『いいじゃろ』
「へ?」
突然空から声がした。
漆黒の夜空。
そこから確かに声がした。
案外間抜けなおっさん声が。
『でも殴られるのは嫌じゃ』
まただ!
私は声の方を見た。
「か……神様??」
そこには、真っ白な衣を着たひげもじゃのおじいさん、そう、わかりやすく言えばサンタさんのようなおじいさんが、立って……いや、立ってというか、空中に浮かんでいた。
『そうじゃ、でも殴られるのは嫌じゃ』
威厳がまるでない口調で、神様はそう言うと私に優しく語りかけた。
『どうしてほしい、なにしてほしい』
ど、どうしてほしいって……。
『はよぉ言わんか、ええんじゃな、なんにもいらんのじゃな』
神様はせかすように言う、しかし顔は笑っている。その笑い顔がなんだかとってもムカついて、てか、いきなりそんなこと言われても即答で思いつくわけないでしょう、普通。
『殴られるのは嫌じゃ』
……しつこい。殴らんわ。
「わかってますよ、殴りませんよ!」
私は言い返す。
『怖い娘じゃのぉ、じゃぁどうしてほしいのじゃ』
ううん、えっと、その、うんと。ここは気晴らしに、あの二人を別れさせて……。
『あいつらを別れさすんじゃの』
え? 心読まれ……ってそれはダメ、さすがにそれはなんかいや!
私、エッぐいくらいみじめじゃんね!
「違います、それはダメ!そのえっと……」
私は必死で考えた。なぜか体中をあたふたとまさぐりながら、そして。
指先が、おばあちゃんの浴衣の、大きな朝顔に触れた。
艶やかな大輪の朝顔に。
……うん。
私は意を決して、ゆっくりと神様を見た。
『きまったかのぉ』
「はい」
『なんじゃ』
「思い出を」
『思い出?』
私はそう言うと、おばあちゃんの浴衣をしっかりとつかんだ。
「おばあちゃんの浴衣に、この、おばあちゃんの浴衣にふさわしい、楽しくてワクワクして、キラキラした、最高の思い出を」
おばあちゃんの浴衣を見て思い出すそれが、悲しいものにならないように。こんな最低な思い出を吹き飛ばすくらい、キラッキラで素敵な……。
最高の思い出を。そんな思い出になる経験を。
『ええじゃろ』
神様がそう言って夜空に手をかざし、そして
『祝福を!』
そう叫ぶと、どこからともなく激しい風が吹き私の周りを竜巻のように渦巻き始めた。
轟轟と地鳴りのような音が響き、浴衣が千々に乱れる。
「ひゃあああああああああああ、なにこれえええええええ」
あまりの事に、情けない声でそう叫ぶ。
しかし神様はお構いなしにもう一度叫んだ。
『神の息吹を!』
すると、今度は頭の上から金色の光が降ってくる。
と、言っても、なんかこう神秘的に光のように降り注いだのではなく、バケツの水をひっくり返したみたいに、ばしゃーっと来たのだ。
次の瞬間。
ダッパーン。
まさに水をぶっかけられたような音がして、私は光に包まれる。
にょおおお、溺れる。溺れるってええええええ。
私はとっさに鼻をつまんで息を止め、目を閉じた。
『じゃぁ頑張るんじゃぞぉ』
耳の端の方で、かすかに神様の声が聞こえる。
えええ、頑張るって、いったい何を頑張るのおおおおおお!
心でそう叫んだのが、この夜の最後の記憶になった。