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違和感《三》

「あら、旦那! いらっしゃい! 奥へどうぞ!」

 霊斬に気づいた千砂が、声をかけてきた。

 賑やかな店の中をよそに、無言で席に腰をかける。

「ご注文は?」

「そばをひとつ」

「二日もこもって仕事を?」

「ああ」

 刀を直している間は、時を忘れてしまう。そのことを痛感した瞬間だった。

「仕事熱心なのはいいと思います。けれど、しっかり食べないと。倒れてからでは遅いんですよ?」

 千砂は苦笑しつつ、きっと霊斬を睨んできた。

「そう言えば、名乗っていなかったな。すまない。俺は鍛冶町で店を営んでいる幻鷲と言う」

 霊斬は苦笑しつつ、見上げる。

「あら、それはご丁寧に。私はここで働いてる千砂と申します。今後ともご贔屓ひいきに」

「ったくよお! 今名乗るって笑えるじゃねぇか! 最初に名乗らなきゃなあ?」

 その様子を見ていたほかの客が大声で笑い出す。周りがどっと笑いに包まれる。

「ただ名乗っただけだろうが」

 霊斬は苦笑しながら、お茶を飲む。

「そんな人達は放っておいて、食べてください!」

 にこりと微笑んだ千砂は、盆に乗ったそばを机に置いた。

「まあいいさ。いただきます」

 霊斬は手を合わせてから、食べ始めた。

 その様子を嬉しそうに見つめた千砂は、ほかの客の空いた器を下げ始める。

 ――ここのそばはやっぱり美味いな。

 食べ終わるまで箸が止まらなかった。

 かなり早く食べ終えてしまったことに、周りの客らが驚く。

「この後、急ぎの用でもあるのかってくらい、早い食いっぷりだったなぁ」

「いや、とくに用はないんだが。こんなに早く食べたことはないんだよ。俺が一番驚いている」

 客の声に、霊斬は苦笑した。

「あら? もう食べたんですか? しかも、残さずに! いやあ、嬉しいですね!」

 千砂が空いた盆を下げた。

「そんなに喜ぶようなことか?」

 霊斬は首をかしげる。

「喜びますよ! いろんなお客見てきましたし。ちゃんと食べない人とか、文句を言ってきたりとか」

「それは……。面倒な連中だったわけか」

 霊斬は渋い顔をする。

「まあ、全員が悪いってわけじゃないんですけれど。こうやって楽しいお話もできるというのが、すごく嬉しくて」

 千砂は鼻歌を歌いながら、厨に引っ込んだ。よほど嬉しかったのが伝わってきた。

 霊斬は銭を置いて、店を後にした。



 夕方、園田が店に顔を出す。店に招き入れるや、園田は口を開いた。

「早くきてすまぬが、刀は直っておるか?」

「はい。こちらでございます」

 霊斬はさっそく、刀を見せる。

「たしかに」

「失礼ですが、私に修理の依頼をしたのは口実でしょうか?」

「……はい。しかし、武士の恥でもあり、どう話したらよいものかと」

「そのままで結構です。決して他言はいたしません」

「我が主はある理由で、賊に命を狙われている」

「賊……ですか」

「うむ。こちらでも調べたが、とあるお方の指金らしい」

「では、とあるお方についてお尋ねします。あなた方とは、どういったご関係ですか?」

「主とは義兄弟に当たる。だが、その方の母がどうも地位に固執しているようだ。主も私も彼らに、憎しみがある。しかしそれを、どこへ向けたらよいか分からぬ」

「そうでございましたか。承知いたしました。それからひとつ、確かめたいことがございます」

「なんだ?」

「人を殺めぬこの私に頼んで、二度と後悔なさいませんか?」

「もちろん。依頼内容は賊の退治と、できればこの状況の打開だ」

「承知いたしました。決行の際に、私の邪魔だけはなさらぬよう」

 霊斬は言葉こそ丁寧なものの、喧嘩を売った。

「分かっておるわ」

 その言葉が気にわなかったのだろう。園田は刀を持って、店を後にした。



 気分を変えようと、霊斬は店を出た。

 依頼について考えつつ、町での噂話に耳をかたむける。

 そこには女将らしき女と、どこかの店の主らしき男が話をしていた。

「小料理屋の下手人って、あの暗い噂で有名な富川家の者らしいよ」

「あ、聞いたことある。父親の不祥事かなんかで、誰か武士辞めさせられたんじゃなかったか?」

「そうらしいねぇ。憂さ晴らしに呑んでたみたいだけど。喧嘩に苛立っちまって、死人が出たとか」

 それまで黙っていた霊斬が口を開く。

「その話、詳しく聞かせてくれないか?」

「いいぜ。そいつ、いったん逃げたのに、また小料理屋に戻ってきたらしいんだ。でも、隠れていられなくてまた逃げたって」

「だったら、逃げたままでいればよかったのにな」

 霊斬は苦笑する。

「だよなぁ。でもそこの家って、自身番の連中も強く言えねぇんじゃなかったっけ?」

「ほう? それはどうしてだ?」

 霊斬が眉を上げて尋ねる。

「暗い噂はあれど、身分が高い方に入るからじゃねぇかな? それか、自身番の連中が胡麻擦ってるとか?」

「ああ、そう言えば。少し前に富川家の主が自身番に圧力をかけたとか? 本当かどうか知らないけどさ」

「ちょいと前に、小料理屋で骸が見つかって、騒ぎになったときがあっただろう?」

 霊斬はなにも知らないていで、話に入っていく。

「あったなぁ」

「それがどうしたのさ?」


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