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第19話

 知恵ある者だけが登ることを許されたオーディンの塔の頂上にサイたちはいた。塔に入り、試練を受ける者を監視しているというカラスに導かれた先の部屋で、黄金の鎧がガタガタと激しく揺れている。繋ぎ目から漏れ出る黒い煙のようなものは、少しずつ大きく、そして濃くなっていく。

「こいつがその呪いってやつか……!」

 揺れる鎧の表面に亀裂が走り、煙が漏れ始める。腕で顔を覆い、吹き荒れる暴風から身を守りながら、サイは肩に止まっていたカラスへと尋ねた。

「ええ。ですが、これは……呪いの力が、増しています……!」

「どうしよう! どうしよう! オーディン様の鎧じゃもう、呪いを抑えられない!」

 慌てた様子のカラスたちが叫ぶ。鎧に閉じ込められている状態でさえ、呪いは街の人々を蝕んでいた。もしも鎧が完全に破壊され、呪いを封じるものがなくなればどうなってしまうのか。それを想像してしまったのか、カラスたちの声は震えている。一方でサイは別の意味での焦りを抱いていた。

(鎧が壊れたら秘宝はどうなるんだ……! あんな黄金の塊、壊れたとしても一応価値はありそうだが、原型があるかないかじゃ大違いだ)

「こんな状況で何を考えているのですか!」

 今にも砕けそうになっている鎧を見つめるサイの頭にラクシュミーの声が響く。サイからすれば鎧は神の秘宝である以前に、黄金の塊という垂涎もののお宝だった。それをまるごと手に入るチャンスが失われようとしていることに焦る彼を、ラクシュミーが叱らないわけがなかった。

「あの鎧が破壊されればどうなるか、私にも分かりません。世界中に石化の呪いが広がるかもしれないのですよ!」

(だったら協力しろ。リヤの屋敷で俺に力を貸しただろう、また力を貸せ)

 ビシリ、と鎧の胸元に巨大な亀裂が走る。水で満たされた袋にナイフを突き立てるように、中身が勢いよく溢れ出した。

 隣でリヤが苦しげに呻く。左目が宝石のカラスが、彼女を守るように前へと躍り出た。

「もう保たないよ! お願い! お願い! 君たちにかかってる!」

「ッ……! サイ、やるしかないわ! 私たちでこの街を救うのよ!」

「分かってるよ……!」

 サイが指輪へと意識を集中させると、部屋の中を渦巻いていた黒い煙も、飛び交うカラスも一瞬だけ動きを止める。かつてロキの魔の手から仲間を救ったときと同じように世界は彼を残して動きを止め、目映い光が視界を包んだ。

「一時的にではありますが、私の加護を与えます」

 ぱっ、と蓮華が花開き、その中にサイは女神の姿を見る。蓮華に乗った女神――ラクシュミーが、サイの指に嵌められた指輪へと手を伸ばす。

「邪悪を祓い、身を強くする力を授けました。しかし、油断は禁物ですよ」

 真剣な表情のラクシュミーに、サイは無言で頷くことで答えた。それを見届けると同時にラクシュミーは姿を消し、世界は動き始める。一瞬の合間に起きた出来事だったはずが、カラスたちはサイのほうを見て驚いたように鳴いた。

「それがラクシュミー殿のお力ですか。なるほど、これならば……」

「あなたたち、ラクシュミー様が分かるの?」

「うん! 分かるよ! 分かるよ! 僕らはラクシュミー様を知ってるよ!」

 目を丸くするリヤに、活発な声のカラスが答える。彼らは一体何者なのか疑問を抱いたリヤだったが、突如として部屋に響き渡った音に思考を遮られてしまった。音の発生源は部屋の中央であり、聞こえてきたのは何かが砕けるような金属音。何が起きたのか、彼女はすぐに理解した。

「見て! 鎧が……!」

 バラバラに砕けた鎧の上で煙が蠢いている。自身を閉じ込めていた檻を破壊した呪いは、少しずつその場で形を変え始めた。禍々しい煙がうねり、ずるりずるりと姿を作っていく。やがて象られたのは、巨大な蛇だった。

 漆黒の蛇がカラスを、サイたちを睨み付ける。オーディンの鎧を溶かしたような黄金の目玉に異様な気配を感じたサイよりも僅かに早く、カラスがけたたましい声で鳴いた。

「その目から放たれる光は危険です! あれは呪いそのもの、当たれば一瞬で石になってしまう!」

「なっ……! リヤ、お前はそっちのカラスと一緒にできるだけ下がってろ。俺が引き付ける!」 カラスの警告にサイが意識を向けた瞬間、蛇の目から光が迸る。一直線に自身を狙う光に気付いた彼は咄嗟に身を躱し、リヤたちから離れるように走り出す。蛇はラクシュミーの指輪を持ち、加護を受けている彼を真っ先に始末するつもりなのか、巨大な体を動かして追いかけ始めた。

 蛇はサイなどひと飲みにしてしまいそうなほどに大きい。巻き付かれれば逃げ出す術はないだろう。サイもそれを理解しており、ラクシュミーから与えられた力を最大限に利用して逃げ回るつもりだった。

(なるほど、普段よりもかなり動きやすい……これなら金持ちの屋敷も簡単に忍び込めるな)

 勢いを付けて壁へ飛びつき、僅かな凹凸に爪先を引っ掛ける。両手を伸ばして窪みに指を掛ければ簡単に壁を登ることができた。普段であれば道具を用いたり仲間と協力したりしなければできないような動きを簡単にできてしまえることに感動しながら、サイは蛇の頭上を通り抜ける。彼を追いかける蛇は、獲物を逃すまいと首をぐいと傾けた。

「カラスさん、あの呪いはどうやったら倒せるの!?」

 蛇を挟んだ向こう側ではリヤが頭を悩ませていた。サイが蛇の注意を引いている間に、彼女はなんとか呪いを打ち倒す方法はないかと探しているのだ。

「そうだな、そうだな……。あの呪いは、今蛇の姿になってるよ! とっても大きいよ!」

 リヤを守るように飛びながら、カラスもまた方法を模索しているようだった。彼らにとって、鎧が破壊され呪いが姿を現すなど想定外の事態であり、長い間塔に住んでいたとしてもすぐには策を見出せない。

「見て! 見て! とっても重そう! きっと、今なら触れるよ!」

「触れる……? そうだわ、煙は触っても感触がないけれど、あの姿なら……!」

 リヤがはっと顔を上げる。あの蛇は自分を倒す可能性のあるサイを始末するために呪いが実体を持った存在だ。つまり、石を投げたり鋭利な刃物で貫いたりすれば傷を負う。そしてここは宙に浮かぶ塔の最上階。地上に落ちればひとたまりもないだろう。

「あの蛇をなんとかして塔から落とせば倒せるはずよ。カラスさん、どうかしら」

「カア、カア! 名案だね! でも、どうやって落とすの?」

「方法ならあるわ。あれだけ大きな蛇だもの、ぶつかれば壁なんて壊れちゃうわ」

 リヤはカラスへ策を伝える。左目をきらりと光らせ、カラスはこくりと頷き、少しだけ長く鳴いた。その声は今も蛇から逃げているサイの側にいる片割れのカラスへと届き、彼もまた同じ声で鳴き返した。

「なんだ、今の声」

「あちらにいるお嬢さんからの伝言です。……呪いを倒せるかもしれない策を見つけた、と」

「へえ。やるな」

 蛇の尾がサイ目掛けて振り上げられる。ラクシュミーによって強化された身体能力で攻撃を躱した彼に、カラスは伝えられた作戦を伝えた。

「なるほどな。こいつの体当たりで壁を壊して、そのまま突き落としてやればいいのか」

「しかし、可能でしょうか? あなたまで落ちてしまうかもしれません」

「はっ。舐められたものだな」

 心配そうに尋ねてくるカラスの前で、蛇がぎろりと目を輝かせる。魔術師を少しずつ蝕んでいた呪いを更に強力にした光がサイを射貫こうとするが、既にそこに彼の姿はない。床を蹴って跳躍したサイの顔は、不適な笑みを浮かべていた。

「俺は元々身軽なほうなんだ。あんたは大人しくそこで見てな」

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