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平穏に隠された負の感情
魅娜波
歴史・時代江戸・幕末
2024年08月08日
公開日
98,721文字
完結
 江戸時代。舞台は将軍のお膝元。
 そこで暮らす鍛冶屋の幻鷲霊斬とそば屋で働く千砂には、もうひとつの顔があった――。

 平穏な世に隠された人の闇を集める者と、闇の連鎖を断ち切る者。
 どちらも咎人だが、より罪が重い方はどちらだろうか?
 二人の過去と、霊斬が裏稼業を始めるきっかけとなった出来事が、明かされる。
 裏稼業浪漫譚、ここに開幕。

 他サイトで完結済みの作品です。

 表紙は越天楽さんに描いていただきました。
 ご本人に許可を取り、使わせていただいています。
 ありがとうございます。

昼と夜の顔

 時は享保。徳川吉宗の時代。舞台は将軍のお膝元。

 平穏な世であるはずなのに、そこには鉄の焼ける匂いが満ち満ちていた。夜であってもその匂いは消えない。

 まるで、そこだけがまだ戦国時代かのように、時が戻っているような感すらある。そこはさまざまな武器を一から作っている偏屈な者達の集まる〝鍛冶屋町〟である。


 春の暖かい日の夜。月の光を背に、男が屋根から立ち上がる。

 黒の長着と、同色の馬乗りばかまを身にまとっており、黒の足袋を履き、同色の羽織はおり。黒の布で鼻と口を隠している。腰には黒の日本刀を帯びている。家紋などはどこにも入っていない。


「……いくか」

 黒ずくめの男は呟くと、音もなく駆け出した。

 今回の相手は、伊藤家である。屋敷の規模はさほど大きくはない。下級武士程度だろう。

 見張りの意識を飛ばし、堂々と屋敷に入る。

 大勢の曲者くせものという声を聞きながら、刀を抜いた。それはすべてが黒で統一されている。

 縦横無尽に素早い動きで、男達を戦闘不能に陥れていく。真剣であるのに、命までは奪わない。

 だが、彼らに〝生き地獄〟を味わわせるために動く。男の目的は、この家を根本から叩き潰すこと。二度と返り咲かぬように。


 返り血の滴る刀を手にしたまま、最奥の座敷を目指す。

「〝因縁いんねん引受人ひきうけにん〟かああああっ! わしは倒れぬ、死なぬ!」

あやめはしない」

 男は斬撃を放った。

「あああああああっ!」

 左腕を斬り落とされ、激しい痛みに叫んだ。

 うるさそうに顔を歪めた男は、盛大な溜息を吐いて、喉を刺し貫いた。

 声がぴたりとやんだ。

「地獄へゆけ」

 気にせず男は惨劇と化した屋敷を出ていった。



 鍛冶場町の外れに、一軒の店がある。

 引き戸は閉じており、屋根には店の名が書かれた看板が置かれている。

 引き戸には商い中と書かれた板がさがる。

 そんな中、カン、カンと音が響く。

 根付や鍔といった装飾品なども含め、数多くの商品が並ぶ。

 右側の奥には階段箪笥だんす。真ん中には広めの板の間がある。ここで依頼人と刀の修理やら、どんな刀を作るのか、話をまとめるのだ。

 左側にはもうひとつ部屋がある。

 戸が閉まっているが、先ほどからの音はここから響いている。

 引き戸を開けて、中に入る。壁側にははこふいごがついた炉があり、中では炎がめらめらと燃えている。おかげでかなり暑い。その暑さに慣れている者でなければ、即座に逃げ出し、水をほっするだろう。

 その反対側に熱した刀身を冷やすための水桶。隣にはかなばしがある。

 その中心に熱したばかりで赤くなっている刀身を、金槌で叩く男。空いた空間に、胡座あぐらをかいて座っている。金槌を振り下ろすたびに、火花が飛び散っては消える。汗も飛び散る。

 よわい二十八。なんといってもほかの人と違うのは、背が異常に高いこと。六尺ほどはある。

 肌が男の中では白い方で、手も大きいし、腕も指も足も長い。

 ほどよく筋肉のついた、引き締まった身体をしている。しかし、着物の間から覗く肌には、古い刀傷が顔を覗かせる。

 纏う雰囲気がなにもかもをぶち壊しにしている。不機嫌そうにしているのが、ありありと伝わってくる。殺気立っていると思われても仕方がない。気の弱い者であれば、泣き出して逃げ出すほどの威圧感がある。

 それに気づかないほど鈍い女であれば、見かけただけで彼に見惚れ、心を奪われかねない。そのくらい、男は整った顔立ちをしている。

 眉間に深いしわが寄り、手慣れた様子で刀と金槌を扱っている。

 見た目だけで言えば、若侍か、歌舞伎の二枚目と思うのが自然だろう。背中に伸びるひとつに括られた髪は、墨のように真っ黒で、光の反射で艶やかな色合いを出す。

 しかし、そんな見た目でありながら、鍛冶屋は似合わないというか、なにかちぐはぐな印象を受ける。

 袖はたすきで縛っている。生地はかち色で、肌に馴染んでいる。

 鍛冶屋〝げんしゅう〟のあるじ。幻鷲れいざんである。

 客から修理の依頼を受けたり、刀を作ったりしている。腕がいいと噂が広まり、繁盛している。

 幾度か金槌で叩いた後の、刀身を水で冷やす。

 霊斬は部屋から出る。大きく伸びをした。

「昼時か」

 格子から見える空を眺めながら、たすきをほどく。戸締りをして外へ出た。



 ほどよく暖かい風が肌を撫でるのを感じながら、ふうっと溜息を吐く。

 すれ違う人々の視線を苦笑しつつ受け流す。

 あまり音を立てないように気をつけながら、静かに素早く歩みを進める。

 霊斬は普段店から近いという理由で、そばを食べる。だが、味が好みでなく、いい加減飽きていた。

 足を伸ばして通りをぶらつきながら店を探していると、角にそば屋の看板が見えた。

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