太陽が雲の隙間から顔を覗かせている。天高くそびえる塔の入り口にある巨大な扉の前にサイたちはいた。
長と若き魔術師であり、父と子である2人の会議はあれからすぐに終わりを迎えた。互いの考えを尊重した結果サイたちへもたらされた収穫は思いの外大きかったが、同時に一度きりのチャンスだった。日が落ちるまでに呪いを解くことができなければ、サイとリヤは二度とこの塔へ入ることを許されなくなるだけではなく、この中にあるだろうオーディンの秘宝を手に入れるチャンスを失ってしまう。無理難題だろうと長に相談してみたが、返ってきたのは静かな声だった。
「塔は真に賢い者以外には決してその扉を開かぬ。それはわしらの祖先から受け継がれてきた掟のようなもの。決して揺らがぬことじゃ」
魔術師ではない者に、オーディンの塔へ入る許可を与える。しかし、街のルールには従ってもらう。長とシラが出した結論はお互いの譲れないものを残し、それ以外を丁寧に削ぎ落とした無駄のないものだった。彼らからすれば、サイたちへ向けた最大の尊敬を込めた条件なのだ。
「さて……中はどうなっているんだろうな」
「賢い者じゃないと進めないって言っていたし、謎解きでもあるのかしら」
「入ってみないことには分からないな。よっ、と……」
サイが両手で扉を押す。ぎぎい、と重たい音を響かせながらゆっくりと開いた扉の向こう側には、一対のカラスの像が置かれており、その奥に扉がある。言うなればここは玄関のような場所なのだろう。像に近付いてみると、台座には同じ文章が彫り込まれていた。
「“世界を見渡す者に力は宿る”……? どういうこと?」
「見渡すって言えば最上階だろ。つまり最上階に行かないと秘宝は手に入らないんじゃないか」
石でできたカラスはそれぞれ右目と左目に宝石が埋め込まれている。もう片方の目は石でできているが、小さな宝石はきらきらと透き通った緑色をしており、なかなかの値打ちになりそうだった。指先で掘り出せないかと目元へ手を伸ばすと、ラクシュミーの声が響く。叱責されるのかと思い聞き流そうとしたが、聞こえてきたのは彼を窘めるものではなかった。
「この塔から、相当な力を……これは、2つの力が捻れて、争っているような……」
「2つ?」
「とにかく先に行ってみましょう。ここで考えていても意味はないわ」
神であるラクシュミーには、塔に満ちている力を感じ取ることができるようだった。彼女は困惑したような声で呟いたきり黙ってしまう。サイは首を傾げ、リヤは像を通りすぎて扉へと手をかける。それを見たサイもまた、ここで止まっていては日が暮れると彼女の後ろを追いかけた。
リヤの手で開かれた扉の先には、ここが塔であると忘れさせるような世界が広がっていた。石でできているはずの床は土や背の低い草で覆われ、天井に届きそうなほど大きな木が茂っている。天井近くに開いた穴からは日差しが部屋を照らしていた。
「こ、ここ、塔の中よね?」
「そのはずだ……これも魔法でできてるのか?」
さわさわと揺れる木の下には、小さな井戸がある。浮遊している塔のどこから水を汲んでいるのか分からないが、井戸を覗いてみると水面が陽の光を反射するのが見えた。扉を開けてすぐ飛び込んできた景色に呆気に取られている2人だったが、井戸に掘られている文字に気付くと表情を引き締めた。
「“欠けたものを補え”? 何かが足りないってことよね」
周囲を見渡すも、リヤの目に映るのは石でできた動物と、揺れる木々だけだった。試しに石像のウサギをじっくりと観察してみるが、精巧に作られていること以外にはこれといった特徴はない。別の場所で石像を見て回っているサイも同じだったようで、特に何かを発見したような素振りは見せていなかった。
彼の目線は、井戸の真上にある木に注がれている。数羽の鳥が並んでいるが、そのどれも石でできている。生き物が足りないのか、それともあるべきはずの何かが欠落しているのか。サイは思考回路を巡らせながら、草を踏んで部屋の中を歩いた。
「ん?」
ふとサイが足を止める。よく見ると、伸びた草に隠れて小さな池らしき穴があった。池には水が入っておらず、石の小魚が数匹転がっている。縁にはカエルや水を飲みに来たらしい小鳥などが並んでいて、今にも動き出しそうなほど現実味のある姿勢をしていた。
「リヤ、これを見てくれ」
「どうしたの? ……池かしら」
リヤを呼び、サイは水のない池を指さす。彼女は最初まじまじと池やその周りを眺めていたが、やがてサイと同じ答えに辿り着いたのか顔を跳ね上げる。その様子に確信を抱いた彼は、リヤを残して井戸へと向かっていった。
(植物に必要な土も、日光もある。井戸には水があるが、池だけが枯れている……)
どこからか水が湧いている井戸があるというのに、この池だけはすっかり干上がっていた。サイはこれこそが“欠けている”ものではないかと考えたのだ。本物の動物を連れ込んだところで既に部屋には像があるため、欠けていることにはならない。石でできた動物や花はある種の引っかけのようなものだろう。
桶に水を汲んできたサイが、ひび割れた土を剥き出しにしている穴へ中身を注いでいく。するとみるみるうちに池から水が湧き出し、本来の姿を取り戻し始めた。どこからか吹いてくる風が水面を揺らし、石の魚は命を得たようにすいすいと泳ぎだす。他の動物たちも池へと集まり、水面に顔を近付けたり、魚をじっと見つめたりと活動を始めていた。
「す、すごい……石でできてるのよね? この子たち」
リヤの足元を石のウサギが跳ねていく。それを目で追いかけると、閉じていたはずの扉が開いていた。
「こんな感じの謎解きなら楽勝だな」
魔術と知恵の神ともあれば難解な謎が隠れているのかと思いきや、子供でも少し頭を捻れば分かるようなものだった。これならばすぐに最上階へと辿り着き、秘宝を手に入れるついでに呪いも解いて英雄扱いだろうと、サイはにやりと笑みを浮かべた。
――しかし、彼はまだこの塔に隠された最大の謎に気付いていなかった。
次の部屋には水晶でできた立体的なパズルのようなものが置かれていた。一見するとどれも同じ柄の酷く難解なパズルに見えるが、太陽の光に透かしたり、見る角度を変えたりすれば僅かな色合いの違いで見分けることができた。リヤと協力しながら完成させたパズルは細長い羽の形をしていて、次の扉を開くための鍵だった。水晶を持って帰ろうとしたサイだったが、羽は解錠すると同時に崩れ、組み立てる前の姿に戻ってしまった。それでもパズルを拾おうとする彼を引っ張りながら、リヤは次の部屋へと向かった。
進んだ先の扉には窪みがあり、正しい順番で石を嵌める必要があった。窪みの大きさはそれぞれバラバラだったが、月の満ち欠けを意味していると気付いたリヤのおかげで難なく解決することができた。部屋に転がっていた石はつるつるとしているだけで、あまり金銭的な価値はなさそうだとサイは懐にしまうのをやめた。
そして、扉を開いた先にはまた扉がある。
ぐるぐると彼らは謎を解き、扉を開き、また次の扉を開くための謎を解く。同じことの繰り返しをしているような気分に、2人は少しずつ摩耗していった。
何かがおかしいと、2人は気付いていた。しかしその“何か”が分からなかった。部屋の謎は互いに知恵を出し合えば解けるものや、根気がいるが簡単に解決できるものばかり。確かに試されているような心地はするが、本当に意味があるのか信じられなかった。
(……上階に進んでいるのは確実だ。でも何か不自然だな)
次の部屋に繋がる扉の前で、サイは腕を組んだ。リヤも違和感を覚えているのか、塔へ入った頃よりも口数が減っていた。彼らの背後では謎を解かれたことで開いたままの扉があり、窪みに嵌まらない偽物の石と、カラスの石像が一対たたずんでいるのが見える。
カラスの片目がきらりと光を反射して、2人の背中を映し出していた。