目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第21話

 どれほどの時間が経っただろうか。石となり砕けた蛇の体は、高い高い塔の上から落ちる間に砂粒となり、街全体へと飛んでいった。もう街の住民を石に変える呪いは存在しない。その実感が湧いてきたのは、いつの間にか吹き荒れる風が穏やかになった頃だった。

「……終わった、のか」

「ええ。禍々しい力は感じられません。あなたは無事、呪いを打ち倒したのです」

 ぽつりと呟いたサイに、ラクシュミーが穏やかな声とともに彼を称賛する。与えられていた加護は消えてしまったのか、彼は壁に背を預けたまま疲れ切った息を吐いていた。

「……お見事でした。呪いを己の呪いで滅ぼすとは」

 宝石の右目でサイを見つめてカラスが鳴く。数え切れない世代の魔術師たちを苦しめてきた呪いが消えたにもかかわらず、カラスの声には喜び以外の感情が見え隠れしている。くるりと塔の中心部へと振り返った先には、砕けてしまったオーディンの鎧があった。

 神魔大戦が終結してから今日に至るまでの途方もない年月の中で、鎧は呪いを封じ込め続けてきた。かつてオーディンが身に着け、呪いの根源となった魔王と戦ったときの強い意志を宿したような鎧は、力を増していく呪いに破壊され、見る影もない。今では神の力すらも宿らない、ただの黄金の欠片となってしまっていた。

「しかし……鎧は砕けてしまった。もうこの世界のどこにも、オーディン様の力は存在しなくなってしまいました」

 項垂れるカラスを横目に、サイは鎧だったものの山を見る。そして、腕を組んで考え始めた。

(神の秘宝が鎧なわけだが、それが壊れちまったとなると面倒だな……ただでさえ相手はロキとかいう神なんだ、戦力が減るのは避けたかったが)

 大戦を生き残った狡猾な神、ロキ。彼と戦うために神々の秘宝を探さねばならないサイとリヤにとって、オーディンの鎧が力を失ったことは痛手だった。せめて鎧の欠片でも持って帰れはしないかと彼は立ち上がり、部屋の中心へと歩く。

「……ん?」

 手頃な大きさの破片を探していたサイだったが、ふと何かに気付く。鎧の破片が積み上がっている山の中に、違うものが混じっているのだ。

 ガラガラと破片を掻き分け、サイが取り出したのは鎧と同じ黄金でできたブレスレットだった。指の先ほどの小さな石が連なっており、それぞれに何かの言語らしき文字が彫り込まれているそれは、鎧の中に入っていたのかもしれない。片手でブレスレットを摘まみ、じっと観察してサイは閃く。砕けて本来の役目を果たせない鎧よりも、装飾品でもあるこれのほうが高値で売れるかもしれない、と。

「おい、これ。もらうぞ」

「なっ……! それは!」

 サイの手にあるブレスレットに気付いたカラスが勢いよく飛んでくる。そのまま彼からブレスレットを奪うと、天井近くまで上昇する。咄嗟にサイが壁を登って取り返そうとするが、ラクシュミーの加護が消えた体では届かなかった。

「何すんだよ」

「この品物からはオーディン様の力を感じます。そう簡単に渡すわけにはいきません!」

「助けてやったんだぞ。恩ってものを知らないのか」

「感謝はしています。しかしあなたは盗人だ! あなたの目には欲望がある。オーディン様の鎧も、金目の物として見ていたのでしょう!」

 カラスの言葉にサイは頭が熱くなるのを感じた。確かに彼は盗賊だが、呪いを倒すために危険な目に遭い、危うく塔の最上階から落ちそうになったのだ。その恩義を忘れたかのように敵意を剥き出しにするカラスに、彼は思わず叫び返す。

「あのなあ! お前はなんの見返りもなしに俺が協力すると思ったのか? 悪いが俺はそこまでお人好しじゃない。然るべき報酬はいただいていくべきだ」

「その欲深い態度……! ますますこの秘宝を渡すわけにはいかない!」

 カラスが空中にブレスレットを放り投げ、器用に輪の中へ頭を通す。さながら首から黄金のネックレスを身に着けているような姿となったカラスが、部屋の中心で羽ばたく。彼は秘宝を手放すつもりはないようだった。

「カア……すっかり怒っちゃったよ!」

 リヤの側にいたカラスが呆れたように呟く。言い争いを続けるサイたちは今にもお互いに飛びかかりそうなほど険悪な雰囲気になっていた。サイはナイフを構え、カラスはより高く、素早く部屋の中を飛び回っている。このままでは折角呪いを倒したというのに新たな戦いが始まってしまうと、リヤはオーディンの腕輪を持つカラスへ向けて口を開いた。

「私たち、どうしてもそのブレスレットが必要なの」

「……ええ、知っていますよ」

「お金のためじゃないわ。もっと大事なことのためよ」

 訝しげなまなざしを向けてくるカラスに、彼女は旅をする理由を話し始める。故郷で起きたこと、ラクシュミーの指輪から語られた世界のこと。そして、ロキを倒すために神々の力が必要なこと。風の吹き込まなくなった部屋の中で、リヤの声は静かに響き渡る。まるで、先ほどまで荒々しく吹いていた風さえも彼女の言葉に耳を傾けているようだった。

 リヤの話を聞き終えたカラスは、暫くの間悩むようにその場で羽ばたいていた。彼女の言葉に嘘がないことは、その透き通る声が証明している。小さな声でひと鳴きして、カラスは粉々の鎧へと目を向けた。

「あなたたちがこの街へ来た理由は既に分かっています。しかし、まさかロキが自ら接触していたとは。……事情はよく分かりました」

「……ん?」

(あのカラス、何か変だ。俺たちのことをずっと前から知ってるみたいじゃないか)

 カラスの言葉にサイは何かが引っかかるような気がした。自分たちとカラスは初対面であり、街の中を飛んでいる鳥は伝書鳩ばかりだった。リヤがブレスレットを求めたときも、カラスは“知っている”と答えたがあれはひょっとして、旅の理由を知っているという意味なのではないか。一体いつカラスたちがこちらを認識し、街を訪れた理由まで知り得たのか、サイの中で疑問が大きくなる。

「なあ――」

「じゃあ、こうするのはどうかしら」

 何故こちらの事情を知っているのか、サイがそう尋ねようとするよりも先にリヤがカラスに話しかけていた。彼の声は届かなかったのか、カラスはリヤへと向き直っている。それを見て、サイはそれきり疑問をぶつけることはやめてしまった。今優先すべきはあのブレスレットを手に入れることであり、きっとリヤが解決してくれるだろうと思ったからだ。

「彼じゃなくて、私に預けてくれないかしら。盗人には渡したくないのよね?」

「……いいでしょう」

 リヤの真剣な目つきにカラスはとうとう折れたようだった。彼女の目の前まで降りてくると、彼は頭を下げてブレスレットを差し出す。

「勇敢で、誠実な人間よ。あなたにならば、オーディン様の秘宝を授けましょう」

「ありがとう、カラスさん」

 黄金のブレスレットを手に取り、リヤは自らの左腕へと通す。それぞれの石はとても小さいが、腕に通すとしっかりと重たく、それでいてしゃらしゃらと軽やかな音を立てる、不可思議なブレスレットを見つめる彼女の肩へと止まり、カラスが穏やかな声で鳴く。秘宝の新たな持ち主を歓迎するような歌声に、もう1羽のカラスも共鳴し始めた。

「わあ……!」

 塔の中に響く歌声に、ブレスレットの石が反応する。彫り込まれた文字が淡い緑色の光を放ち始めたのだ。そして、光はカラスたちが持つ宝石の瞳からも放たれる。淡くも美しい光が部屋の中を照らす幻想的な光景の中で、歌声は街全体へと広がっていった。

「これが魔法ってやつか」

「美しい……オーディンの力が街全体の魔力と共鳴しています」

 オーディンの塔を中心として、街を覆う淡い緑のヴェールにサイは腕を組んで感心する。指輪越しに景色を見ているラクシュミーも、広がる魔力とその美しさに見惚れているようだった。


「――そのブレスレットに強く願えば、オーディン様と同じ魔法が使えるでしょう」

「もし必要なときには、僕らを呼ぶこともできるよ! できるよ!」

 歌を終えたカラスたちがリヤに秘宝の力を教えている。すっかり蚊帳の外になっていたサイは暫く腕を組んだまま彼らが会話を続けているのを眺めていた。

「あんたら、リヤに呼ばれない間はどうするんだ?」

「これまでと変わらず、街を守ります。それが役目ですから」

「ここが僕たちの家だからね!」

「へえ。ま、呪いも消えたし少しぐらい休んでもいいんじゃないか?」

「そうもいきません。……さあ、出口まで送ります」

 カラスたちに促され、サイたちは部屋の出入り口へと向かう。先ほどの戦いの衝撃か、扉はいつの間にか壊れて役目を果たさなくなっていた。

 半分ほどしか残っていない、扉というよりも木の板になってしまったそれを押しのけて階段を降りる。塔の門番である彼らと一緒にいると、迷宮のように感じられた塔が真っ直ぐな道のように感じられた。

「さあ、着きました。我々はここまでです。あとは迎えの者に降ろしてもらうといいでしょう」

「迎えって? ……あっ! 見て、サイ。あそこにいるの、長とシラだわ!」

 門を潜り、リヤが指さした先の地上には長老とシラが立っている。2人はリヤたちに気付くと軽く手を掲げ、にっこりと笑みを浮かべた。何か魔法を唱えるような素振りの直後、彼女たちの体はふわりと宙に浮かび、そして地上へと降りていく。途中でリヤが背後を振り返るが、そこにはもうカラスの姿は見えなかった。

「おぬしら、塔の中で何をしてきたんじゃ?」

「最上階から巨大な蛇が落ちるのを見た。あれは一体なんだ? 街全体に広がったあの魔力はお前たちが放ったのか?」

「オーディン様の秘宝はどうなったんじゃ。リヤ殿のブレスレットはどこで手に入れたのじゃ」

 地上に降り立つや否や、長とシラは2人に詰め寄り、次々に質問を投げかける。知識欲を剥き出しにして迫ってくる2人に呆れつつ、ぐいと押しのけたのはサイだった。

「おい、おい! 質問が多すぎる! 1つずつ説明してやるから落ち着けよ」

「おぉ、すまぬ……」

「未知の事柄に出会うと、徹底的に調べたくなってしまう。魔術師のサガだな」

「はあ……」

 一歩退いたものの、気を抜けばすぐにでも先ほどのように詰め寄ってきそうな彼らに、サイとリヤは塔であったことを話し始めた。

「ふむ、塔の謎解きは昔と変わっておらんようじゃの」

「オーディン様の鎧が壊れてしまったとは……。しかしそのブレスレットが新たな秘宝となったのだな。あとでじっくり見せてはくれないか」

「刻まれておる文字は……ルーン文字じゃな。なるほど、オーディン様が用いていた文字じゃ」

 彼らの話に相槌を打ち、時には疑問を投げかけていた長とシラだったが、不意に塔を見上げる。雲に隠れてしまい今は見えないが、目線は塔の最上階へと向けられていた。魔術師たちの価値観を変えてしまうほどに深く根を張り、彼らを苦しめてきた呪いが消えたことを噛み締めるように雲の向こう側を見つめながら、長がぽつりと呟いた。

「おぬしらは、この街を救った恩人じゃ。きっと、フギン様とムニン様もお喜びじゃろう」

「フギン様、ムニン様? 偉い魔術師の人かしら」

「いいや。違う」

 リヤの疑問に答えたのはシラだった。彼は初めて会ったときよりも穏やかになった声で、長が告げた名前を己の口から紡ぐ。

「フギン様とムニン様は、オーディン様の使いである、2羽のカラスだ」

「えっ……!」

「おい、まさか……」

 驚くサイたちの耳に、遙か遠くでカラスが鳴く声が響いた。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?