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第9話・犠牲なんて要らない

 ジークが出て行った扉を私たち四人は少しの間声もなく見つめていたけれど、そうしていたからって、ジークが気が変わって戻って来る訳でもない。


「エリス……なんなの、ジークの本当の目的って?」


 私は流れる涙をぐいと袖で拭いて聞いた。エリスは俯く。いつも冷静沈着な彼女も涙ぐんでいた。


「はっきりお聞きした訳ではないのです。けれど、今の閣下のお言葉で、わたくしの想像は間違ってなかったと確信が持てました……」

「いったいどういうことだね?」

「閣下が先ほど仰った、枢機卿に寝返る芝居、これが第一の策。もしそれが見破られた場合、懐に飛び込んで来た閣下を敵が亡き者にしようとしてきても敢えて身を護らず、代わりに子殺しの罪を着せて破滅に追いやる、これが第二の策……」


 それは、さっきジークが言っていたことだ。でも、その先が?


「けれど、枢機卿はきっと第二の策も見抜いてしまう。見抜けば、閣下を殺さずに、幽閉するか或いは利用しようとするか。そうなっては、みすみす敵の手に落ちに行くだけのことになってしまう。だから、だから閣下は」

「なに? そこまで思うのなら、危険を冒して行く意味なんてないじゃない!」

「いいえ……閣下は、命を捨てて枢機卿を暗殺するおつもりなのです! 相手もまさか、あのように曲がった事を憎まれるご気性の閣下が、実の父親を自ら暗殺する気だとまでは思わない。けれど、リオンさまや多くの罪なき人々を死に追いやり国を乱している枢機卿を断つ事こそが、長男であるご自分の使命だと、閣下はそう思い詰めておられるのです。常に厳重な警備の奥にいる枢機卿も、息子が和解の為に二人きりで話したいと言えば無下にはすまい、と。一旦近づいてしまえば、閣下程の達人ならば、もし護衛が密かに隠れていたとしても、自らの命を惜しまずにかかれば相手を討つ事は達せられる……」

「そんなばかな! それでは、ジークの方が卑劣な親殺しの大罪人、という事になってしまうではないか!」


 父が大きな声を出す。でも私は恐ろしくて声も出なかった。

 エリスは、


「はい。でも、閣下はそれでよいとお考えなのです。枢機卿さえ取り除けば、かの勢力は頭を失った蜘蛛の足に過ぎない。その時こそ王家の権威で残党を打ち砕き、枢機卿の罪状を国民に知らしめるのだと。そして閣下は先日こう仰いました。『枢機卿が殺され罪が白日の下に暴かれれば、枢機卿の首と下手人の首は、並べて晒されるべき。それによって陛下の公平な正義が皆に受け入れられることだろう』と……」


 絞り出すようにそう言うと、エリスは遂にそのまま泣き崩れてしまった。父はこの告白を聞いて、蒼ざめて両手で顔を覆った。


「わたしが……わたしが不甲斐ないばかりに、ジークにそこまで考えさせていたとは……」


 父がジークを息子のように愛しているのはみんな知っている。だからこそ、あくまで公正に、枢機卿は罪人だけれど、聖職者である枢機卿を暗殺したジークもまた罪人、と裁けば、国民も納得するだろうと……そういう計算なのだ。


「駄目だよ、ねえエリス、そんなの駄目。どうしよう……だって、デュカリバーを取り戻せばいいという話だったのに?」

「リエラさま」


 とエリスはこの念入りに人払いされた奥まった部屋なので、久々に私の名を呼んだ。


「デュカリバーの事は、きっかけなのです。閣下はずっとこのきっかけを待っておられたように思います……リオンさまが亡くなって、リエラさまを身代わりにして以来、ずっと。閣下は、小間使いとして辛酸を舐めてお育ちになったであろうリエラさまをお救いする、リオンさまも喜ばれるだろう、と仰ってトゥルースに赴かれました。でも、帰国されてから、身分は低くても立派なお心で卑屈にもならず生きて来られたリエラさまに過去を捨てるよう迫ったのは罪だったと後になって気づいた、と仰いました。閣下は、ご自分の命でリエラさまを護ろうとお考えなのですわ。枢機卿の勢力を一掃する事が出来れば、リエラさまが王女に戻る事も可能な筈。そうなれば、リエラさまは初恋の相手と公に結ばれて幸せになれる筈、と」

「は、初恋の相手? なにそれ?」

「勿論、エルーゼクスさまですわ。閣下はゼクスさまがリエラさまのお相手に相応しい方かどうかを見極める為に、あのような芝居をなされ、そしてゼクスさまがお眼鏡にかなったから、自らゼクスさまを、リエラさまを護れる方として鍛えようとなさっていたのです」

「そんな」


 私はそれしか言えなかった。なにそれ。ゼクスはそんなんじゃないのに。確かに、自分が王女だったと知って、身分が釣り合うならばゼクスと結婚してずっと傍にいられるという未来もあるのかな、なんて想像した事はある。でも、それは、私とゼクスが互いに他に理解者がいないから、それもいいかも、と思ったからに過ぎなくて、初恋とかじゃない。ゼクスは……ああ、よく自分でも解らない。私は確かに、私を除け者にしてゼクスに纏わりついていた令嬢たちに嫉妬してたかも知れない。でも、恋とかではなく、親友を取られた、みたいな感情だった気もするし?

 ……いや、そんな事は今はどうでもいい。とにかくジークを死なせる訳にはいかない。ましてや、王家の為に罪人にするなんて。でも、いくら止めたって、ジークは行ってしまう。

 枢機卿を裁くのは、暗殺ではなく法でなければ。ジークだってそう言っていたのに。だけど結局、今までの事で、綺麗ごとを並べ立てるだけでは枢機卿を止める事は出来ずに、王家も国も追い込まれていくだけだって分かって来た現実を、ジークが一番憂いていたのかも。


『わたしはもうずっと、この手段を考えてきました。なにも犠牲にせずに国を建て直すなど不可能なこと』


 でも、だからってジークが犠牲になるなんて。いや、誰の事も犠牲になんてしたくない。私に、私に出来ることはないのだろうか。


「……そうだ!」


 案が浮かんだ。私の声に父と宰相とエリスの視線が私に集まる。


「どうなさったのです?」


 と宰相が尋ねて来た。


「第二の案ではジークが死に、第三の案ではジークも枢機卿も死ぬ。だったら? 第一の案が上手くいけばいい!」

「でも、枢機卿があっさりと、閣下がこれまで忠誠を捧げて来た陛下やリオンさまを裏切るなんて、信じる筈がないですわ」

「いいや、ジークが裏切るのも無理はない、と思わせればいい。つまり、お父さまやリオンの方が先にジークを裏切った、という事実を信じさせればいい。枢機卿は人を信頼せず利用する事に長けている。そういう人は大抵、裏切られたらすぐに復讐しようと思うのが人間だ、って考えると思う。だから、案外上手くいくんじゃないかな」

「しかし、わたしやリオンがジークを裏切る、とは? 仮にわたしが意見の対立からジークを冷遇するような事があっても、ジークがそれを裏切りと考えるような男でないことくらい、枢機卿もわかっている筈」

「そんなような事じゃないんです、お父さま」


 私は自分の思い付きを言葉にする事で、徐々にこの作戦に自信が持てて来た。


「お父さま。枢機卿は、リエラの事を知らないんですよね」

「え? ああ。アークリエラの誕生を知っている者は、多くはないとはいえ、完全に秘密にしておける筈もないので枢機卿も知ってはいる筈だ。だが、その者たちはほとんど皆、赤子のアークリエラはトゥルースに養子に出したが死んでしまった、と思っている。いま、そなたが無事に成人している事を知っているのは、そなたがこの王宮でリエラとして接した事がある者だけだ。つまり絶対的に信用できると思う者だけ。枢機卿には伝わっていない筈」

「ならばうまくいくと思います。枢機卿は刺客を放ってリオンを襲わせた。なのにリオンは死なずに元気でいる事になっている。枢機卿側は、リオンとジークが姿を消していた間に治療をして一命をとりとめたのだと考えてはいるでしょうが、何かおかしい、とも薄々感じているのでは? だから、ジークが言うのです。信じて仕えてきたリオンは偽者だった、と。自分の知らない間に、リオンは影武者と入れ替わっていた……それを知らされなかった、もう王家を信じられない、偽のリオンに仕えるなんて出来ないと思った、と」


 はっと三人は息を呑んだ。


「リエラさま。でもそれは……絶対に洩らしてはならない秘密をわざわざ敵に与えてどうするのです。リエラさまや陛下を窮地に追い込むような策に閣下が賛成なさる訳がないですわ」

「窮地にはならない。だって、枢機卿はいまのリオンが銀の染粉で髪を染めた赤の他人の影武者と思う訳だけれど、私は紛れもなく王家の血をひいているもの。枢機卿が私を偽者だと言い立てて失脚を図って来たら、私はこの額の聖印を見せて偽物ではないと証明し、紛うかたない本物の王の子だと皆に納得させればいいの。王太子を侮辱した、最高位の聖職者がとんでもない過ちを犯した……これは、枢機卿の勢力を削ぐ事実になる!」


 ジークも他の誰も犠牲にしなくて良くて、枢機卿に打撃を与えられる。最善の策だと思う。


「たしかに。それは、有効な手だと思う。しかし、それでそなたが女とばれてしまったらどうする」

「ばれなければいいのです」

「だが、皆がそなたを偽者かも知れないという目で見れば、何が起こるかわからない」

「だから、やっぱりデュカリバーは必要だと思います。お父さまがデュカリバーを佩いて王位の正当を示し、私が聖印を示す。皆はリオンの双子の妹の存在すら知らないのだから、これ以上ない王家の証明に対してそれ以上の要求は出来ないと思います」

「デュカリバーはいま、ここにないのだよ」

「それはきっと何とかします」


 デュカリバーさえあれば有効だと、父も思ってる。私はようやく光が見えた気がして、笑みをこぼした。

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