた。俺なんぞに関わるな。お前も地獄に引き摺り込んでしまいそうだからな」

 霊斬はそこまで言って片手を上げると、忍びから離れた。



 忍びは立ち去る霊斬を見ながら、言葉を反芻する。

「俺なんぞに関わるな。地獄に引き摺り込んでしまいそう、ねぇ?」

 ――あたしもさんざん、人の闇を目にしてはいるけれど。手を穢したことはないねぇ。

 忍びは頭巾の下で苦笑を浮かべる。

「〝因縁引受人〟霊斬、か。あんたはなにを見て、どうしてそこまで、闇に染まってしまったんだい? あたしもあんたも咎人に変わりなし。なんで、あたしを案じるんだい? あんたの歩いてきた道は、それほどまでに闇に染まっていたのかい?」

 その問いに答えるように、風がびゅうっと吹く。

「人の縁を断ち切る者。どんな人生を歩めば、そんなにも辛い道を歩けるんだい? なぜ、そんなにも哀しそうな、寂しそうな、背中をしてるんだい? あんたそのものが、負の連鎖に取り込まれていることに、気づいているとしたら。どうして、それから逃れようと思わないのさ?」

 忍びの声に答える声はない。

「分からないことが怖い。どうしてそこまで、他人事でいられるの……?」

 忍びは困ったように言い、曇った空を見上げた。



 富川家を潰してから、動きがあった。

 義徳に加えて富川家の現当主が自身番に捕まった。

 空席となった当主の座を、衝突していた母親の息子が継いだ。

 そんな知らせが、霊斬の耳に入った。



 数日後の朝、霊斬は布団の中で目を開け、寝返りを打つ。

 依頼人の憎しみや怒りや悲しみを、幾度となく見てきた霊斬。生きることは惨く、絶望しかないと思っている。

 幾度となく訪れる依頼人達は、わらにもすがる想いで頼ってくる。その姿だけでも、哀れでならない。彼らの心は救われても、俺は決して救われない。

 そう思うようになってようやく、この仕事が楽にこなせるようになってきた。

 未だに過去のことはくすぶっている。それを気にしていられないほどの、依頼人達の闇を見せつけられ。俺のことは、どうでもよくなってしまう。

 この仕事をしてから、何度絶望したか分からない。

 それほどまでに闇が深い仕事なのだ。俺が始めた手前、最後までやり抜くしかない。

 霊斬は諦めと絶望が、ない交ぜになった表情を浮かべた。



 霊斬は重い身体を強引に動かして、一階へと降りる。板の間に胡座をかいて、ぼんやりと天井を見上げた。

 戸を叩く音で視線を表に向けつつ、立ち上がって引き戸を開けにいく。

 一振りの刀を持った男が、不安そうに立っている。

「どうなさいました?」

「鍛冶屋の次郎ってもんですが、この刀、見てもらえませんか?」

「こちらに」

 霊斬は支度中の看板をそのままに、次郎を招き入れる。

 お互い正座で座ると、霊斬が切り出した。

「見てみますね」

 問題の刀を受け取る。

 鞘を外そうと静かに動かした瞬間、刀身と鞘の間から液体がしたたり落ちる。

 次郎がぎょっとしたが、霊斬は動じずその液体に指先で触れる。

「この刀はいつ、あなたの許へ、持ち込まれたのですか?」

「今朝です」

「これは血と雨が混じったものです」

 指で触れた少しぬるぬるした感触と、今朝の雨から推測した。

「血ですって!?」

「持ち主が雨の中誰かを斬り、血や雨を拭わないまま鞘に収めた。といったところでしょうね」

 その証拠に霊斬が鞘を抜くと、刃に血糊がついていた。

「雨が降っていたのに、どうして血が……?」

「小雨だったからでしょう。この刀を持ち込んだ方の特徴は?」

「笠をかぶっていたので、顔までは分かりません。ただ、紋があったような……」

「どのようなものでしたか?」

 霊斬は次郎が思い出している間に、筆と和紙、すずりの用意をした。

 次郎はしきりに首をかしげながら、紋を描いた。

「ありがとうございます」

「あ、あの!」

 次郎が慌てて声を出した。

「なんでしょう?」

「その人が言っていたんです。〝その刀を幻鷲のところへ持っていってほしい〟と。お代も預かっています」

 次郎が懐から小判一両を取り出し、手渡してきた。

「そうですか。ありがとうございます。このくだりについては他言無用で」

「は、はい! では、失礼します」

 刀を霊斬に預けると、次郎は店を後にした。


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