夕方まで私は侍女長にみっちり作法の勉強をさせられた。尤も、何でも知りたがりな私は、まさかそれが自分に必要になる日が来るとは思いもしていなかったけれど、ゼクスから基本的な宮廷作法を教えて貰っていたので、全く無教養な小間使いと思っていた私が色々知っているので、侍女長はかなり驚いていたようだけど。
「まあ。随分物覚えが良いお方で助かりますわ」
と侍女長の機嫌は良くなるけれど、こちらはそれどころではない。
でも、青空は夕暮れに、夜闇へと変わる。簡単な、でも口にした事もないような贅沢な夕餉を頂き、もうすぐ陛下がお見えになると告げられた。ああ、母さんは心配しているかな……。
「とにかく、陛下の仰せのままになさっていれば何も心配はいりません。陛下は随分とあなたさまにご執着のようでいらしたから、優しくして下さる筈です。でも、短気なところもおありだから、ご身分を弁え、逆らったり口答えをされたりしてはいけませんよ」
優しかろうと優しくなかろうと、王さまであろうとなかろうと、会った事もない中年男の妾にされるなんて死んでもお断りなんだけど……。でも、私が嫌がって当てつけに死んだりしたら、母さんが罰されるかも知れない……。
ああ、なんで二晩続きで私の貞操は危険に晒されているのだろう。
まあ、とにかく、物わかりの良い方であると儚い期待をして、私の身の上を説明して、今夜は諦めてくれるよう頼んでみるしかない。ゼクスが言ってたように、私のこの髪が、レイアークの身分の高い者にしか表れない事を、王さまだって勿論知っている筈だから、分かってくれるかも……。
……ん? でも、王さまは、以前から私を見初めていた、と言われた。ならば、私の銀髪の事だってご存知な筈では??
けれど、この時、玄関の方がざわめき、遂に王さまの馬車が到着したと判る。
私は玄関で王さまを出迎える。
「お越し頂き、大変光栄で御座います。わたくしのような者をこのようにお引き立て頂き、感謝の念に堪えませぬ」
背後で侍女長の目が光っているので、取りあえず私は言われた通りに腰を屈めて挨拶する。
「うむ、そう固くならずとも良い。余は長年この日を待っておったのだからな。優しく可愛がってやる故、全て余に任せておくがよい」
……気持ち悪いです。
顔を上げると、今まで、国の行事の時に遠くから豆粒のように見えるだけだった王さまがそこに立っていた。
ゼクスの言っていた通り、太って脂ぎってるおっさんで、好色そうににやけている姿からは、威厳も何も感じ取れない。ゼクスには全く似ていない。兄弟の中で自分だけが母親似なのだとゼクスは言ってたっけ。
「さあ、侍女長、寝所に案内せい」
何を思おうと、強引に寝所へ連れて行かれてしまう。
―――
「よく顔を見せよ。おお、やはり……我が麗しのレティシアに生き写し……。長く待った甲斐があった。遂に余は、レティシアを手に入れる……。しかも若い。アーレンめ、今こそレティシアを奪った恨みを晴らそうぞ……」
「え?」
王さまは、二人きりになった途端、訳の分からない事を言いだした。
「リエラ……いや、アークリエラよ。そなたは何も知らないのだったな。この日が来る事は、17年前から決められていたのだよ」
何という事だ。王さまは私がアークリエラ王女だと知っている! 知っていて、こんな所に囲い込み、友好国の秘密の王女を妾にすることを、17年も企んでいた?!
「ど、どういう事でございますか? アークリエラとは?」
私の声は震える。なら、本当の身分を訴えて諦めて貰うなんて作戦は絶望的じゃないか!
「震えておるのか、愛い奴め。ああ、恨みを晴らすなどと言うたから怯えているのか。案ずるな、ただそなたを我が物にするというだけの事だ。手荒にはせぬよ……たっぷりと可愛がってやるから……」
「う、恨み、ってなんですの?」
ああ気持ち悪いと思いつつ、私は運ばれていたお酒を注ぎながら尋ねる。こうなれば、話を長引かせて酔い潰すとか……。この執着っぷりでは難しそうではあるけれども。
「うむ。ではまずは余の青春の話を聞かせてやろう。何も知らずにいるのも一興かとも思ったが、真相を知って父を恨みながら、というのも面白いかも知れぬ」
そんな事を言って、王さまは滔々と語った……壮絶な逆恨みの過去を。
―――
20数年前……レイアークは文化国家として知られ、各国の王族貴族が留学に訪れる事も多かった。
この、レリウス王……当時のトゥルースの王太子も、流行に従い、レイアークに留学していた。そしてそこで、レイアークの第二王子、同じ歳のアーレンと親友になった。
レイアークには、その美貌が他国にまで響く美しい公爵令嬢がいた。麗しのレティシア……彼女はアーレン王子の婚約者で、二人は子どもの頃から深い絆で結ばれていた。
そんなレティシアにレリウス王子は横恋慕をした。王妃にするから一緒にトゥルースに来て欲しいと求婚した。しかし、既にアーレン王子と婚約していた上に彼を愛していたレティシアはお断りした……。
この世でレティシアを最も愛しているのは自分なのに……何故アーレンなんか……ちょっと見た目が良くて頭も良くて腕も立って性格もいいだけの第二王子なんかにレティシアは心を奪われているのか……レティシアを騙しているアーレンが憎い……。
―――
はい、完全に、振られ男の逆恨み話でした。
「余の王妃になっていれば、あの後、継承問題や何やらで荒れたレイアークの王妃となって苦労などせずに済んだものを、レティシアも今思えば愚かな選択をしたものよ。それにアーレン……友と思っておったのに、余の気持ちを知っても譲らぬとは、とんだ食わせ者であった」
いやいや、いくら友達だからって、頼まれてはいどうぞ、って愛する婚約者を譲る訳ないでしょう。奪った……って、あんたが奪おうとしてただけの話じゃん。
聞くにつれ、王さまへの嫌悪感は募るばかり。
「だが、仕方なく国へ戻った余に、祝福されて結ばれた憎き二人に復讐してやる機会が訪れたのだ。あの愚かな馬鹿正直なアーレンは、あんな事をしておいて、まだ余の友情が残っているなどと信じていた」
「復讐の機会、とは?」
「そなただ、アークリエラ! 内乱勃発寸前の中、レティシアは双子を出産した。だが、レイアークの風習では、双子は不吉な存在。不吉を厭う連中は、王子さえいればよいと、そなたを抹殺しようとしたのだそうだ。それで、アーレンとレティシアは、そなたを安全な国外に逃がし、どこか貴族家の養女として匿って欲しいと、余を頼ってきたのだ」
私は強い衝撃を受けた。
両親は私を捨てたのではなかった……。私の安全の為に、友人と信じた王に、大切に育ててくれと託した……。
「な、ならば何故、わたくしは小間使いとして育ったのでしょうか?」
「余は、美しい赤子のそなたを見て、これは大人になればレティシアにそっくりに育つだろうと確信した。貴族の養女にすれば、レイアークにも消息は伝わるし、そうなれば、大人になったそなたを余の愛妾にするのは憚られる。だから、アークリエラという存在を殺したのだ。大切にしたが虚弱な体質で病死したと……アーレン達は疑う事なく、嘆きと感謝に溢れた書状を送ってきた」
「なんてこと……」
「宝石も石ころの山に隠せば光を放って見つかる事もあるまい。余がそなたに求めるのは、麗しのレティシアの身代わりであって、知性も教養も求めぬ。だから、適当な小間使いに託したのだ。勿論、アーレンの娘が辛い目に遭って育つという事も、余の傷心を慰めた。だが、これからはそなたには何でも買ってやろう。もう、そなたはアーレンの娘ではなく、余の愛妾なのだからな」
こ、こいつ屑過ぎる……これが、この国の王だなんて……。
「酷い……我が父の信頼を裏切ってそんな事を……お心は少しも痛まれないのですか!」
「何を言う。勝手に信頼して来た方が悪いのだ。余は、17年も待ったのだぞ!未成人に手を付ける趣味はないからな。だがようやく願いが叶う。さあ、アークリエラ、余の物になるのだ」
「嫌だ!!」
私は扉まで逃げたけれど、鍵を開ける前に王さまに捕まってしまう。
「逆らうな。さすれば、そなたにも快楽が授けられるだろう」
こ、この最悪なおっさんから?! 冗談にしても笑えない。でも、太った中年男はそれなりに力は強い。私は抱きすくめられ、無理やり寝台に引っ張っていかれる。
「いやだぁぁぁ!!!」
だけどこの時、下の階が突然騒がしくなった。
「なりません! いくら殿下でも、御父君のお邪魔は……!!」
「うるさい! こんなの、俺は認められない!! どこだ、リエラ?!」
「ゼクス……!!」
ゼクスの声だ。ああ、助けに来てくれた……!
「ゼクス、だと? 何故そなたがエルーゼクスを知っておる? それにしても奴め、押しかけて来るとは何と礼儀のなっていない……!!」
「ゼクス! ゼクス! 私はここよ!! 助けて!!」
私は必死で叫ぶ。
なんか大騒ぎになっているけれど、流石に王さまの配下も、王子に対して力ずくで止める……という訳にもいかないのだろう。
「リエラ!!」
私の声を聞きつけたゼクスは、扉を叩き壊して入って来た!!