「ふぅ……やってられないわ」
着慣れない浴衣の裾を気にしながら、私は人影もまばらになった暗い路地を歩いていた。暗いとはいえ通いなれた道、いくら私がか弱い女子高生とはいえ防犯上の心配はないのだけれど。
「あー、なんだか手あたり次第ぶん殴ってしまいたい」
心配した方がいいのはいっそ周りの方。それくらい、私の頭の中では脳みそが沸点を迎えて煮えたぎっていた。
「だいたいおかしいとは思ってたんだよ」
怒りの中でも冷静に、私は今日の事を思い出す。そして、がっくりと肩を落とした。
たしかに
まぁほとんどは聖の忘れ物を私が届けてるんだけど。
そういう意味で、夏見は私にとってかけがえのない女の子で、聖は親しい近所の男の子で、二人とも大事な幼馴染、なんだけど。
「夏祭りに一緒に行こうはないよね」
誘われないよね、普通。近所のお祭りならわかるよ、それはなんだか幼馴染イベントな感じがする。でも、ちょっと電車使っちゃうくらいの距離にある花火大会が盛大なお祭りに……誘うか? 普通。幼馴染を。
とは、思った。
思いました。
普通そこは高校の友達とか、その、まだ私にはよくわからない領域だけど、恋人とかじゃない。
少なくとも幼馴染ではなくない。
ってね、でも。
正直うれしかったんだもん。
そうですよ、二人そろってお誘いに来たときはテンション上がっちゃいましたよ。だってしょうがないじゃない、幼馴染かどうかにかわらずお祭りに誘われたなんて小学校以来だったんだから。
いや、別にそんな暗い青春を送っていることはない。ない、うん、ない、はずなんだけど、たまたま、うん、たまたま、そう、たまたまそういうお誘いが今までなかっただけで。
まったく、からっきし、なかっただけ、で。ぐすん。
……ああ、そうですよ、認めますよ、ちょっと暗い青春ですよ。人づきあいが面倒な私はちょっと暗い青春を送っていましたよ。だから誘われなかったんですよ。
だから、仕立ててもらったものの一度も実戦使用されたことがなかったおばあちゃんの形見。大きな朝顔が印象的な紺の浴衣をばっちり着こんじゃうくらい、テンションの急上昇はありましたよ。
二人が、私の目の前で手を繋いで歩き始めるまで、は、ね。
「白乃には知っててほしかったんだ」てのは夏見の言葉。真っ白いほっぺを薄紅に染めて、可憐を絵にかいたような顔でね。眼だけはしっかりとにらんでたけどね。
「ごめんな白乃、夏見が大切なんだ」てのは聖。わざと夏見に聞こえないように、私に顔を寄せてささやいた。優しい、本当に優しい横顔で、ね。
悔しいことに、なんとそんな舐めた一言に。
わたし、ときめいちゃったんだよね。
……ときめいた?
ううん、よくわからない。ただ、体がね、こうきゅってなってね、心臓がどきどきしてね、きっとこれがときめきなんだって感じでね。ちょっと体温が上がる感じでね。
お祭りの夜店の照明がちょっとかすんで見えてね。
さっきまで近かった雑踏のざわめきが遠くに聞こえてね。
ああ、わたし、この人が、好きだ。ってね。
うん、ちょっとそうかなとは思ってた。私は聖が好きなんじゃないかって。友達とか幼馴染とかそういうのとは違う。主人公が背景にお花を背負っちゃうような好きが、あるんじゃないかって。でも核心はなかった、なんとなくそんな気がするってだけで。
でも、聖の「ごめんな」の一言でわたしは、それが恋だと知った。
そして、知った途端、終わったことも、知った。
「告ってもないのに振るな、バカ」
てか、それ以前に、自分の気持ちにすら気づいてなかったのに……。
「振られてはじめて気づく初恋……か。ガチムカつくわ」
それは、初めての失恋。
でも、涙は出てこなかった、落胆も一瞬で、胸を刺す痛みは刹那だった。そしてときめきのような興奮はゆっくりと冷めていった。
花火が上がって、パッと咲いて、煙が夜空に薄く残るように、そして。
燃えカスのように私の心に残ったのは。
やってらんない。
それがすべてだった、もうどうでもいいと思った。
その途端全ての景色がうつろになって、お祭りの興奮も消え失せて、私は、二人に気付かれないように一人家に帰ることにした。
一度だけ、夏見からスマホのLIMEにメッセが届いた。
『帰るの?』
『うん』
『そっか、じゃ、またね』
それだけ。
そう結局、今日のこのイベントは幸せな二人が付き合っていることを私に教えたかっただけ。「手を出さないでね」って夏見のはにかんだ表情の裏に潜ませた警告と「あきらめてくれ」っていう聖の自分勝手でどんぴしゃりな忠告。
それを私に伝えたかった、それだけ。
だから二人にも、そして私にも、そのあとはどうでもいいことだった。
一人祭りの喧騒に背を向けて、私が寂しく夜道を歩くなんてこと、二人には何の関係もない。
「ふっざけんな」
見慣れた道の見慣れた街灯の下で、私は立ち止まってそうつぶやいた。
スポットライトを浴びたように、淡い藍色の朝顔が暗い夜道に浮かび上がる。
大好きだったおばあちゃんの形見。大事に大事に。本当に大事に今日まで袖を通さずに来た私の一番大切な宝物。
うれしかったんだ。
遠くで花火の音が聞こえるのをいつしか部屋で一人で聞くしかなくなっていた私には。
うれしかったんだ。
とっても、とっても。おばあちゃんの形見を着ようと思うくらい。私の宝物の晴れ舞台にしようって思うくらい、本当に、本当に。
うれしかったんだ。
「ごめんね、おばあちゃん」
私はそうつぶやいて、浴衣を抱きしめるように自分の体を両手できつく抱きしめた。
最悪の思い出になっちゃった。
大切な幼馴染がいなくなって、気付いてもなかった初恋が終わって。
最低の思い出になっちゃったよ、おばあちゃん。
あばあちゃんの浴衣を初めて着た日の思い出が、朝顔の浴衣に、最初に重ねられた思い出が。
私の大事な宝物の、最初の思い出が。
「う、うう……うー」
うめき声とともに、いつしか涙があふれていた。
これは失恋の痛み? それとも悔しいの?
……ちがう。許せない。
夏見が? 違う。聖が? 違う。
じゃぁ、私が? それも違う。そう、そうだ。
「こんな世界なんて大嫌い、神様がいるなら……」
神様が許せない!!
こんなひどい経験を、こんなに意地悪なセッティング満載のさいっていの経験を、罠をしかけるように用意した神様が。
おばあちゃんの浴衣を台無しにした神様が。
許せない!!
「いるなら出て来い神様!一発ぶん殴ってやる!!」
静かな夜の路地裏で、私は叫んだ。と、意外なことに……。
なんと、返事が返ってきたじゃない。