それから半日経って、ようやくジークは目を開けた。
「ああよかった……! ジーク、ごめんなさい! 傷は痛む? どう?」
私は付きっきりで看病していたけれど、意識が戻った事に本当にほっと胸をなでおろした。快方にむかっているのだから、きっと命はもう大丈夫だろう。
でも……私の声にジークは、まだ血の気のない、ぼんやりした視線をこちらに向けて、
「……リオンさま? わたしはいったい……?」
と言ったのだった。
「ごめんなさい。私はリエラよ。ジーク、私がわかる?」
喜びは一転して悲しみが押し寄せる。なんでこんなに悲しくなるんだろう。ジークが意識を取り戻した、それだけで充分な筈なのに。
「リエラさま。……ああ、そうか。そうだった……」
と呟いてジークは目を瞑る。記憶を失った訳ではない様子なのには、ちょっとほっとする。
「……すみません。ちょっと頭がぼうっとしてしまって。リエラさまこそ、お身体は大丈夫ですか? ここはどこです? あれからどれだけ時間が経ったのですか?」
「まだ一日くらいよ。私たち、流されていたところを木こりの人に助けてもらったの。頭の人は、あなたに恩義があるって言ってたわ。枢機卿の兵から助けて貰ったと。だから心配ないわ。ゆっくり傷を治して……」
「ゆっくりなどしていられません。既に何日か経って、いい加減、わたしとリオンさまの不在は怪しまれているでしょう。すぐにでも発たなければ……」
と言って起き上がろうとするけれど、身体に力が入らず、呻いてまた倒れ込んでしまう。
「無理よ! あなた死んでたかも知れないのよ! あなたが……あなたが死んだら、私はどうすればいいの。こんな所まで連れて来て……私を一人にしたら許さないんだから」
ああ、違う、別に怨み言を言いたい訳じゃない。怪我だって私のせいだし、それにただ、私は心配なだけなのに。
でも、この言葉は、下手にジークの怪我を心配するものよりも効いたみたいだ。青ざめたまま、
「そうですね、私がいなくなっては、姫は御一人で道も分からずに行き場を失ってしまう。……申し訳ありません。きっと明日までには回復します」
回復します、ったって、意志の力でどうなるものでもないだろうとは思ったけれど、とにかく体力を取り戻そうと、ジークは大人しく横になって薬湯を飲んでくれたので、私はとりあえず良かったと思う事にした。
そのままジークはうとうとと微睡んでいる。暖炉の火は暖かい。
最初に私を兄と間違えた事は意識していないみたいだ。
容体が落ち着いたようなので、私は少し外の空気を吸いに出た。
(こんなに心配したのは……そうよ、本当に、かれが死んでしまったら、私は路頭に迷うしかないから。ジュードだって、恩人のジークが死んでそれが私のせいだったなんて知ったら、私を売り飛ばそうと思うかも知れない。でも、娼館なんかに売られるくらいなら、死んだ方がまし……)
そう、自分に言い聞かせる。あくまで、ジークが必要としているのは、リオンであってリエラじゃない。大事にされてるから大事に思われてるなんて考えちゃいけない。
『リオンさま?』
あの時の顔が、口調が甦る。現状を飲み込めずに戸惑ってはいたけれど、いつもよりずっと親しみと信頼のある様子だった。長い間二人は一緒にいたのだから、まだ出会って数日の私と違うのは当たり前だけれど、でも。
私はしゃがんで顔を覆った。
今まで、私にとって大事なのは、ゼクスだけだった。ゼクスがいなければ、私は広い世界の事なんか何も知らないまま、日々を生きていくだけの生活を重ねていただろう。ゼクスは私の人生の恩人だ。ゼクスもまた、私の事を、本音で話せるたった一人の人間で、救いなんだと言ってくれた。
それから、母さん。本当に別れ際まで、ただ仕方なく私を育てただけの人だと思っていたのに、そうでなく、娘だと思っていてくれた事が判った。判って良かったと思う。思えば、厳しくもされたけれど、あれは私を真人間に育てようという気持ちからだったのだと知った。母さん、また会えるのかも分からないけれど、でも、知る事が出来て良かったとしみじみ思う。
この二人だけが、私にとって大事な人だった筈なのに、なんで、ジークが私を兄と間違えただけで、私はこんなに落ち込んでいるのかな……。ジークは私を助けてくれた人、二人の次に大事な人ではあるけれど、私を助けたのは、ジークの都合の為でもあるって、解っていた筈なのに。
いくらジークが求めても、私は男になる気はない。実の両親に会ったら、はっきりそう言うつもりだった。双子の王女の存在がやはり邪魔なのならば、一人で街で生きていこうと思ってた。でも……やっぱりそれも寂しい。みんなが望んでいる事を、私は叶えるべきなのだろうか? リエラとしての過去を消し、リオンとして生きる事を?
―――
この時、ジュードが後ろから近づいて来た。
「お嬢さん、よかったな、あの人はだいぶ顔色もよくなってきたみたいだ。何しろ騎士団長なんだから、体力は元々しっかりついてる筈だし……」
そう話しかけてきたけど、私が泣いているのに気が付いて、驚いたようだ。見られたくなかったのに。
「どうした? 気が緩んだのかい? もう心配はないと思うぜ?」
「いえ、その、本当にありがとう。あなたには感謝してもしきれない。昔助けて貰った事なんて、知らん顔も出来たのに。きっと、ジークだって覚えてない……」
「うーん、まあそうかも知れないが、あの人は覚えてなさる気もするね。俺にはどっちだって構わないが、しかしお嬢さんはなんで悲しそうな顔なんだよ? あの人の恋人なんだろう?」
「恋人なんかじゃないよ。それに、ジークは、私に、別の人の身代わりになって欲しいと思っているの」
なんでだか、ついそんな事を打ち明けてしまう。
「そうなのかねえ。そりゃあ俺はあんたらの事情なんて知らんけども、あの人は意識がない間も、あんたの事をずっと心配していたぞ? リエラさまリエラさま、って譫言で……おっと、もしあんたの本名がリエラじゃなくって、あの人の想い人の名前だったら済まない……」
「ううん、リエラは私。ジークは私に、リオンになって欲しいと……」
あっ、しまった。こんな事言っちゃ、事情がばれてしまうじゃない! リオンは王子の名前なんだから、愛称でも、気づいてしまうかも!
思った通り、ジュードは目を見開いて私を見つめた。でも、何もはっきりとは言わないでくれた。
「リオンって、男の名前じゃないか。なんか、色々あるんだろうけど、事情と気持ちは別なものさ。忠誠とかと、私情はさ。俺はとにかくあんたらを助けたいだけだし、何も喋らないから。あの人は、あんたを、リエラを護りたいんだよ。それは絶対嘘じゃない」
「でも……」
涙声の私の頭をジュードは撫でて、
「まあ、今夜はゆっくり傍で休んだらいい。明日になったら状況もよくなっているさ」
と言って立ち去った。