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第16話

翌朝、2人は長に言われたとおり蔦の茂る塔を探していた。

「すみません。蔦がよく茂っている塔はどこにあるのかしら」

「ああ、長の塔だね。それならこの道を真っ直ぐ行けば見えてくるよ」

「ありがとう」

 地上に住んでいる人々はサイたちに親切だった。ひょっとすれば彼らはオーディンの塔へ無闇に立ち入ろうとしなければ昨日のように敵対することはないのではないか、そう思ってしまうほどに地上の街は平穏だった。そしてその平穏は、シラたちのような魔術師たちがよそ者を追い返そうとする理由を浮き彫りにさせる。

「……あいつら、本当に塔が大切なんだな」

「そうね。……だからこそ話し合いが必要なんだわ」

 言われたとおりに進んでいくと、石造りの塔に混じり、緑色の建造物が見えてくる。街の中心部にそびえるオーディンの塔が良く見える場所に浮かぶそれは、数百年も昔に建てられたのか壁が見えなくなるほどの蔦に覆われている塔だった。

「あれ、だな」

「すごい……。屋根まで蔦で覆われてる。いったいどれだけの年月が経てばあんなことになるのかしら」

塔の側には小さな花壇があり、こぢんまりとはしているが色鮮やかな花が風に揺れていた。それを眺めるように塔の近くに佇む人影に、サイたちは思わず身構える。ローブを身に纏った魔術師――シラの姿があった。

「旅人。何故、長の塔にいるのだ」

「じいさんに呼ばれたからだよ」

「……長が?」

「ええ。話し合いに立ち会って欲しいと言われたの」

「ふん……」

 シラはそれきり言葉を返すことなく、ふわりとその場に浮かび上がる。ローブをはためかせながら塔の扉へと向かう彼を追いかけるように、サイたちの体も地面を離れ始めた。

「きゃあっ!?」

「うわっ……」

 塔の中へ招かれるように体はすいすいと空中を進んでいく。初めての感覚に戸惑う2人に対し、シラは表情を硬くしたまま一足先に中へと入っていった。

 蔦に覆われた古い塔、といった印象の外観とは裏腹に、内部はかなり綺麗な作りをしていた。柔らかなカーペットが敷かれた客間の中央には木製の大きなテーブルとそれを囲む椅子があり、中でも豪華なものに長が座っている。彼は3人が到着することを知っていたのか、読んでいた本をぱたりと閉じると彼らへ目線を向けた。

「よく来てくれた。さあ、座っておくれ」

「空を飛んだのはあんたの魔法か?」

「さよう。本来であれば空を飛べぬ者は塔に立ち入れぬのじゃ」

 閉じた本がひとりでに浮遊し、本棚へと戻っていく。食器棚からは人数分のティーカップが、キッチンからはクッキーの乗った皿とポットがふわふわと宙を泳ぎながらテーブルに集まってくる。夢の中にでもいるような不思議な光景だった。

 シラとサイたちが向かい合うように座り、彼らの間に長が座っている。まさに重要な会議が始まるといった雰囲気の中、ふわりと紅茶の香りがサイの鼻をくすぐった。躊躇うことなくカップを掴み、ぐいと傾ければ口内に茶葉の香りが広がる。片手でクッキーを摘まんで囓り始めた彼を横目に口を閉ざしているシラに、長は柔和に微笑み、声をかけた。

「そう堅苦しくならんでいい。わしはお前と話がしたいんじゃよ……のう、我が息子よ」

「親子だったのか、あんたら」

「……前置きはいい。長よ、あなたはこの旅人に呪いを解かせるおつもりか」

 紅茶を一口含み、シラが言う。彼の声には僅かな苛立ちがあった。

「この街の呪いを解きたくないわけではない。しかし、あくまで呪いを解くのはこの街の住民である魔術師であるべきだ」

「分かっておるよ」

 空になったサイのカップに、ポットが紅茶を注ぐ。透き通る水色は、紅茶が丁寧に淹れられたものだと示していた。彼の隣ではリヤがちびちびとクッキーを囓っている。さくさくとした生地に、甘いジャムが塗られているものが余程気に入ったのか、彼女の瞳は輝いていた。

「しかし、いつまでも停滞しているわけにはいかないのじゃ。わしらの神、オーディン様が知恵を求めてあらゆる犠牲を払ったように、わしらは石になることと引き換えに知恵を得ておる。じゃが……」

 長がカップを口元へ運ぶ。袖から見えた彼の灰色の手首は、所々ヒビが入っていた。

「固定観念を代償に、わしらは呪いから解放されるべきなのじゃよ」

「ですが……!」

「魔術に長けているおぬしならもう分かっておるじゃろう? この者から、どんな力を感じるか」

 シラの言葉を遮るように、長は右手を持ち上げた。しわしわの指先が示すのは、空になった皿にクッキーを乗せてもらっている最中のサイだった。彼は自分が話の中心にいることに気付くと、片眉を持ち上げて長を見る。

「俺か?」

 無言で頷いた長の目が優しげに細められる。だがシラの表情は晴れなかった。彼は長が何を伝えようとしているのか既に理解しているが、自身の抱く誇りがそれを認めることをよしとしていなかった。旅人の右手から伝わってくる清らかな力はきっと呪いを解く鍵になるだろうと彼の知識が伝えている。同時に彼の胸を締め付けるのは、長い間故郷を、同胞を蝕んでいた呪いを魔術師ですらない者が解いてしまうかもしれないという不安だった。

「……確かに、この旅人は強い力を持っている。あなたが何を言いたいかも、私にはよく分かる。ですがそれでは魔術師たちの矜持はどうなるのですか!」

「全てを捨てよと言っているわけではない。わしらはこれからも知恵を求め続ける。しかし、その証明に呪いは必要ないということじゃ」

「いいえ、長。我々は石となることこそ誇りなのではありませんか。私の教え子は、石像になり砕ける瞬間まで学びたいと言っています。それがどれだけ素晴らしいことか、何故長であるあなたが分からないのですか……!」

「あー……その、ちょっといいか」

 今にもテーブルを叩きそうな勢いのシラを止めたのはサイだった。サイは食べかけのクッキーを摘まんで頬張ると、ごくりと紅茶を流し込む。そこへ近付いてくるポットを見つめ、彼は口を開いた。

「俺はさ、別にあんたらのプライドを踏みにじろうと思ってここへ来たわけじゃない。ただ、探してるものがあるから来ただけだ」

 淹れたての紅茶の香りが部屋に広がる。キッチンでは別のポットが忙しなく動いていた。

「それを見つけるために呪いを解かなきゃいけないなら、俺は呪いを解く。でもあんたらを哀れだと思ったからじゃない。あくまで、欲しいものを手に入れるためだ」

 それに、とサイは言葉を続ける。彼の言葉を、長も、リヤも、シラも黙って聞いている。指輪に宿るラクシュミーですら、静かに耳を傾けていた。

「この街は正直言ってすごいと思うぜ。空に塔が浮かんでいて、ポットがひとりでに動いてる。あんたらの祖先がいつからここに住んでるかは知らないが、相当長い間ここにいるんだろ?」

 地上の街も、空に浮かぶ塔も、全て何百年と経っていそうなほど古いものだとサイは見抜いていた。ひび割れた壁には修復の痕跡があり、生い茂る蔦さえ世話されているのだと分かる。この街の住民たちは、オーディンという神を信仰し、彼の名を冠する塔を敬愛しながら先祖代々暮らし続けてきた。日頃からあらゆるものに目を配らせているサイだからこそ短時間で推測できることだった。

「ッ……お前に、お前に何が分かるというのだ……!」

 サイの言葉に、シラの瞳に迷いが浮かぶ。彼はすっかり冷めてしまった紅茶を飲み干し、そしてため息をついた。思考の天秤に誇りと街の未来を乗せ、思考の海を漂っている。何かを得るためには相応の犠牲を払わねばならないということを、彼は誰よりも知っていた。

「……あの」

 そっと声を発したのはリヤだった。彼女はテーブルを囲む人々の顔をぐるりと見渡してから、息を吸い込んだ。

「私の父親が言っていたことなのだけれど……。意見が対立して物事が進まなくなったときは、一度お互いが相手の立場になってみて考えるといいわ」

「ほう。おぬしの父は、人と議論するのが仕事なのかね」

「ええ。いつも街のみんながよりよく暮らせるように、色々な人と話し合っているの。あなたたちと同じね」

 彼女の父親は仕事をする上で人と対立することが少なくない。そういうとき、彼は決まって相手のことを一度考え直してみることを習慣としていた。リヤは魔術師たち、特にシラと自身の父親の立場が似ていることを見出し、参考になればと意見を申し出たのだった。

「相手の、立場……長の考えを、私は……」

 はたして彼女の助言はシラの背中を押すことになった。彼はいつの間にか紅茶で満たされていたグラスを口元へ運び、一気に飲み干していく。そして何かを決意したように深く息を吸い込んでから、リヤの顔をまっすぐに見つめた。

「……旅人よ。……我々は、街を守らねばと思うあまり、自分の考えに縛られていた」

 シラの顔から迷いが晴れていた。長は何故旅人に全てを任せようとしているのか、彼は今一度考えたのだ。

「我々も、長も……街の呪いを解きたいという意思は同じだったのだ」

 彼の頭を駆け巡るのは、優秀な占い師だった魔術師の男の最期。

 自身の知識を少しでも多く書き残すためにペンを握ったまま石になったその魔術師には、恋人がいた。シラが報せを聞いて駆けつけたときには既に男は砕けており、破片を抱きしめて涙を流す恋人の足元にはインクが付いたままのペンが転がっていた。

「石になることこそが学びの証だと、私はずっと思っていた。この街に呪いが生まれた頃からずっと、それは変わらないことだった。だが……そうではないのかもしれないな」

 それでも譲れないものはある。街の誇りを完全に捨てるつもりもなければ、魔術師である自分たちに呪いが解けないと諦めるつもりもなかった。彼は長の考えを改めて理解しようとし、そしてできうる限り尊重した。

「オーディン様の塔へ入ることを認めよう。しかし、夕日が沈むまで。もしも呪いを解けなければ、二度と塔には立ち入らせない。……よろしいか、長よ」

 彼なりの譲歩だった。長もまた、リヤの言葉を受けて息子がどのような思いを抱いているか、考え直したようだった。

「うむ……よかろう。わしも、おぬしがどれだけ街を愛しているか、見くびっておったようじゃ」

 そう言って長はシラへ向けて手を伸ばす。和解と、彼の意見へ同意する意味を込めて差し出された手をシラの手が握りしめた。

 塔へ入ったときに比べ随分と穏やかになった空気の中、彼らを祝福するようにカップが飛び回っている。2人の魔術師が譲れないものを尊重し、そして互いの納得する結論を導き出した。それは、ソーサラー・ガーデンを未来へ進ませる第一歩だった。 

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