「また謎解きの部屋? いつになったら最上階に行けるのかしら……」
扉を開ける気力もないのか、リヤが落胆の声を漏らした。その隣に立っているサイは、懐から小ぶりのオレンジを取り出すと器用にナイフで皮を剥き始める。彼の手付きはどこか苛立ちが混じっており、皮が所々残ったままのオレンジを乱暴に囓る勢いで果汁が周囲に飛び散った。
「ちょっと! 何してるの!?」
「何って、腹ごしらえだよ」
扉の右側に立っていたカラスの像に、果汁の飛沫が落ちる。足元と台座が汚れた像を見て、リヤが顔を顰めた。彼女はサイの無礼に不快感を示していたが、彼は気にも留めずにオレンジを頬張り、手についた汁を振り払う。カラスの足に降り注ぐ果汁が、石の表面に染み込んでいった。
「神聖な場所でこんなこと……無礼だわ!」
「仕方ないだろ。腹が減ったんだから」
知らん顔で扉を開き、サイは部屋の中へと進んでいく。次の部屋はどこか見覚えのある風景が広がっていた。部屋の中心には大きな木があり、側には井戸がある。土と草の敷き詰められた床の上には石でできた動物が置かれている。――まるで、最初に訪れた部屋のようだった。
「最初の部屋に戻ってきた……わけじゃ、ないみたいね」
サイに続いて部屋に入ったリヤが、入り口近くの壁を指さした。そこには“真実を見つめよ”と書かれている。しかし、日差しを取り入れる窓の位置も、水で満たされた池も、最初の部屋と変わりがないように見える。一体どういうことなのかと疑問に思いながら、2人は探索を開始した。
「真実って、どういうことかしら。石像の目線を辿るとか?」
「それにしては像の数が多すぎるし、見ている場所もばらばらだな」
草を掻き分け、石像の顔をじっと見つめて回りながらサイは呟いた。カエルの石像も、ウサギの石像も、つい先ほどまで生きていたのではないかと思うほど自然な動きのまま止まっている。それらを注意深く観察しながら歩く彼の足は、迷うことなくとある場所へと向かっていた。
「……やっぱりな」
大木の枝に、数羽の鳥が止まっている。囀っているのか首を天井へと向けている小鳥は細い枝に並んでいて、その近くには別の鳥がお互いに羽繕いをしていた。どれも平和そのものであり、石像でなければ可愛らしい鳴き声が聞こえていたのだろう。
木を見上げ、サイは確信した。秘宝へ至るための謎の答えはこれなのだと。
「おい、お前ら。もう分かったぞ」
「サイ? どうしたの?」
リヤが不思議そうな顔をしながら大木へと近付く。彼の目線を追いかけると、葉に隠れて見えにくい位置に2羽のカラスがこちらを見つめていた。
「カラス……?」
「そうだ。足を見てみろ……あれはさっき俺がわざと飛ばしたオレンジの汁だ」
サイが指をさしたカラスの足には、彼の言うとおり染みがついている。それが何を意味するのか理解したリヤが、信じられないといった様子でサイの顔を見た。彼女の思考は困惑で埋め尽くされる。あの石像は自分たちを見張るために追いかけてきているのだ。
思えば、塔の部屋には全てカラスの像があった。あれらは全て、塔に挑む者を監視していたのだ。そして入り口にあった文章の意味は、彼らを示している。つまり、塔の内部を見渡すカラスという存在が、秘宝に繋がる本当の鍵なのだ。
「いい加減動いたらどうだ?」
木を見上げたまま、サイが呟く。
暫くの沈黙のあと、カア――とカラスが鳴いた。
「……見事」
右目が宝石のカラスが、ぐんと首を傾けてサイを見る。石でできているとは思えないほど滑らかな動きで、カラスは目を細め、くちばしを開いてひと鳴きする。隣のカラスがそれに反応し、翼を震わせた。サイたちに気付かれたことに驚きつつも、どこか喜んでいるような動きで体を揺らしていた。
「すごいね、すごいね。ただの人間なのに、僕らに気付くなんて!」
「えっ、ちょっと……か、カラスが喋ってる!?」
左目の宝石をきらめかせながら喜ぶカラスに、リヤは思わず後ずさっていた。石像が動くことは魔法によるものだと納得できたが、まさか言葉を喋るとは思っていなかったのだ。彼女の前でカラスが枝を離れ、天井を飛び回る。歌うように紡がれる声は、年老いた老人のようでもあり、無邪気な子供のようでもあった。
「素晴らしい、我らに気付くとは!」
「君たちが何を探しているかは、もう知ってるよ! オーディン様の秘宝! オーディン様が残した、大切な宝物!」
「秘宝について知ってるのか?」
「もちろん。我々は塔の門番であり、秘宝を求める者にその資格があるか見極める役目を持っています」
サイの肩に止まりながら、右目が宝石のカラスが答える。彼は少しだけしわがれた老人の声に近い鳴き声をしていた。落ち着いた様子のカラスは、果汁で汚れた足をつんつんと突き、染みを落としている。石でできたくちばしで器用に汚れだけを削る姿は、ごく自然な鳥の動きそのものだった。
リヤの肩に降りたカラスは、透き通る緑色の左目で彼女の顔を覗き込む。幼子に似た声でカアと小さく鳴いてから、彼は翼を数回はためかせた。よほどリヤのことが気に入ったのか、彼は今にも頬にすり寄りそうなほど近くまで顔を寄せ、首を傾けて彼女の顔を見つめていた。
「オーディン様のこと、知りたい? 知りたい?」
「ええ、教えてくれる?」
「いいよ! いいよ! オーディン様はね、すっごい神様なんだよ!」
そうして、2羽のカラスたちは交互に語り始める。この塔を建てたとされる魔術の神の歴史について。
オーディンはかつて、この塔から使いの鳥を飛ばし、世界中の情報を集めていた。彼は魔物が街を襲うと知り、飼っていた2匹の狼と共に迫り来る軍勢と戦ったのだ。長い長い戦争の末、魔物を率いていた王とオーディンは相打ちとなる。
「そして、この地にはオーディン様の力を宿す秘宝と、魔王の呪いが残ったのです」
オーディンの力が宿った黄金の鎧に呪いを封じ込め、魔術師たちは石化することなく暮らしていた。しかし、呪いは少しずつ鎧から漏れ出し、やがて人々は石になり始めた。カラスたちは秘宝を守りながらも呪いの流出を防いでいたが、それも限界が近付いている。彼らはかつて本物のカラスだったが、呪いを間近に受けてほとんどが石になってしまったのだ。
「僕らにはもう時間がない! 魔王の呪いが街を滅ぼす前に、呪いを消して! お願いだよ!」
「あなたがたの知恵と、指輪の力があればきっと呪いを解けるはずです。我々はずっと見てきましたから」
カラスが頭を下げる。近くで見ると、彼らの翼や足には小さな亀裂がいくつも走っていた。砕けてしまうのも時間の問題なのだろう。呪いに蝕まれながらも街のために尽くすカラスたちの願いは、今ここでサイたちへ受け継がれようとしている。
「……分かったよ。ただし、お前らも協力しろよ」
「私たちに任せて。一緒に呪いを解きましょう!」
全てが終われば秘宝はもらっていく。心の内でそう告げながら、サイはカラスの頭を撫でた。小窓の外から差し込む太陽の光は傾き始めている。残された時間は少ないのだと気付いた彼は、早速最上階へ向かおうとする。秘宝の在処はカラスたちが知っているのだろう。すぐにでも案内してほしいと頼むと、彼らは頷いて扉へと飛んでいく。
「オーディン様の鎧へ辿り着くには、我々の許可が必要です」
「僕らに気付けない限り、最上階には行けないんだよ! みんなそれを知っているから、塔には挑まないんだ! でも君らは挑んだ! すごいね! すごいね!」
「……どうか、覚悟してください。魔王の呪いを消すには、相応の代償を払わねばならないでしょう」
瞳の宝石が輝き、扉を包む。ゆっくりと開かれた先にはまた同じ扉ではなく、広い空間があった。これまでの部屋のように植物が生えているわけでも、石が転がっているわけでもない。殺風景な石造りの壁と床、そして中央の台座に輝いている黄金の鎧。それだけの部屋だったが、開かれた扉から流れ込んでくる空気はじっとりと重く、そして淀んでいた。
(なんだ、これ)
「これ、は……呪いが、渦巻いている……!」
ラクシュミーの苦しげな声が、ごうごうと唸る血潮の音に紛れて掻き消される。
肌を虫が這いずるような不快感。
泥の中に足を突っ込んだような冷たさ。
本能が告げている。これが、呪いの根源なのだと。