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第二部・第1話・王太子の毎日

「王太子殿下。本日のご予定はこのようになっております」


 アークリオンの朝は早い。夜明け前には起床してジークと剣の朝稽古、それから朝食をとりながら一日の予定や抱えている案件の報告を聞き、それらを片づける為の一日が始まる。毎日のように王都近くのどこかの領地に赴き、見回りをしたり嘆願を聞いたり。トゥルースの王宮では、毎晩のように宴が開かれて王族貴族は遊び暮らしていた事は、ゼクスからも聞いていたし、私は厨房の下働きだからこそ、今日は晩餐会でどんな御馳走が饗されたかという事まで知っていた。勿論私たちは、実際にそれを会場の広間へお出しする侍女さまたちの所へ運ぶだけで、匂いを嗅いで味を想像する以上の御相伴など出来る訳もなかったけれども。


 ゼクスは宴が苦手だと言っていた。私も苦手だ。兄アークリオンになってから二月が経とうとしていたけれど、未だに。リオンが遺してくれた記憶があるので、人間違いをする事は殆どない(それがなければ、怪我をして部分的な記憶喪失になった事にする予定だったそうだけれど)。だけど、宴ですり寄ってくる人間の殆どは、王太子という地位にすり寄ってくるのだ。誰もが同じ顔に見えて仕方がない。彼らを味方にしておかなければならないのは解ってはいるけれども、時にそれはとても苦痛だった。


 でも有力貴族たちとの話は疲れるものだったけれど、政治的な話は努めて愛想よく聞いて頭に叩き込むようにした。例え相手が自分の利益しか頭にない馬鹿者でも、国の益になる為にはその者をどう扱うのがよいのか……私に決定権がある訳ではないけれど、情報を集めて父王に伝える為に、頑張っているつもりだ。


『アークリエラさまは本当に真面目で覚えのよい方で』


 とは、秘密を知る数少ない者の一人である家庭教師から頂いたお言葉。勉強は嫌いじゃないし役に立つ。私は早く一人前の王子になりたくて必死だった。流石にリオンの記憶がそっくりそのまま私に残った訳ではないので、ぼんやりした知識のピースの間を埋めていくような作業だけれど、ダンスの練習なんかよりずっと性に合う。

 元々ダンスが身についていた訳でもないのに、男性のパートをこなせるようになるのは結構大変だった。そのダンスも、身体がある程度以上近づくようなものは避けなければならない。過去のリオンとの体格の違いを見抜かれ、女とばれてしまっては一大事だからだ。でも、急にダンスの誘いを断るようになるのも不自然だし、と最初はみんなで悩んだけれど、これはジークに押し付ける事で解決した。リオンは落馬して捻挫したので暫く軽めのものしか踊れません、と言って、それ以外のものはジークに任せたのだ。聞けばジークは王族の身分を捨ててからは一切ダンスを断っていたらしいのだけど、リオンと私の為ならばと、否も応もなくその役目を引き受けてくれた。


 そして、周囲の令嬢たちはその状況を喜んで受け入れた。

 いくらジークが自分はただの騎士ですと言い張ったって、かれが元々王子であるのは誰でも知っているし、叔父である国王夫妻に愛されているのも知られている。いつか王族籍に復帰するかも知れない、だったら警戒度の高い王太子さまよりも狙いやすい……令嬢たちの標的になるのには充分な理由だけれど、それ以上に、ジークが意外にモテるのだという事もあるようだった。これは、ジークの副官エリスから聞いた話。

 ジークは恋愛に興味のない朴念仁だけれど、その為これまで全く浮いた噂のひとつもなくて、高貴な血と国一番の武勇と下々に優しく公平な人格を併せ持ち、おまけに美形……という事で、かれに憧れる令嬢は数えきれないくらいだそうで。

 確かに、まだ少年の面影を残したリオンより、ジークの方が大人の男性という感じはする。でも、ほんっとうに女の子の心が解らないのは相変わらずで……私はまだ、リエラの最後の日のドレス姿の事を根に持っている。だいたい、女の子がドレス姿を見せに来たと言うのに、お世辞でも褒めもしないなんておかしいでしょ?!


『最後にドレス姿を見せたいなど、やはり女性の暮らしに未練がおありなのでは?』


 折角覚悟を決めたのに、未練を絶ち切る為でもあったのに、本当に気が利かない……。だけれど、自分は兄と同じ短髪の男装の姿で、ジークが綺麗に着飾った令嬢たちと踊っているのを眺めていると、どうにももやもやしてしまう。こっちは親しくもない女の子と踊ったって何も楽しくないし、いつも警戒して気疲れするばかりなのに、と、ジークだって楽しくてやってる訳でない事くらい頭では判っているのに苛々してしまうのだ。


 リオンになってから、私は毎朝ジークに剣を習っている。元々これはリオンとジークの日課でもあったそうだけれど、最初は両親もジークも、本当は女の子である私がそこまでしなくても、と心配して止めてくれた。リオンの剣の腕前は、ジークが師匠なので年齢の割に結構なものだったそうだけれど、王太子は護られているものだから、腰の剣はお飾りでも構わない、と。

 でも私は、せめて自分の身は自分で護れるようになりたいと思った。多少打ち身や擦り傷が出来たって構わない、どうせ男になりきると決めたのだから、むしろそれくらいあった方がいい、と言って説得した。

 最初は緊張したけれど、元々身体を動かすのは好きだし、剣を振っている間はややこしい事を考えずに済むので、私はこの早朝の時間が好きになった。かなり手加減してくれていたのは最初のうちだけで、ジークは段々厳しくなってきたのでそれもまた良かった。ジークはしょっちゅう、『リエラさまは筋が良いし、ついリオンさまと重ねてしまって』と後から謝ってもくるのだけれど、私は姫じゃなくて王子なのだから、優しくされるより今の方がいい、と言っておいた。だって本当だもの。変に女の子扱いされるのは嫌だ……。


―――


「リオンさま、お疲れですか?」


 招待された公爵邸での舞踏会で、私はまた、自席に腰を下ろしたまま、ぼんやりとジークが可愛い令嬢と踊っているのを眺めていた。穏やかな声をかけて来たのはジークの副官エリス。

 二か月が経ってリオンの捻挫も治った筈なのに、今やこうした席で令嬢に取り巻かれているのはいつもジークである。


『なんだか最近、リオンさまは近づきにくくなられた』


 と私は令嬢たちからは些か敬遠されているらしい。そりゃあ、あまり接近するとボロが出ないかと不安に思うものだから、つい素っ気なく振る舞ってしまうのだけれど、リオンは色んな令嬢と気さくに世間話をしていたそうなので、皆からすると、壁が出来たように感じてしまうらしい。

 勿論、年頃の娘を持つ貴族たちは、王太子に取り入ろうとして集まってくるのだけれど、私があまり踊らないものだから、令嬢は挨拶した後ジークや他の貴族令息の方へ行っちゃって、私はおじさんに取り囲まれてばかり、という状況だ。まあそもそも、王太子の結婚なんて、舞踏会で見初めて……なんて事は殆どなくて、政略な訳だし、それを決める両親は勿論、私を令嬢と結婚させようなんて思っていないんだから、あんまり意味はないのだけれど。


 とにかく、そうやってひとしきり貴族たちと礼儀に則ってお話しした後、ふと手持ち無沙汰になる事がある。今まで縁のなかったお酒も少しは慣れたので、ちびちび飲んでいると、よくエリスが来て話し相手になってくれる。ジークが信頼を寄せるかれの副官で女騎士であるエリスは、数少ない秘密を知る者で、今ではなんだかお姉さん的存在に感じている。

 それにエリスはどことなくジークと似た雰囲気を持っている。王宮に仕える騎士というのはみんなそういうものなのかも知れないけれども。

 エリスは王宮騎士の制服を着て男装した女騎士であり、ダンスは踊らない。だけど女だと隠している訳では勿論ない。似て非なる存在だけれど、女の身で腰に剣を佩いている点は共通だ。

 ふうと溜息をついて私は小声で、疲れたというよりつまらない、と愚痴を洩らした。


「もう大体話すべき相手とは話したし、帰りたいけど、ジークを置いて帰る訳にもいかないし」


 ジークもエリスも私のお伴で来ているのだから、勝手に帰る訳にはいかない。そして、お伴なのに表面上にこやかに宴を楽しんでいるように見えるジークを、私はエリスと呑みながら眺めているだけ。勿論、私が、本来リオンがやるべき事を押し付けているだけなので文句なんて言える筈もないのだけれど。

 エリスは苦笑する。


「閣下は元々こういう場が苦手でらしたけれど、だいぶ板についてこられたみたいですわ。でも、本当は早く帰りたいと思っておられると思います。リオンさまが退席されたいのだと伝えてきましょうか?」

「いや、いいよ。令嬢たちに恨まれそうだし、なんだかんだ言ってジークも楽しそうに見えるし」


 私は、誰も聞いていないように見えても念の為、いつもリオンの口調で喋っている。最初はおかしな気分がしたけれど、今ではだいぶ慣れてきた。

 私の言葉にエリスは苦笑して、


「そんな事までご無理なさらなくてもよろしいと思いますのに」


 と言う。


「別に無理はしてない」

「でも、帰りたいんでございましょう?」

「……」


 でもこの会話は、フロアの方のざわめきによって中断を余儀なくされた。ジークに話しかけた一人の令嬢が、泣きながら走り去って行ったのだ。ジークは驚いている様子。


「……またやらかしちゃったみたいだね」

「そうですね……板についてこられた、という発言は撤回します」


 ジークは誰にでも優しいけれど、令嬢たちを見分ける事は出来てもそれは貴族家の紋章を覚えるようなもので、特に誰かが優れていると思う事はない、と言っていた。けれど、優しくされると期待してしまうのが乙女心というもの。ジークの方はあくまで社交辞令で、区別をしているつもりはないのだけれど、勝手に希望を持って勝手にそれが儚い夢と知り、傷ついてしまう令嬢も最近目立つのだ。今の所別に問題は起こっていないけれど、困ったものだ。


「やはり退席の手配をしてきましょう」


 と言ってエリスは立ち上がった。

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