時は享保。徳川吉宗の時代。舞台は将軍のお膝元。
平穏な世であるはずなのに、そこには鉄の焼ける匂いが満ち満ちていた。夜であってもその匂いは消えない。
まるで、そこだけがまだ戦国時代かのように、時が戻っているような感すらある。そこはさまざまな武器を一から作っている偏屈な者達の集まる〝鍛冶屋町〟である。
春の暖かい日の夜。月の光を背に、男が屋根から立ち上がる。
黒の長着と、同色の馬乗り
「……いくか」
黒ずくめの男は呟くと、音もなく駆け出した。
今回の相手は、伊藤家である。屋敷の規模はさほど大きくはない。下級武士程度だろう。
見張りの意識を飛ばし、堂々と屋敷に入る。
大勢の
縦横無尽に素早い動きで、男達を戦闘不能に陥れていく。真剣であるのに、命までは奪わない。
だが、彼らに〝生き地獄〟を味わわせるために動く。男の目的は、この家を根本から叩き潰すこと。二度と返り咲かぬように。
返り血の滴る刀を手にしたまま、最奥の座敷を目指す。
「〝
「
男は斬撃を放った。
「あああああああっ!」
左腕を斬り落とされ、激しい痛みに叫んだ。
声がぴたりとやんだ。
「地獄へゆけ」
気にせず男は惨劇と化した屋敷を出ていった。
鍛冶場町の外れに、一軒の店がある。
引き戸は閉じており、屋根には店の名が書かれた看板が置かれている。
引き戸には商い中と書かれた板がさがる。
そんな中、カン、カンと音が響く。
根付や鍔といった装飾品なども含め、数多くの商品が並ぶ。
右側の奥には
左側にはもうひとつ部屋がある。
戸が閉まっているが、先ほどからの音はここから響いている。
引き戸を開けて、中に入る。壁側には
その反対側に熱した刀身を冷やすための水桶。隣には
その中心に熱したばかりで赤くなっている刀身を、金槌で叩く男。空いた空間に、
肌が男の中では白い方で、手も大きいし、腕も指も足も長い。
ほどよく筋肉のついた、引き締まった身体をしている。しかし、着物の間から覗く肌には、古い刀傷が顔を覗かせる。
纏う雰囲気がなにもかもをぶち壊しにしている。不機嫌そうにしているのが、ありありと伝わってくる。殺気立っていると思われても仕方がない。気の弱い者であれば、泣き出して逃げ出すほどの威圧感がある。
それに気づかないほど鈍い女であれば、見かけただけで彼に見惚れ、心を奪われかねない。そのくらい、男は整った顔立ちをしている。
眉間に深いしわが寄り、手慣れた様子で刀と金槌を扱っている。
見た目だけで言えば、若侍か、歌舞伎の二枚目と思うのが自然だろう。背中に伸びるひとつに括られた髪は、墨のように真っ黒で、光の反射で艶やかな色合いを出す。
しかし、そんな見た目でありながら、鍛冶屋は似合わないというか、なにかちぐはぐな印象を受ける。
袖はたすきで縛っている。生地は
鍛冶屋〝
客から修理の依頼を受けたり、刀を作ったりしている。腕がいいと噂が広まり、繁盛している。
幾度か金槌で叩いた後の、刀身を水で冷やす。
霊斬は部屋から出る。大きく伸びをした。
「昼時か」
格子から見える空を眺めながら、たすきを
ほどよく暖かい風が肌を撫でるのを感じながら、ふうっと溜息を吐く。
すれ違う人々の視線を苦笑しつつ受け流す。
あまり音を立てないように気をつけながら、静かに素早く歩みを進める。
霊斬は普段店から近いという理由で、そばを食べる。だが、味が好みでなく、いい加減飽きていた。
足を伸ばして通りをぶらつきながら店を探していると、角にそば屋の看板が見えた。