アークリエラさまと呼ばれるのはどうにも長ったらしくて面倒なので、リエラと呼んで欲しいと言ったら、ジークはリエラさまと呼んでくれるようになった。そして何となく嬉しそう。聞けば、兄のアークリオンの事もリオンさまと呼んでいたそうで。
二人は兄弟のように育ったらしい。兄は従兄であるジークを本当の兄のように慕い、ジークも子どもの頃は弟のように思っていたけれど、15の時に実の父と手を切って王族である事を捨ててからは、王太子である兄に忠実な騎士であるよう態度を改めたそうだ。
兄のリオンは最初はそれを寂しがったけれど、主君と臣下になっても、血の繋がりもこれまで築いた絆も消える事はない、と伝えたら納得したそうで……。
会う事もなく殺されてしまった兄さん。どんな人だったんだろう。
「今度ゆっくり、リオン兄さんの話を聞きたいな……ジークが辛くなければだけども」
「いえ、リエラさまには是非リオンさまを知って頂きたいです。たった一人の妹君なのですから」
けれど、今は話し込んでいる場合ではない。
乗合馬車が使えない、となったなら、こっそり馬車を雇わなくてはならない。でも、私たちには何のつてもない。国境まで歩けばひと月はかかるし、その間に追手に見つかる事は間違いない。
途方に暮れていた時、声がかかった。
「あんたたち、この辺の者じゃないね。何の用があってこんな所まで入り込んだんだい?」
最初は追手かと身構えたけど、どうやら手配書を見ていない様子。優しそうなお婆さんの言葉に、私は思い切って、
「あの……私たち、遠い町から来たんですけど、珍しい城下町を散策しているうちに、迷子になってしまって……でももう戻らないと、家に心配をかけてしまいます。この辺で、雇われてくれる馬車はないでしょうか?」
「……ふーん、迷子ねえ。そりゃまた難儀なこったね。いいよ、馬車屋に口きいてやるよ。本当は、よそもんはお断りなんだけどねえ。あんたたちにはなんか事情がありそうだし」
「えっ、じ、事情なんて特には……」
「隠さなくていいよ。年頃の男女が、こんな隠れた裏道に二人きりで迷い込むなんて、きっといい家の坊ちゃん嬢ちゃんが駆け落ちして来て、追手に見つかって迷い込んだ、だろ? どうじゃ、図星じゃろ?」
ドヤ顔で言われても違うんですけど。
でも、ジークが、「丁度良いから話を合わせましょう」と囁いてきたので、私は頷いた。
「ほれやっぱり。なんだか町民にしてはお貴族様育ちっぽいしねえ。ガリア婆の勘はそうそう外れやしないんだよ!」
……私、小間使いとして育ったんですけど。めっちゃ、勘、外れてますけど。
とにかく、それで、渡りに船とばかりに私たちはお婆さんに付いていった。これが、ごろつき風の男だったら警戒しただろうけど、なんだか愉快なお婆さんだと思ったので、怪しむ事を忘れてた。
……知らない人にはついて行ってはいけない、と、つい二日前に、思ったばかりだったというのに。
―――
お婆さんの家に案内されて、馬車屋に掛け合ってくるからお茶でも飲んでなさいと言われ、お婆さんは出て行った。
さっきの騒ぎで喉がからからだ。大喜びでお茶を飲もうとしたらジークが、私よりずっと喉乾いてる筈なのに、
「リエラさま、怪しい物を口になさってはいけません。飲んだふりをしましょう」
と言う。
「え? 怪しい、って、なんで?」
「いえ、勘、というか、用心ですが……突然現れて親切に計らってくれる者など、そう簡単には巡り合えないものです。ましてや、我々は追われる身……あらゆるものを疑ってかからねばなりません。眠り薬でも入っているかも知れません」
「ええ、そんなぁ。あんな親切そうなお婆さんを疑うの??」
「……リエラさまはやはり陛下の御子。信じる事も大切ですが、騙されては元も子もありません。でもまあ、疑うのは私の仕事ですから、リエラさまは好きなように思われて構わないのですよ。けれど、やはりもう少し様子を見ましょう」
「……わかったわ」
ああー、お茶、飲みたい。でも確かに、万が一お婆さんが私たちを城へ売り渡す魂胆ならば、お茶一杯の為に私は人生を棒に振る事になる。
目の前に置かれたカップからなるべく目を逸らして、私は、ジークの勘が外れて、お婆さんが馬車を連れて帰って来ますように、と祈った。
でも、何だか神さまは、一昨日から私の祈りに耳遠くなってらっしゃるようで……。
「どうだい、眠ってるかい、二人とも?」
「しいっ、でかい声出すなよ、ガリア婆!!」
外から聞こえてくる、近づいて来る声。お婆さんと、男の声。ああ、ジークの勘は当たっていた……。
「眠ったふりを、リエラさま。本当に馬車があるのかどうかが重要です」
ジークの声に、私はテーブルに突っ伏し、ジークも同じ体勢をとる。
ああ、なんてこの世は世知辛いのだろう……。
「ようく眠ってるようだね」
「目覚めたら、鎖に繋がれてて驚くだろうな。男も女も上玉でいかにも貴族っぽい。婆の下手な芝居にも気づかず、喜んでついてくるあたり、さぞ世間知らずで苦労知らずなんだろうさ。俺ぁ、そういう奴らには吐き気がするんだ。なに、ちょいと目が覚めた時に男を痛めつけてやれば、女はすぐに身元を吐くだろう。それで、身代金をたんまり頂けるな」
あれれ、やっぱり手配書の事は知らず、駆け落ち貴族カップルと思われているみたい。
でも、お婆さんに裏切られたのはやっぱりちょっとショック。
「あれ? こいつ鬘を被ってやがる……」
私が眠り込んでると思った男が私の肩に手をかけた時、私の鬘がぽろっと落ちた。
「あああ! こいつ、銀の髪の! お城が血眼で探してる、王さま暗殺未遂の女じゃねぇか!」
なんと、愛妾が逃げた、では恰好が悪いからだろうけど、いつの間にか私にはそんな罪状が付けられているとは!
「ええっ! じゃあ、お役人に渡せば、わたしら、たんまりご褒美が頂けるじゃないか!」
「そうだよ! すげぇよ、ガリア婆! お宝だよ!」
「でも、男の方はどうすんだい」
「どうせ仲間なんだろうから、一緒に引き渡せばいいだろ。他の奴に気付かれない内に、縛って馬車に乗せて……」
でも、大喜びしてる彼には悪いけど、その瞬間、ジークはがばっと起き上がって目にもとまらぬ速さで腰の剣を抜き、男に突きつけた。
「大人しく縛られる訳にはいかぬ。さあ、馬車のところまで案内してもらおうか」
「こ、この野郎! 眠ったふりだったのか!」
「美味い話は疑ってかかるのが常道だ」
「おおい! みんな、来てくれ!!」
男の叫びに、突然、同じような感じの悪い男たちが十人ほど押し入ってくる。
「ちょいとちょいと! うちのものを壊さないでおくれよ!」
とお婆さんは叫んだ。乱闘の予感がしたのだろう。
ジークは加勢の男たちを睨み、
「手出しをすれば、この男が死ぬぞ」
と言ったけれど、男たちは、
「そうすれば、その後おまえが死ぬだけだ。降参した方が生き延びられる確率は高いぜ、兄ちゃん」
と嘯く。
―――
結果的には、十数人対ジーク一人は、勝負にもなりませんでした。
敵はすべてのされて、ジークは涼しい顔。
「婆殿。馬車まで案内願いたい」
震えあがってるお婆さんに、ジークは柔らかく言った。