ゼクス……エルーゼクス第三王子と、裏庭で偶然に出会ったのは、五歳の時。同じ年齢のゼクスは、その当時から既に、『はみ出し者王子』として王宮で持て余されていた。身分と年齢相応の振る舞いが出来ない我儘王子……兄上様たちは同じ頃にはきちんとご挨拶も出来ていたのに、暴言を吐き、誰の言う事も聞かない可愛げのない王子、と。そしてしょっちゅう部屋を抜け出しては、城内で捜索されていた。
『なんだおまえ、一人でこそこそ何やってんだよ』
初対面の第一声を、はっきり覚えてる。確かに、苛々した表情で可愛げなどなかった。
『あの……お花を摘んでいたんです。厨房に飾るのに摘んでこいと言われて』
誰だか判らないけれど、偉い坊ちゃまには違いないと思って私が答えると、
『もう夕暮れなのに、その籠にはほとんど花なんかないじゃないか』
と言われる。幼い私は俯いて、
『今の季節にはお花はあまり咲いてませんから……いやがらせなんです。あ、いつもの事なんで別にかまわないんですけど』
『……おれが手伝ってやる』
そして、少し寒い風が吹く中、ゼクスは私と並んで名もない花を摘んでくれた。
『おまえの名前は?』
『リエラ……』
『おれは、ゼクス』
『ゼクス……』
実はその時、私はゼクスという愛称が、エルーゼクス王子さまと頭の中で結びつかなかっただけなんだけれど、ゼクスの方では、王子と知っても驚かない小間使いに感動を覚えたらしい。
『おれのこと、ゼクスって呼んでくれるか? 友達になってくれるか?』
『私でよければ……』
『やった! おれ、友達いないんだよ。そりゃ、周りに貴族の子どもはいるけど、みんなおれの機嫌をとりたいだけなんだ。なあ、俺の事、ゼクスさまとか絶対言うなよ。友達なんだから!』
『はい、ゼクス』
『敬語もなしだ!』
『うん、ゼクス』
こうして、勘違いから始まった友情だけど、私はゼクスが王宮で孤立しているのを知って、身分なんか関係なしに支えになりたいと思ったのだ。
私がゼクスの支えになるには、私が弱くて周囲の意地悪に負けていてはいけない。そう思って、私は強くなった。そしたら、生きるのが楽しくなった。
今でも、秘密の幼馴染として、ゼクスと私は時々、誰も来ない古ぼけた廃聖堂で会っている。ゼクスは、私に会うのは何よりの息抜きだと言ってくれる。私は主に、ゼクスに勉強を教えて貰っている。色々な事を知るのはとても楽しい。ただ小間使いの仕事をしているだけでは味わえない、世界の広がりを、ゼクスは私に教えてくれた。
ゼクスは最近、たくさん舞い込んでくる縁談に頭を抱えている。ゼクスが結婚してしまったら、もう今までみたいには逢えなくなるのだと思うと寂しいけれど、それまでは、傍に居て今まで通り支えになってあげるつもりなのだ。だから、突然他の国に行ってしまうなんて出来ない。
―――
ここまで考えて、ふと私の足が止まる。
もし、私が本当に王女さまなら……私はゼクスと結婚できるのでは? 小間使いには雲の上の話でも、王女さまなら……そうしたら、ずうっとゼクスと一緒にいられる。勿論、ゼクスが望めば、だけども。
くるりと振り向いた私に、お待ちくださいと懇願していた騎士さまは嬉しそう。
「もし……その話が本当で、私が王女として国へ帰れば……この国の王子さまに嫁ぐ事は出来ますか?」
「えっ」
何故か、騎士さまの顔が強張る。駄目なのか。もう婚約者がいるとか? そんなら願い下げだ。結婚相手は自分で選びたい。
「結婚相手は、選べないのですか」
「い、いえ、そんな事は御座いません。婚約者候補は幾人かいらっしゃいますが……」
「どうせ私はいなかった身なんですから、他国へ嫁いだって構わないのでは?」
「申し訳ございません。王女殿下にはずっと我が国でお過ごし頂きたいのです。何故なら、数日前……兄君のアークリオン殿下が、敵対勢力によって暗殺されてしまったからでございます」
「え……」
今まで存在すら知らなかった兄でも、殺されたと聞けばやはり胸は痛む。
騎士さまは余程忠誠心が強いのか、うっすら涙ぐんでいる。
「名君の器間違いなしと将来を嘱望されていましたのに……」
「ちょっと待って下さい。他に兄弟はいないんですか?」
「おられません。もう、我が国王陛下ご夫妻には、アークリエラさましか御子はおられないのです」
「じゃ、じゃあ、まさか、私に次期女王になれ、と?!」
これにはさすがにびっくりした。そんなに責任重大だったとは。でも、今まで小間使いとして生きて来た王女が、いきなり皆に認められる訳ないと思うんだけど。
けれど、騎士さまが言い出したことは、ずっと私の想像を超えていた。
「いえ……王太子殿下の死は伏せられていますし、貴女さまの存在は、ごく僅かな者しか知りません。貴女さまを隠していたと知れれば、国王陛下のお立場は一層悪くなるでしょう……」
「え、じゃあ、私が帰る意味はないのでは?」
「いいえ。幸い、王女殿下はアークリオン殿下に生き写し。体格も、身長がほぼ同じなので、詰め物やその、押えたりすれば、充分誤魔化せそうだと……」
「? 何が仰りたいの?」
「つまり、アークリオン殿下になって頂きたいのです! 小間使いは辞めて、王太子殿下になって欲しいのです! でなければ、王家の、国の行く末は絶望的なのです! 兄君の遺志を継いで頂きたいのです! 魂を分け合った双子同士……お受け下さいますね?」
「……つまり、私に今後ずっと、男として生きろと?」
「そうなりますね」
―――
そして、話は冒頭へ返る。
私は、水の入った手桶を向こうへ置いて来た事を後悔する。なにが、『そうなりますね』だ。ひとの人生をなんだと思ってるんだ。やっぱり一桶分冷水をぶっかけたい!
私はきっぱりと言い放った。
「は?! 冗談じゃないわ。お帰り下さい!」
―――
お待ちください、もう少し話をお聞きください、と縋るような声を出す騎士さまを置き去りに、私は水桶を持って厨房へ戻った。
流石に追っては来ない。何もかも秘密のままに、あの人は私を連れ去りたかったのだから。
小間使いがある日一人行方不明になった所で、大した騒ぎにもなるまい、とたかを括っていたのだろう。それも腹立たしい。
「遅くなってごめんなさい!」
「ご苦労、リエラ。もう上がっていいよ」
どすんと水桶を床に置くと、料理長が労いの言葉をくれる。料理長は気の良いひとで、数少ない私の理解者だ。四十代で家庭持ちだけど、会った事もない実の父親――仮に王様だとしても――よりもずっと、父のように思える存在。
明日には、私は17歳になる。成人だ。今までは、不仲な育ての母さんと相部屋だったけど、成人になれば狭くても個室が貰える。それを楽しみに、別に成人になる事自体は祝う予定もない母子、というのもがっかりものだけど、私から祝ってくれなんて言えないし、とにかく馬が合わないものは仕方がない。
私たちはずっと、城内の、使用人の為の集合住居の一室で二人で暮らして来た。私を引き取る前、母さんには、夫と、その間に生まれた赤ちゃんがいたらしい。母さんに直接なんて聞き辛くて聞けなかったけれど、周囲から聞いた話では、赤ちゃんが病で死んでしまい、どういう経緯かは判らないけど、母さんは私を育てる事になった。でも、夫とは段々不仲になり、二人は別れ、夫は城勤めを辞めて街で働いているらしい。元夫の事を、母さんは一度も私に話した事はないけれど。もし二人が別れなければ、私はその人を父さんと呼び、もう少し温かい家庭があったのだろうか?
部屋に戻ると、最後の夜なのに母さんはもう寝ていた。
寝着に着替えようとしていた時、こつんと窓に何か当たった。
(まさかまたあの騎士じゃないでしょうね……)
むかっとして窓から外を見ると、この、使用人の為の共同生活小屋の裏庭に、赤毛の若者が立っていた。ゼクス……?! 王子さまなのにこんな夜に部屋を抜け出して来たの?