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第10話・説得

「ほら、そこのおまえ! ぼやっとすんな、さっさと厨房に運んで来い!」

「はいっ!」


 私は張り切り声を上げて重たい水桶を両肩にひとつずつかけて持ち上げた。


「大丈夫? あんた細っこいのに、無理して落っことしたりしたらどやされるよ?」


 親切な同僚に私は笑ってみせた。


「大丈夫大丈夫! 慣れたものだし、身体も鍛えてるもん!」


―――


 枢機卿に対する私の策を実行に移す為には、もちろん大きな壁があった。

 いくら、私が王の子である事は証明出来ると言ったって、一旦は私に皆の疑いの目が向く事は避けられない。そんな危険は冒せない、とジークが言い張ったのだった。ジークは自分が命と名誉を投げ出せば、私や両親をなんの危ない目にも遭わせずに平和を勝ち取れる、と考えているのだから、あっさりと、わかりました自分が死ななくて済むよう秘密を売るふりをしましょう、なんて言わないだろうとは思っていた。

 心配する父やエリスに、私に任せて欲しい、と言って人払いしたジークの部屋でふたりで向かい合った。本当は私よりもずっとジークと一緒にいた二人の方が説得に向いているのでは、という思いが心を掠める度に怖くなったけれど、でも、他の人に委ねるなんてとても出来ないと感じたのだ。

 ジークの瞳は静かな決意を湛えて私をまっすぐに見てた。かれはただ、自分の計画をやり抜く事で私を出来るだけ傷つけない為にはなんと言えばよいのか、それだけを考えているように感じた。だから私は敢えて、ジークを死の危険に追い込むような事はとんでもないなんて言わずに、感情的に叫び出したくなるのを堪えながら、冷静なふりをして説得にあたった。


「ジークの考えは、決心は、国の為を思った立派なものだと思う……でも、やっぱり暗殺なんて駄目だよ」

「しかし、他にもう手はありません。陛下が退位に追い込まれるような事態になってしまえば、最早誰にも枢機卿一派に手を出せない状況が出来上がってしまう。陛下や跡継ぎのリオンさまには傷をつけずに、正義の為に枢機卿を廃するには、もうこれしか」

「正義の為。たしかに、枢機卿がいなくなったら、後継者のエイラインには人望や実力がないという話だし、お父さまの王家は枢機卿派に勝って、国に秩序が戻るかも知れない。だけどね、ジーク」

「なんです?」


 私は緊張で手が震えるのを、拳をぎゅっと握って押し隠した。私が言い間違えたら。ジークが聞き入れてくれなかったら。この人は死んでしまう。国の為、私たちの為に、ひとりで罪を背負って……。ジークは、必要な事だからやると言ってはいるけれど、潔癖なこの人の心は、父親を手にかける事までは出来ても、その罪に耐える事はきっと出来ない。皆を救った喜びなんて得られずに、後悔と絶望の中で死を迎える事になるのだ。そんな事、絶対に絶対にさせたくない。


「言ってたよね。罪は正当に裁かれるべきだと。枢機卿の罪も、きちんと公の場で裁かれるべきだって」

「はい。その為に尽力してきました。ですが、結局は奴は厚い壁に護られて、軍事力において圧倒的に不利な我々にはどうしようもなく、更に聖剣を奪われては……」

「そう。でも、だからって、暗殺に逃げちゃ駄目だと思うの」

「逃げ、ですか」


 私の言葉に、ジークの頬が強張る。かれの決死の覚悟を侮辱するようなこと、私だって言いたくはなかった。逃げてるなんて勿論思ってない。だけど、敢えて私は言った。ジークが怒っても……私のこと、嫌いになっても、かまわない。ジークを死なせない為なら……。


「逃げ、だよ、ジーク。だって、生きて立ち向かわなきゃ」

「わたし一人の命で平和が勝ち取れるならば。逃げだろうが罪だろうが、わたしは手を汚します。心の清いリエラさまには解って頂けなくても」

「ちがうよ、そうじゃない。罪によって得た平和は、本当に良いものなの? ひとときは、みんな、いまみたいな酷い事がなくなってほっとするかも知れない。でも。聖職者を暗殺して勝ち取る平和は、本当に続くの? 枢機卿側は、破れても納得しない。争いの芽を残したままになるよ。そんな平和は、きっと長続きしない」


 思った事を、言えた。ジークの端正な顔が動揺に歪んだ。静かな部屋のなかのカーテンの隙間から、ひとすじの光が射しこんだ。


「リエラさま……それは……」

「私の言ってる事、間違ってる?」

「……いいえ。でも、たとえかりそめでも、いま、平和を得られるなら。仮に数年しか保たないとしても、いまよりは……」

「そんな事の為に死んでもいいの?! あなたは、本当の平和が訪れた時に、しないといけない事がたくさんあるでしょ?」

「本当の平和。もちろん、それが得られれば、どんなに良いことか。しかし」

「しかしとか言ってる場合じゃない。私の案に賛成して。少しばかりひやっとしたって絶対大丈夫だから! 枢機卿は絶対的な聖職者なんかじゃない。間違って恥をかく事もあるんだ、って国中に知らしめれば、支持者たちも気が付く筈だよ!」

「……」

「ジーク。ずっと一緒にいて、私を護って助けてくれるって言ったじゃない。あれは嘘なの? みんなで平和を勝ち取って、みんなでそれを保っていけるようにしよう? その為には、私やおとうさまがジークを犠牲にして安全なところにいるだけじゃ駄目なんだよ。みんなで頑張って、みんなで正義をやり通さないと!」

「リエラさま」


 遂に、ジークはふうっと息を吐いて表情を緩めた。


「貴女という方は……いったいいつの間に、そんなに物事を見通せる力を身に付けられたのですか。ほんの数か月前まで、貴女はお城の厨房の中だけで生きていた小間使いだったのに」

「ジーク!」


 わかってくれたようだ、と感じて、私は泣きそうになりながら、ジークの手を握っていた。


「ジークが世界を見せてくれたからよ。厨房に私を迎えに来て、王さまの館から救い出してくれた。それがなきゃ、リエラはただの世間知らずで自分の事しか考えない小娘だったよ……まあ、今だって、そんなに世間の事、わかってないとは思うけど」

「いいえ……貴女には、王の資質がある。育ちなど関係ない。王の、いや、女王の」

「ま、待ってよジーク。私はそんな柄じゃないって。ね、それより、わかってくれたなら、私の案に乗ってくれるよね?」


 でも、この念押しには、ジークはすぐにうんとは言わなかった。


「その案には、デュカリバーで王家の権威を示す事が不可欠です。だが、デュカリバーは奪われてしまった」

「それについては、私、なんとか出来るかも知れない。デュカリバーは、王家の者と引き合うでしょ。前に見せて貰った時、私は感じたし、ジークもそう言ってた。隠されていても、近くに行けばきっと在り処が」

「わたしが枢機卿を信用させて、デュカリバーに近付いて密かに取り戻せばよい、と?」

「う、うん! そう、暗殺より、きっとうまくいくと思うから!」


 ちょっと視線が泳いでしまい、ジークは疑わし気に私を見た。


「リエラさま……まさかなにか、おかしなことを考えていないでしょうね?」

「お、おかしなことってなに? 私、ジークが枢機卿を言いくるめて、デュカリバーを取り戻して私に言いがかりを付けさせるのを、ここで、待ってるからね?」

「……」


 ジークは複雑な顔で、


「わたしの芝居が、貴女と陛下に害をなしてしまったら、わたしは生きていられない」


 って言った。


「大丈夫よ、もし万が一失敗したら逃げちゃうから。そしたら、助けてくれるでしょ?」


 ジークの為にどうとか言うより、頼ってしまう方が効くんだって解っているのでそう言ってみたら、そういう所では単細胞なジークは、勿論です、って言ってくれた。やっとほっとして、私は冷めてしまった紅茶を口に運んだ。

 結局、切り札――いまのリオンが影武者だという情報――はすぐには切らず、デュカリバーを取り戻す目算がついたら、という条件で、ジークは早い段階での暗殺を思いとどまってくれた。どの案を実行するにせよ、枢機卿に近付かない事には何も始まらない。まずは傍に入り込んで様子をみる事になる。相手側だってすぐにジークに危害を加えてくるより目的を探ろうとするだろうから、そこで時間も稼げる筈。


 そして、私は……「おかしなこと」を考えていた。


―――


「新入り! 水運びのあとは、向こうに積んでる芋を洗って剥いてくるんだよ! 今日は枢機卿閣下にお客があるらしいからね!」

「はいっ!」


 私は、枢機卿の館に、小間使いとして潜入した。このことは、私の頼みでここまで連れて来て手伝ってくれたジュード以外、誰も知らない。

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